「科学ジャーナリスト賞」を受賞した経口中絶薬の特集連載はどう生まれたのかnews HACK by Yahoo!ニュースnews HACK by Yahoo!ニュース2024年6月27日 13:02PDF魚拓
Yahoo!ニュースでは、2022年7月から「#性のギモン」というハッシュタグのもと、さまざまな視点から「性」について考えるコンテンツを届けてきました。性教育を軸に、人間関係、ジェンダー、月経や更年期障害といった体の悩みなど、子どもから大人まで関わる性のことについて、幅広く考えています。記事には「誰にも言わなかったけど同じ悩みを持っていた」「医療機関に相談するきっかけになった」など、ユーザーのコメントがたくさん寄せられました。どのような視点で課題を捉え、コンテンツを制作しているのか。制作チームのサービスマネージャー・中村塁、「#性のギモン」プロジェクト責任者 兼Yahoo!ニュース特集 編集者の塚原沙耶、Yahoo!ニュース Voice編集者の近江由圭に聞きます。
取材・文:Yahoo!ニュース
「#性のギモン」 始まりは3本の記事
Yahoo!ニュースにはオリジナルコンテンツをつくる編集部が複数あり、それぞれ動画、グラフィック、テキストなどで伝えています。かねてから垣根を越えて連携し、特定の社会課題を発信する取り組みを続けてきました。4月から、より明確な方針を立て「ホットイシュー」というプロジェクトが動いています。
「#性のギモン」も「ホットイシュー」のひとつです。きっかけは、2021年12月に掲出した「#性教育の現場から」というハッシュタグをつけた3本の記事でした。
「きちんと教えてこなかった大人の責任」――性を教え続けた公立中教諭の抱く危機感
「性教育はエロいものだと思ってた」──高校生が自分たちで考える「人生の役に立つ授業」
「いつもの先生」が教えることに意味がある──性教育を担える教員をどう育成するか
「ユーザーから建設的で前向きなコメントをいただき、多くの方が自分ごととして課題を捉えていることが伝わってきました。そこで、もっと多様な情報を発信できないかと、Yahoo!ニュースのメンバーが新しい取り組みを立ち上げました」(中村)
考えるきっかけと学びになるコンテンツを目指して
3本の記事を通して、性教育にユーザーの関心が集まっていることが分かりました。昨今、性教育関連書籍が多数刊行されており、また、世界に目を向けると、ユネスコが発表した「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」に基づいた「包括的セクシュアリティ教育」がさまざまな国で行われています。そこでまず、制作チームの理解を深めるため、学校での性教育に長年携わってきた「『人間と性』教育研究協議会」の代表幹事・水野哲夫さんに依頼し、社内で勉強会を開きました。
「包括的セクシュアリティ教育」は、人権と多様性の上に立って、人間関係、ジェンダーの理解、体の仕組み、安全確保などを、幼少期から年齢に応じて広く学ぶもの。性に関する知識だけではなく、どう行動するか、どう生きるかについても考えます。
「包括的セクシュアリティ教育が扱うさまざまな内容を取り上げ、若年層から親世代まで幅広いユーザーに読んでもらいたいと考えました。目指すのは、ユーザーが性のことや教育の役割を考えるきっかけとなり、かつ読むこと自体が学びになるコンテンツ。間口を広げるため、『#性教育』ではなく、『#性のギモン』というハッシュタグに決めました」(塚原)
ユーザーの声、現場ルポ、専門家との対談など 内容と形式は幅広く
「#性のギモン」は、まずユーザーに「これまでの性教育はどうだったか」「どのように性を学んできたか」を聞くことから始まったそうです。Yahoo!ニュースのトピックスでコメントを募り、ユーザーの声を記事化しました。
これまでの性教育はどうだった? みんなで考える性の学び方 #性のギモン
Yahoo!ニュース ビジュアルで知る グラフィックなどでニュースを分かりやすく伝えるシリーズ
「これまでに受けてきた性教育や性にまつわる体験は、人それぞれ異なります。ユーザーが今どう感じているのか、まずは意見を吸い上げて共有しようと思いました。その上で、関心が集まっている包括的セクシュアリティ教育はどういうことを扱っているのか、ビジュアルを用いて解説しました」(塚原)
そして、「#性のギモン」では、学校や幼稚園など、教育の現場を取材しています。
高校の取材では、包括的セクシュアリティ教育を実際に取り入れている学校を訪れました。
「それは違うよ」と父に言いたい――性教育を受けた生徒たちが大人に感じるギャップ #性のギモン
Yahoo!ニュース 特集 テキストと写真でテーマを深く掘り下げるルポとインタビューを中心に行っている
「教員はどのように考えてカリキュラムを組んでいるのか、授業を受けた生徒がどう感じ、どのように変化したのか、取材しています。『人権も性も、生きていく上で必ず関わること』と生徒が語り合う様子が印象的でした」(塚原)
また、家庭ではどのような性教育を行うべきか、「おうち性教育」についてお笑い芸人の山田ルイ53世さんが産婦人科医の遠見才希子先生に聞く対談記事を制作しました。
「山田ルイ53世さんが娘を育てるなかで抱いている日常的な疑問や悩みを、遠見先生に相談しました。『お風呂は何歳まで一緒に入っていいの?』といった、率直な質問を投げかけていただいたことで、子どもがいるユーザーが身近な問題として性教育を捉えられたのではないかと思います」(塚原)
「湯船という小船で、人生の大海原へ」──風呂場から考える“おうち性教育”、山田ルイ53世の反省 #性のギモン
ユーザーからのコメントを活用して誕生した企画
大人が直面する性の問題として、俳優の清水宏次朗さんに男性更年期について語ってもらいました。男性更年期を取り上げたのはタレントの磯野貴理子さんが女性更年期の実体験を語った記事に寄せられたコメントが始まりだったそうです。
異常な発汗、精神的な不安――清水宏次朗が語る「男性更年期障害」の症状と向き合い方 #性のギモン
Yahoo!ニュース Voice 専門家による解説や著名人のインタビューを、テキストと動画で伝えている
「磯野貴理子さんの『わからないまま不安でいるより、更年期障害なんだとわかった方が安心』という言葉を発信したら、記事のコメント欄でユーザーからたくさんの声をいただいたんです。コメントは女性がメインでしたが、男性から『実は男性更年期というものもあって……』との声がチラホラ挙がりました。そこで、ユーザーの声を活用しようと、男性の清水宏次朗さんに経験談を語ってもらいました」(近江)
男性更年期は、女性更年期と比べるとあまり知られていないテーマで、記事を掲出するまでは多くのユーザーに読んでもらえるのか不安もあったといいます。実際には、たくさんの共感が届きました。
「Yahoo!ニュース Voiceが目指すのは、多くの人が『自分は知らなかったんだ』と気づく体験ができ、大人の学び直しができる世界です。コメントと記事がセットになっている、読み応えがある記事になったと思っています」(近江)
情報を集約したサイト「みんなの性教育」の立ち上げ
制作した記事が、教育現場に届いた事例がありました。
「SNS上の性犯罪防止のため『親が子どもにどうネットリテラシーを教えたらよいか』をITジャーナリストの鈴木朋子さんに解説いただきました。そのなかで、SNSを安全に使う約束として『こしあん』という標語を紹介したんです。すると、岡山の学校から鈴木さんに、学校の授業に標語を使わせてほしいという連絡があったそうです。各分野の専門家がそろい、ニュースを幅広い層に届けることができるYahoo!ニュースならではの動きだと思います」(近江)
子どもにスマホを持たせたら伝えたい「こ・し・あ・ん」―SNSの性犯罪から守るために親ができること #性のギモン
11月18日には、性に関するコンテンツをまとめたページ「みんなの性教育」が立ち上がりました。相談窓口も掲載して、ユーザーに役立つ情報をまとめたサイトにしています。
「『#性のギモン』で制作したコンテンツのほか、Yahoo!きっずの性教育を学べるサイト『ココカラ学園』やさまざまなメディアの記事、相談窓口などを集約しました。『みんなの性教育』にまとめる情報が、悩みを抱えている人たちに役立ち、性のことやこれからの教育について考えるヒントになるように、制作を続けたいと思います」(塚原)
今年4月28日、厚生労働省は「飲む中絶薬」を承認した。妊娠初期に使う薬で、日本で初めて使用可能になった。1988年にフランスで承認され、現在65カ国・地域以上で使われている。だが世界で初めて承認されてから日本での承認までに「35年」もかかった。なぜなのか。製薬企業、現場の医師、厚労省、そして薬を求めてきた女性たちを取材。日本では開発や市場化が検討されるたび、立ち消えになっていたことが新たにわかった。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
独自に行った28人への取材をもとに、3回シリーズで「35年の真相」を追う。第1回の本記事では、承認までの障壁を調査した。
「女性の怒りがようやく実を結びました」
5月16日に開催されたラインファーマの記者向け勉強会
「思い起こせばいろいろ困難はありました。今は喜びでいっぱいです」 今年5月中旬、都内で開かれた記者向けの勉強会。国内初となる経口中絶薬の製造販売が承認された2週間後のことだ。マイクの前に立ったラインファーマ(東京都港区)の北村幹弥社長はこう語った。 複数の女性団体が、承認前から関係省庁に要望書を繰り返し提出。審議前に厚生労働省が募ったパブリックコメントに集まった意見は、約1万2千件に達した。薬事関連では通常の100倍以上にあたるという。賛成の意見が反対の倍に上った。承認のニュースが飛び込むと、SNSには、「女性の怒りがようやく実を結びました。長かった……」などと声があふれた。
(図版:ラチカ)
この薬「メフィーゴパック」は2種類の薬を組み合わせて使う。胎児の成長を止める一つ目の薬を服用後、36~48時間後に子宮の収縮を促す二つ目の薬を口の中に30分間含んだ後に飲み込む。すると子宮の内容物とともに胎嚢が排出される。つまり「飲むだけ」で中絶が完了する。中絶薬が女性たちに求められてきたのは、外科的な施術が必要なく、より心身の負担が少ないからだ。 鍵になるのが、一つ目の薬だ。「ミフェプリストン」という。この薬の認可が下りた国では日本は世界でもっとも遅い部類だ。1988年にフランス、1991年にイギリス、1999年にドイツ、2000年にアメリカと、先進国なら20~30年以上前の出来事だ。途上国でも広く認められてきた。 なぜ日本では遅れたのか。
日本では長い間、「掻爬法」が一般的
「掻爬法」という中絶手術に使う器具。左のトング状の鉗子(かんし)で子宮内容物を除去し、右のスプーン状の器具で掻き出す
日本における中絶件数は、戦後もっとも多い時で117万143件(1955年)。その後は43万6299件(1991年)、20万2106件(2011年度)……と減少傾向だが、今も12万6174件(2021年度)ある。中絶の方法は日本では戦後からあまり変わっていない。妊娠初期に行う中絶は、「掻爬(そうは)」と「吸引」という手術法で行ってきた。 その医師はスプーン状の手術器具を持った右手を前に出し、押し込むようなしぐさで説明した。 「これを子宮に入れ、子宮の内膜をガリガリッてやるんです。習った時、内容物を残さないよう『ガリガリする感覚がわかるぐらいまでやれ』と言われました。でも、下手な人がやると、子宮に穴を開けてしまったりします。数多く実施している医師は大抵経験しています。盲目的手術と言って、おなかを開けずに見えない状態で操作をするからです」 関東の都市部でクリニックを運営するベテラン医師が語ったのは、子宮内に金属製の器具を挿入して内容物を掻き出す「掻爬法」という手術だ。 もう一つのやり方は、プラスチックあるいは金属のストロー状の器具で、吸引口から子宮内のものを吸い出す「吸引法」だ。 「ただ、吸引法を厚生労働省が推奨したのは最近のこと。日本では長いこと掻爬法が一般的でした」 日本では掻爬単独は3割弱、吸引との併用も含めれば約8割と、掻爬はいまだ高い比率だ。
経口中絶薬が承認されている国では比率がまったく異なる。経口中絶薬を使う方法が選ばれている比率は、フィンランドで98%、イギリスで87%(ともに2021年)だ。選択できる場合、多くの女性は経口中絶薬を選んでいることがわかる。 日本の産婦人科医や製薬業界は知らなかったわけではない。それどころか、日本の産婦人科医は、中絶薬そのものには40年以上前から注目していた。
1980年代から注目されるも、日本では導入されなかった
1986年11月、受胎調節法の進歩に関するシンポジウム。ここでも日本の高名な産婦人科医が中絶薬(Prostaglandins and Antiprogesteron)に関する講演の座長を務めていた
1978年、東京大学医学部教授(当時)が学会誌で子宮収縮などを起こせる薬の候補を使った海外の研究事例を紹介し、「妊娠初期」の中絶薬に使える可能性を示唆した。また、「妊娠中期(妊娠12~22週)」中絶への応用にも言及している。 だが、産婦人科医の一部から反対の声が上がった。1982年に掲載された週刊新潮の記事によれば、「妊娠初期」の中絶薬の導入は「性道徳の乱れに拍車をかける」「専門医が手術するほうがよい」との声もあったという。結局、この薬は1984年に小野薬品から「妊娠中期」の中絶薬(膣内に挿入する坐薬)として製品化された。中期中絶は、中絶全体で1割に満たない。
日本が先駆けていた上述の薬は、単独の中絶薬としては世界の関心から外れていく。1988年に経口薬の「ミフェプリストン」がフランスで承認され、広がっていったからだ。この薬は妊娠のごく初期までに使うものだった。 中絶問題に長く取り組んできた研究者の塚原久美氏は、世界でも日本でも女性たちが求めてきたのは自分一人で「中絶できる」薬だったと話す。 「妊娠初期に経口薬を飲めば、自然流産と変わらない形で妊娠を終わらせられます。痛みは個人差が大きいですが、たいていの人は耐えられる程度だと言っています。ところが、日本の女性たちはこの選択肢が持てなかった。日本にはこれまでこの薬が導入されなかったからです」
産婦人科医向けの会報誌「メディカルファイル」(日本家族計画協会編)のバックナンバーを確認すると、1986年と1987年には、日本で開催された国際シンポジウムで初期経口中絶薬が取り上げられていた。2000年には国会で参考人がこの薬の認可を求める陳述もあった。 その陳述とは、参議院の共生社会に関する調査会に参考人として招聘された津田塾大学の金城清子教授(当時)によるものだ。最近米国でも認可されたとして、こう述べている。 <中絶ということで医療的な、外科的な手術を受けなければいけないというのは女性にとって大変負担ですし、健康にも経済的にも大きな負担になります。そういう意味で、お薬を飲めば中絶できるんだというお薬があるわけですので、そういうものについても認可していく必要があるのではないかというふうに考えております> 日本以外のG7の国々でこの薬の承認が完了した2000年に至っても、日本では表立って製薬企業が動き出した形跡はなかった。
個人輸入が増加。需要はあっても認可は下りず
2004年10月、厚生労働省医薬食品局から関係各所へ、経口中絶薬の健康被害事例の収集も行われた
2004年9月、地方紙の見出しにこんな文字が躍った。 「『のむ中絶薬』問題に/国内未承認、ネットで入手/厚労省が被害調査」 その他、子宮外妊娠による出血などいくつかの事例が報じられた。インターネットが広がるなかで、個人がネット経由で情報収集し、海外から購入する人たちが増えていたのだ。 これに警告を発したのが厚労省だった。2004年10月に行政文書で通達を出した。しかも、「原則として、医師の処方に基づくことが地方厚生局で確認できた場合に限って」と個人輸入の制限も付いた。
当時、監視指導・麻薬対策課の課長補佐だった光岡俊成氏は「あの頃は個人輸入が広がっており、ちまたに流布する薬から問題のありそうなケースについては、我々薬剤師の資格を持つ担当官がネットを含めあらゆるルートから監視していました」。また、同課の課長だった南野肇氏は、「少なくとも、他部署や外部からの働きかけがあって特別対応したという記憶はないですね」と述べた。2004年の通逹は、「日常の業務の一環」で出されたもので、中絶に反対する勢力や団体などの影響で警告を発したわけではないということだった。
個人輸入の動きまであるのに、なぜ正規で薬を届ける動きが出なかったのか。日本家族計画協会市谷クリニック所長の北村邦夫氏は、こう指摘する。 「安全だけれど、不正に使うのが問題だったわけです。個人輸入の動きが出た時に製薬会社から中絶薬の申請が出されて、なおかつ専門家集団が推していれば、認可のスピードを早めることもできたはずですよね。だって、男性薬のバイアグラ(勃起不全治療薬)では『個人輸入は危ない』と指摘されて、申請から半年ほどで認可が下りたんですから」 1990年代後半から2000年代前半にかけては、中絶の総数は減っているのに対し、年代別でみると、20歳未満の中絶率が増え続け、10%を超えていた。少なくとも需要があり、ネットで探す人たちもいた。 日本でも何度か市場化の動きはあった。
「日本の社会は女性が使う薬に理解がない」
東京大学病院産婦人科の大須賀穣教授
メフィーゴパックの治験責任医師を務めた東京大学病院産婦人科教授・大須賀穣氏は、20年ぐらい前から導入したいと考えていたと語った。 「日本に中絶薬が導入されてもよいのではないか、一日も早く導入できないかと。海外では世界標準と考えられているにもかかわらず、日本でそれを選択して使えないということに、非常に矛盾を感じていたわけです」 まず10年、20年前までは、「経口中絶薬」という言葉そのものに、多くの産婦人科医から抵抗があったと大須賀氏は言う。 「私が開発に関わるということを周囲の教授や一般の医師たちに話した時に、『なぜ権威のある立場の人が中絶薬の開発に加わるのか、本当に加わっていいのか』と。少し懐疑的な目で見られたこともあります」
取材を進める過程で、今回のラインファーマの承認申請より前に、少なくとも2回、市場化を検討していた時期があることがわかった。開発直後の1989年頃と2010年頃だ。 1989年には、「日本ルセル(現サノフィ)」がミフェプリストンの国内での開発を検討したことがあったという。当時、日本ルセルに勤めていた元社員にメールを通じて取材した。その回答によれば、経口中絶薬の開発計画はあったが、中絶に反対する運動など「社会的要因」により計画は立ち消えになったという。その「社会的要因」についても詳しい説明を求めたが、「女性団体などによる反対」という回答だけにとどめ、詳述は拒んだ。 2010年頃の動きの鍵を握るのが、ミフェプリストンの開発者であるアンドレ・ウルマン博士だ。ウルマン博士は日本への導入の可能性について、日本の医療者に接触してはヒアリングを行っていた。だが、「日本の製薬企業は関心が薄く、導入は全然うまくいかなかった」という。 そう証言したのは、アンドレ・ウルマン博士の娘、マリオン・ウルマン氏だ。彼女は今年3月までラインファーマの役員を務めていた。5月、カナダ在住のマリオン氏にオンラインで話を聞いた。 マリオン氏もその後は父同様、日本で何十社にも協力を呼びかけたが挫折続きだったと振り返る。 「中絶に対して人々の受け止め方は複雑です。ですから、まずは製薬企業自体が『この薬が女性たちに必要なんだ』と関心を持たないと始まらない。さらに治験を組み上げるには、日本の産科医たちにも粘り強く働きかけて協力を取り付けなければなりません。でも、市場も小さいうえ、莫大な治験コストをかけてまで熱心に取り組もうとする製薬企業は現れませんでした」
マリオン氏は、日本の関係各所にあたるなかで、女性が使う薬への理解が日本社会にないことに気づいた。その社会の空気感も欧米の製薬企業を遠ざけたのではと指摘する。 「日本では女性医薬の審査はなかなか通らないと、欧米の製薬業界みんなが思ってますよ。父は日本に緊急避妊薬も導入しているのですが、承認されたのが1999年。それまでに11年かかっているのです。少なくとも私は、父が経営していた別の会社が緊急避妊薬の認可を得るまでは、日本に中絶薬を導入するのは難しいだろうなと思っていたんです。避妊薬の導入が終わったら中絶薬へと、一つひとつ進めなければならなかったわけです」
承認後もまだ乗り越えるべき壁がある
(図版:ラチカ)
結局のところ、ウルマン博士が経営するイギリスのラインファーマ本社が、日本の製薬企業2社に依頼する形で開発が始まったのが2014年。その段階では、日本における中絶件数は20万件を割っていた。薬剤の対象人数が十数万人で1回の使用で終わる。ということは、頭痛薬のように繰り返し使う薬とは異なり、平たく言えば「もうけにならない」。製薬企業の関係者は「対象疾患数が少ない希少疾病用医薬品とそれほど変わらない規模感だ」と話す。
ラインファーマの北村幹弥社長
日本の治験の厳格さも立ちはだかった。非臨床試験(動物実験や試験管内試験)に加えて、ヒトを対象にして行う臨床試験も含めれば12種類の試験を求められた。マリオン氏は「そのほとんどの試験は、海外では一切要求されなかった」という。 最終的には、2020年にラインファーマが日本法人を設立する形で12種類の試験をやり遂げ、2023年4月の承認にこぎつけた。日本法人の北村幹弥社長は、最終段階の試験(第3相試験)は「少なくとも最初の段階の第1相試験の10倍のコストはかかっている」と打ち明ける。ウルマン博士が日本での導入を検討してから10年余。第1相試験開始からは8年の歳月を費やしたことになる。 北村氏は、困難を引き受けてでもこの薬を日本で出したかったと語る。 「日本の女性医薬の後進性をどうにか変えていかなければという思いでした。私は別の製薬企業の開発責任者としてスウェーデンにいた経験があるのですが、現地では私の上司も女性。日本の女性は、ジェンダーギャップ指数もさることながら、世界の女性医薬からも取り残されていると危機感を覚えていました。今回の日本での開発も頓挫しかけたことがあり、『ここで諦めたら、もう二度とこの薬剤は日本に入ってこないだろう』と思い、なんとかゴールまで持ち込みました」
だが、北村氏は声のトーンを低くし、こう訴える。 「まだこの薬には、世界標準とは異なる使用方法、使用条件がついています。日本の女性にとっても世界標準となるには、乗り越えるべき壁があるのです」 北村氏が問題だと訴える「使用方法、使用条件」は、薬へのアクセスと薬価の問題に結びつく。7月23日時点で薬を扱う医療機関は34カ所。中絶手術を行う指定医師のいる施設は全国に4176カ所はある(2019年)が、その1%にも満たない。「自分たちの知らないところで話し合われていた」とマリオン氏が不信感を抱いている点だ。 この薬は製薬会社だけでは成立しない。もう一つ重要な存在がある。患者に面する産婦人科医の意向が大きかった。(第2回に続く) 古川雅子(ふるかわ・まさこ) ジャーナリスト。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいの当事者、医療・介護の従事者、イノベーターたちの姿を追う。「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など。 --- 「#性のギモン」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人間関係やからだの悩みなど、さまざまな視点から「性」について、そして性教育について取り上げます。子どもから大人まで関わる性のこと、一緒に考えてみませんか。
2023/7/28(金) 17:17配信
1988年にフランスで承認された「飲む中絶薬」は、今春、日本で承認された。だが、現在でも全国で取り扱っている施設はわずか34カ所(7月23日時点)。なぜ35年も承認に至らず、今も普及しない状況にあるのか。複数の医師は「日本産婦人科医会(医会)」の影響を口にした。「掻爬(そうは)」であれば、10分の手術で約10万円。経験に基づく安全性のもと、女性の心身は配慮されてこなかったのではないか。医師や医会、薬事政策に関わる政治家らに聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
独自に行った28人への取材をもとに、3回シリーズで「35年の真相」を追う。第2回の本記事では、中絶を行う医師や医会が経口中絶薬を長年扱おうとしなかった理由を取材した。
「時間がかかって仕事を休んでも薬を選びたい」
フィデスレディースクリニック田町 内田美穂院長
JR田町駅近くの婦人科クリニック。5月末の早朝、一人の女性が訪れた。女性が院内で服用したのは、飲むだけで人工妊娠中絶ができる経口中絶薬「メフィーゴパック」だ。 この薬は、まず「妊娠の進行を止める」1剤目を医師の前で飲む。36~48時間後、再び受診して「子宮の収縮を促す」2剤目を飲む。すると、胎嚢が排出される。 ここ、フィデスレディースクリニック田町は、日本で初めてこの薬が納入された医療機関だ。 現状では投薬に条件がつく。一つは「有床」の病院や診療所限定であること。もう一つは、2剤目を服用して胎嚢が排出されるまで「入院」または「院内待機」することだ。そのため、フィデスでは2剤目を飲むタイミングを朝早くに設定している。院長の内田美穂さんが言う。 「うちでは排出までの目安を8時間としています。ただ、朝方いらした方は、夕方までに排出できるよう念を入れたいと。私も頑張って早起きしています」
フィデスでは受診者に、手術による中絶方法と経口中絶薬との2つの選択肢を提示。10人のうち9人が薬を選択したという。 「1人は時間的に拘束されるのは……と手術を選びましたが、あとは全員が薬がいいということでした。『時間がかかって仕事を休んででも、薬を選びたい』という声もありました」 だが、全国でこの薬を導入している医療機関は取材時点ではフィデスを入れて5カ所、7月23日の時点でも34カ所、17都府県にすぎない。 なぜこれだけしか使われていないのか。取材を進めると、医療機関が受診する女性の意向に配慮してこなかったことがわかった。
掻爬法であれば自由診療で10万円程度、手術は10分
産婦人科の診察器具
厚生労働省が中絶の手法に関して、掻爬法ではなく吸引法を周知するようにと通達を出したのは2021年と最近だ。2012年の世界保健機関(WHO)の手引を引いて、掻爬法は「女性にとって相当程度より苦痛をもたらす」とした。 2012年の日本産婦人科医会の調査によれば、日本では妊娠初期(妊娠12週まで)の中絶手術のうち、掻爬法が3割、吸引法が2割、それらを併せたやり方が5割だった。 都内で長くクリニックを営むベテラン医師は、どちらの手術も短時間だと言う。 「掻爬であれば10分間、慣れた人なら5分間くらいです。中絶を主に手掛けるクリニックでは、1日5~6件、月に100件以上こなすところもあります」 中絶は自由診療。昨今は都市部で安い料金のクリニックも出てきているが、一般的には掻爬法で10万円程度、吸引法で12万~15万円程度が相場だ。
中絶手術のうち、金属の器具を使う掻爬法では、子宮に穴が開くリスクもある
ただし、人工妊娠中絶の実施は、母体保護法14条で規定された「公益社団法人たる医師会の指定する医師(指定医師)」に限られる。主にこの指定医師たちが所属するのが、日本産婦人科医会、通称「医会」だ。1万1769人(今年3月末時点)の会員を擁する。 取材のなかで、医会は経口中絶薬の導入に「ずっと後ろ向きだった」との声を複数聞いた。 東京都内のベテラン指定医師は、文書を通じてこう回答した。 「もし薬剤代が数百円になった場合、『収入がなくなる』イメージです。日本では、相談やカウンセリングが無料と思われており、保険点数もつかないので、医師はこれを臨床でできません」 別の指定医師は、現在は経営方針として中絶は受けつけていない医療機関もあります、としたうえで、それでも薬が中心になったら医業への影響は大きいでしょうと話した。 「中絶は掻爬でも吸引でも、10分の手術で10万円前後、1日に5件行えば50万円になります。それが薬剤での対応になった場合、薬剤のお金と診察費用だけになってしまう」 不穏な動きも聞く。6月中旬、経口中絶薬を採り入れた産婦人科医から、悲鳴に似た声が上がった。 「保健所からうちの診療所の運用にチェックが入りました。誰か、同業の医師から『経口中絶薬で問題が起きていないか』という問い合わせが保健所に入ったとのこと。一つでも経口中絶薬によるミスを見つけようとしているように思えます」 このように医業の観点から、現場の指定医師には薬の導入に前向きになれない背景もある。では、指定医師の職能団体としての医会は、経口中絶薬にこれまでどんな視線を向けてきたのか。
「世界に誇るぐらい安全に手術をやっている」
「吸引法」で使われる器具
医会には、医会での主な協議などの活動報告が掲載される「常務理事会の主なる協議・報告事項」という文書がある。その約30年分の文書を調べたところ、経口中絶薬導入に向けた議論の記述は2013年までなかった。 初めて出てくるのは2013年2月。医会・常務理事会の協議事項には、<RU486(ミフェプリストン)に関する件(政策)>とある。 医会によれば、経口中絶薬の対応策を検討するよう厚労省から呼びかけがあったという。それを受け、2013年8月、医会内で検討部会を開催。「経口中絶薬に対する考え方」がまとめられた。これが経口中絶薬に関する医会の最初の動きだった。 医会の事務局にも確認すると、それまで「日本への導入を積極的に働きかけたことはなかった」という。 なぜ医会は採り入れようとしなかったのか。医会の現会長である石渡勇氏に取材した。 石渡氏は、自分たちの掻爬や吸引という手法が経口中絶薬よりも安全だと語った。 「初めから、日本は世界に誇るぐらい安全に機械的中絶処置(手術)をやっていますから」
日本産婦人科医会 石渡勇会長
製薬会社関係者への取材では、日本の医会が経口中絶薬に関心をもっていなかったことが開発に踏み切れなかった要因だった。治験を担当する会社に対して医会が専任の人員を配置したのは2018年。石渡氏もそれについて否定しなかった。 「私たちが製薬会社に導入を強く言わなかったということも(影響が)あるかもしれない」 では、世界各国で承認が進むなか、日本はなぜ早くに経口中絶薬に取り組まなかったのか。石渡氏は簡単に中絶できること自体に否定的な考えが日本社会にあったと答えた。 「日本では中絶に関して皆さんがよしとしていない。反対する人もいる。結婚前に妊娠すること自体がおかしいという声もある。日本は非常に慎重だったというのがありますよね」 石渡氏は、医会の指定医師たちの医療技術の高さについて繰り返し語った。その一方、掻爬や吸引で女性がどう感じるかという心理面の話には触れなかった。
「女性への配慮が足りなかった」理由は
日本産婦人科医会 前田津紀夫副会長
イギリスでの1997年の研究では、女性自身が中絶法を選択する際の「受け入れやすさ」を調査している。また、カロリンスカ大学病院の研究者の話では、スウェーデンでは薬による中絶を選択した女性に、「使い心地」をアンケートし、集計も行っているという。 日本の医会ではそうした調査は行われてこなかった。医会へ問い合わせると、〈「女性の使い心地」や「受け入れやすさ」といった視点で調査する予定はありません〉と文書で回答があった。今後も聞く意向はないということだ。 なぜ医会は女性の意向について関心を持とうとしないのか。医会副会長の前田津紀夫氏にその点について尋ねた。前田氏は、女性の意見が反映されにくかった事情をこう語る。 「2013年に医会内部で初期中絶薬に対する考え方を議論した時も、話し合った7~8人に、女性の委員は1人しかいなかった。今も、医会会員のざっと半分以上は50代以上で、男性が多い。そういうところに女性への配慮が足りなかったという反省はあります」
そうした配慮の乏しさは、現在の経口中絶薬の運用にも通じている。WHOの新ガイドライン(2022年発表)では「経口中絶薬は妊娠9週より前なら自宅で服用できることがある」と明記。海外ではその場合、「自己管理責任のもと自宅で服用」としている国もある。日本では医療機関での服用が前提。それも無床診療所は許可せず、当面有床の病院や診療所に限るという形で運用が始まった。 ある指定医師は、それが現在も普及を阻む要因になっていると話した。 「日本での人工妊娠中絶の6割は無床診療所で行われています。現在の条件が続くなら、経口中絶薬は広がらないでしょう」 なぜ条件がついたのか。多くの人に聞くなかで、医会のある幹部は、中絶薬の運用が厳格化した経緯について、宗教や保守的な政治家の影響を口にした。 「無床施設で使った場合、夜間の救急に対応できない施設が出てきてしまう。その状況を見極めるまでは有床の医療機関で使ってほしいと。厚労省は建前上そう言っていますが、実際はいろんな強い力、特に日本会議系の政治家の影響が強いと聞いています」 一方で、女性医薬の導入に関わりのある産科医からは、「避妊薬の時は、政治と宗教の影響を肌で感じることがあったが、中絶薬に限っては、直接感じる機会はなかった」という声も聞いた。 ならば実際、承認の遅れや使用条件の厳格化に、医会や政治家の影響はどれほどあったのか。
2021年の医会と政治家の動き
(図版:ラチカ)
医会役員の活動内容が記録されている「事業報告書」。2021年5月に目立った動きがあった。 〈5月15日(土)三原じゅん子厚生労働副大臣と経口中絶避妊薬について意見交換〉 この5日後、政界では、ある“議連”が発足していた。「地域で安心して分娩できる医療施設の存続を目指す議員連盟」。国会で経口中絶薬にまつわる質疑が集中的に行われていた時期だった。 資金的な支援はどうか。政治活動が盛んになると、政治献金が伴うことが少なくない。 医会がもつ政治団体「日本産婦人科医師連盟」の2021年の収支報告書を確認した。すると、上記議連に参加した議員を中心に、パーティー会費、および寄付金が支払われていた。時期は同年5月から12月までに集中し、議員側へ支払われた総額は300万円を超えていた。
(図版:ラチカ)
議連の事務局長、田畑裕明衆院議員(自民党)へは、パーティー会費が10万円、選挙区支部への寄付が計35万円。議連の幹事長、三ツ林裕巳衆院議員(自民党)の資金管理団体への寄付が10万円。ほかにもパーティー会費が複数の議員に支払われていた。多くが「安倍派」と言われる清和政策研究会の面々だ。さかのぼって3年分の収支報告書にも目を通したが、田畑、三ツ林両議員への献金は他の年には見られなかった。 報告書を精読すると、献金の実施とほぼ同時期に、医会幹部と厚労省との間で、中絶薬についての協議が重ねられていた。
2021年の収支報告書(左が三ツ林裕巳議員の資金管理団体、右2枚が医会の政治団体「日本産婦人科医師連盟」)
とはいえ、薬の承認は厚労省の承認審査を担当する部門が受け持ち、外部機関で薬の有効性・安全性に基づき承認の有無を判断する。1990年代に審査管理に関わった元厚労省の森和彦氏は、「かつて国会で随分議論されましたし、今は政治の横やりは承認の過程には入ってこないはず」と語る。 ならば、政治家がどこで影響力を及ぼすのか。
薬の承認後の運用は議員の意向が反映された
自民党の田畑裕明議員
二人の自民党議員に尋ねた。 田畑裕明議員は、今年4月12日の自民党の厚労部会・薬事小委員会で委員長を務めた。厚労省の薬事・食品衛生審議会で経口中絶薬の承認が検討される直前のことだ。 この薬事小委員会を経て、「厚労省側が経口中絶薬の運用に関する説明を硬化させた」と医薬専門紙が報道していた。「有床施設で外来や入院」という当初の説明が、薬事小委員会終了後には「入院可能な有床施設で入院または外来」と「入院」を強調する表現に変わったという。 この時のことを尋ねると、田畑氏は薬の承認後の管理体制は話題になったと語った。 「この薬は母体保護法上の指定医師が、薬の使用の管理をすることになっていますよね。使用後の報告も含めて、きちっと厳格にしなければいけないという指摘は(自民党内で)ありました」 一方、議連への参加や献金については、中絶薬政策との関連は否定した。
議連で幹事長、また現在、衆議院厚生労働委員会で委員長を務める三ツ林裕巳氏は議連の主なテーマは2024年4月からの医師の働き方改革や「地域の産科医療施設の存続」のほうだと語った。 経口中絶薬について、三ツ林氏は「安易に広まってほしくない」という慎重な立場だが、承認について圧力をかけたことはないという。ただし、運用に関しては一部の議員の意向が反映されていると認めた。 「薬事小委員会では『縛りをかけて慎重にやりましょう』という方向に動いた。最初は全員入院を条件とすべきだという意見も結構あった。それが『いざという時は入院できる』という方針に落ち着いた。そこで有床施設でスタートすることになったんです」
三ツ林氏は元内科医。だからこそ厚生労働委員会にも属している。それでも「産婦人科医療に詳しかったわけではない」という。では、経口中絶薬の運用に関して具体的な助言をした人がいたことになる。誰だったのか。尋ねると、三ツ林氏の答えは明快だった。 「医会です。議員はしょせん専門家じゃない。医会の先生方の意向を十分に踏まえないと運用できないですよね」 話は政治の場を経て、また医会に戻った。
厚労省への要望書には「医療機関の収益性」への懸念も
2013年に医会が厚労省に出した「経口妊娠中絶薬『RU486(ミフェプリストン)』に関する要望書」
薬の承認後の運用については医会の意向が強く働いていたというが、医会の内部ではいつから議論されていたのか。 医会の事業報告書をあらためて検証していくと、ある“要望書”を見つけた。 日付は2013年9月25日。「経口妊娠中絶薬『RU486(ミフェプリストン)』に関する要望書」という文書。厚生労働省雇用均等・児童家庭局母子保健課長宛てと明記されている。 「母体保護法指定医が用いることが、大前提」「適応、方法、管理法と管理料など、薬剤の医学的効用から、使用上の留意点など、慎重に検討しなければならない」「使用方法や数回の受診の必要性」と今の運用要件につながる内容が記されていた。「医療機関の収益性」への懸念も訴えている。
要望書を出したのは、昨春まで医会の会長を務めていた木下勝之氏だった。2021年の議連と医会との間をつないでいたのも木下氏だった。 であれば、運用について、そして、日本で導入が遅れた理由について、木下氏に聞く必要がある。 何度かの交渉を経て、6月中旬、木下氏は取材に応じた。木下氏が経営する都内の病院を訪ねた。 フランスで1988年に承認された経口中絶薬が、日本で今まで導入されなかった理由は何か。その問いに、木下氏は薬の存在は知っていたが、日本に導入する必要はないと考えていたと答えた。
WHOは2012年に発表した改定版ガイドラインで、掻爬法による手術は時代遅れで、安全な吸引法に「切り替えるべき」で、経口投与による中絶薬も「推奨される方法」と明記
──なぜ必要ないと考えたのでしょうか。 「薬は90%で成功するというが、残りの10%の人は無効で手術が必要になります。日本の中絶手術が大事です。今も指定医師が麻酔をかけて、15分ぐらいで処置をして傷もなく安全にやっています。外国では手術が訓練されていません」 ―― 2013年の時点で、要望書を提出して経口中絶薬に厳格な管理と運用を求めていますね。 「当たり前のことを言いました。医師には『安全に手術している。導入は必要ない』と言う人たちもいましたから。しかし、もう医学の進歩だと思いました」 ──運用の条件が厳しいという声があります。 「私どもは責任を持ってやる以上、安全を期すわけです。問題点を示して、理解を促した上で選択肢を増やすことになります。ただ、どっちがいいかって言ったら、手術療法なら短時間で、寝ている間に終わるという利点もあります」 2004年、経口中絶薬を個人輸入で使う人たちが増えた際、厚労省はリスクを警告する通達を出した。そんな局面でも、医会の報告書には導入するような文言は記載されていなかった。この時に経口中絶薬を導入することを検討しなかったのだろうか。問うと、木下氏は「考えませんでした」と答えた。 「私たちが決めたところで、インターネットで購入し、使ってしまう人たちはいる。それは避けられません」
「望まぬ妊娠は絶対に起こります」
また、前田副会長も認めたように、医会は女性の心理について軽視してきたように映る。掻爬などの手術に抵抗を感じる女性もいるし、WHOも経口中絶薬を推奨してきた。木下氏はそれをどう受け止めるのか。 「WHOは、薬のほうが安全ですと言っています。しかし日本では、それに従う必要はないと思います。WHOは発展途上国の人たちの対応を主眼にして物事を進めています」 ――先進国でもフィンランドで9割、イギリスで8割を超す女性が手術より薬を選んでいますが。 「国民性の違いもあると思います。問題は、例外的なことにいかに対応するかを考えなければなりません。患者さん方が困らないように、我々は手術を覚えることを勧めています」 ――今回、中絶薬を扱うのは有床の医療施設に限るという制限された運用で導入されました。 「患者さんが帰宅してから出血して夜中に大きい産科を訪ねていくようになったら、『無床診療所の先生は、なぜ中途半端なことをするんだ』と言ってトラブルになる可能性もあります。従って、当面大きい施設に導入するのがいいという話になりました」 ――誰からその意見が出たのでしょうか。 「治験が終わってから、医会と(日本産科婦人科)学会の担当者が議論して決めたことです。無床診療所の医師も、夜中に出血などで患者さんが来るのは困ると言っています」 取材は1時間強に及んだ。木下氏の考えは、石渡会長と同様、手術という「世界に誇る手段」があったからこそ、経口中絶薬の導入が必要なかったというものだった。それが導入の遅れに関わってきたことを示唆していた。また、手術の「安全」に傾くあまり、女性が受ける心理的な負担が深く顧みられていた様子でもなかった。 ただし、木下氏から悩ましい思いが漏れる場面もあった。母体保護法について言及した時だ。 「不本意なことでしょうが、望まぬ妊娠は絶対に起こります。母体保護法のポイントは、法の下で中絶が許可されたことです。法律の下で指定されたドクターがいかに安全に対応してあげるかが大事なのです」 では、その母体保護法自体は、今の時代にふさわしいのか。その点も考えてみたい。(第3回へ続く) 古川雅子(ふるかわ・まさこ) ジャーナリスト。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいの当事者、医療・介護の従事者、イノベーターたちの姿を追う。「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など。 --- 「#性のギモン」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人間関係やからだの悩みなど、さまざまな視点から「性」について、そして性教育について取り上げます。子どもから大人まで関わる性のこと、一緒に考えてみませんか。
2023/7/29(土) 17:00配信
4月に承認された経口中絶薬。日本では中絶手術が続けられ、「飲む中絶薬」は世界で初めて導入されてから35年も遅れた。遅れの背景に、中絶を「女性の罪」とする明治生まれの法律「堕胎罪」の影響があると識者は語る。懲罰の対象は女性のみで、妊娠相手の男性は問われない。そもそも中絶は合法的に受けられるのに、なぜ堕胎罪が残っているのか。この法律は現代に合っているのか。専門家や研究者、政治家に話を聞くなかで、新たな証言を得た。(文・写真:ジャーナリスト・古川雅子/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
独自に行った28人への取材をもとに、3回シリーズで「35年の真相」を追う。最終回の本記事では、「堕胎罪」の見直しについて取材した。
明治2年生まれの法律「中絶は犯罪」
優生保護法問題に取り組む大橋由香子氏
2020年6月、愛知県の元看護学生の女性(当時20)が逮捕された。妊娠相手の元同級生の男性との相談で、女性は、「経済的理由」により中絶すると決めた。ところがその後、男性は連絡を絶った。女性は病院で求められた「配偶者の同意」が得られず、「妊娠22週未満」と決められている中絶可能な期間を逃してしまい、公園のトイレで出産。だが、新生児を放置して死なせたとして、死体遺棄、および保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。後に、懲役3年執行猶予5年の有罪判決となった。 本来、日本において中絶は合法的に受けられるはずだが、中絶へ手が届かずに事件へと発展してしまうことがある。 優生保護法問題に取り組み、任意団体「SOSHIREN女(わたし)のからだから」のメンバーでもある大橋由香子氏は、こうした事件の背景には古い法律の存在があるという。 「堕胎罪です。孤立出産のことが報道されると、必ず女性を責める声が上がります。それは根本のところで、日本はいまだ『堕胎罪がある国』だからです」
現行の刑法にも、明治の堕胎罪が引き継がれている
堕胎禁止令が出されたのは1869(明治2)年。その後1880年に旧刑法が作られ、堕胎罪が盛り込まれた。大日本帝国憲法が成立する前のことで、フランスの刑法を模したものだった。明治後期の1907年に現在の刑法になり、「堕胎罪」として罰せられる規定ができた。 堕胎罪とは、つまり「中絶は犯罪」とする法律だ。現行の刑法の条文にはこうある。 〈(堕胎)第二百十二条 妊娠中の女子が薬物を用い、又はその他の方法により、堕胎したときは、一年以下の懲役に処する〉
発想の前提にあるのは明治の家父長制と欧米列強のキリスト教的価値観で、胎児は家父長のものという考え方だ。懲罰の対象は女性のみで、妊娠相手の男性は何も問われない。116年も改正されていないことに大橋氏は驚くという。 「今でも同じ条文のまま存在していて、妊娠して産まないことは犯罪なんです。だから、現在に至っても、女性に負担の少ない経口薬がなかなか承認に至らなかったし、承認されても使える病院が少なく、院内待機を条件とされ、さらに高額でもあり、問題だらけなわけです」 つまるところ、この堕胎罪があるために、中絶医療の運用に「女性の健康に必要な医療である」という視点が欠如し、ひいては経口中絶薬の承認までの壁やアクセスの悪さにも影響を与えたということだ。
「女性の罪」は残し、例外規定としての中絶合法化
母体保護法では、堕胎罪を逃れて中絶できる「例外」を定めている
中絶を罪とする内容そのものが現代の生活に全くそぐわないと大橋氏は言う。 「強制性交による妊娠もありますし、既婚者で3人目は育てられないとか、事情はいろいろです。なのに、予期しない妊娠をしたら産むしかないとなれば、自分で人生を選べないことになります」 そもそも堕胎罪があるのに、中絶ができるのはなぜなのか。それは、1948年の優生保護法によって「例外」として認められたからだ。 同法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止」し、「母性の生命健康を保護すること」を目的としてつくられた。当時、国は人口増加に直面しており、人口を減らし「質」も管理するという人口政策が目的だった。だが、後年「優生上」という人権侵害が問題視され、1996年に母体保護法に改正された。その際、中絶できる要件が次のように改正された(概略)。 〈「身体的又は経済的理由」によって妊娠の継続や分娩が母体の健康を著しく害するおそれのある場合〉 〈「暴行もしくは脅迫」の結果としての妊娠の場合〉
日本で女性が中絶する場合、厚労省が見解を示す例外を除いて「配偶者の同意」が求められる
「避妊法の普及には時間がかかる。だから人口を管理する方便として、禁止していた中絶を許可する条件を『例外』として決めたんです。ただし中絶が悪いという『女性の罪』は残す形で」(大橋氏) この時、堕胎罪は廃止されなかった。また、優生保護法にはもう一つ女性への縛りがついていた。「配偶者の同意」だ。愛知県の女性も、この縛りでつまずいた。これも母体保護法に引き継がれた。
「結婚していない場合」(2013年厚生労働省通知)と「強制性交罪が成立する場合」(2020年同)、および「妊婦が夫のDV被害を受けているなど、婚姻関係が実質破綻し、同意を得るのが困難な場合」(2021年同)は、「配偶者の同意」が必須ではないと厚労省が見解を示している。このケースであっても、今も相手の同意を求める医療機関はある。それは医師側の事情にあると大橋氏は言う。 「同意を得ずに中絶をしたことで、相手の男性から産婦人科が恐喝されたり訴えられたりした事例がわずかながらある。医師からすれば、トラブルを避けたいという心理が働くのでしょう」 世界的な人権団体「Center for Reproductive Rights」によると、世界203の国・地域のうち、中絶に「配偶者の同意」を法的に規定しているのは、日本を含めて11のみだ。日本は国連の女性差別撤廃委員会から2016年に「配偶者同意規定の廃止」の勧告を受けた。 だが、見直しの議論は進んでいない。
戦後まもなく定められた「指定医師」が特権に
政治学者の岩本美砂子・元三重大学教授
政治学者で、女性学にも精通する岩本美砂子・元三重大学教授によれば、優生保護法は、審議らしい審議も経ずに堕胎罪の例外規定が定められ、中絶が「合法化」されたという。 合法のもと、医師から手術を受けられるようになったことは、当時、望まぬ妊娠に困った女性にはプラスになった面もあったと岩本氏。合法化前は闇中絶で命を落とすケースも相次いでいたからだ。その頃は、リスクの高い中絶手術を獣医や衛生兵までが請け負っていたという。 性急に仕組みが整えられた代償もあった。 優生保護法の原案は1947年、日本社会党だった衆議院議員、加藤シヅエらによって書かれたが、後に日本医師会会長も務めた参議院議員の谷口弥三郎が、加藤案を改変して提出し直し、成立させたのだという。 谷口は法案通過の翌年、1949年に「日本母性保護医協会(現・日本産婦人科医会)」を創設。優生保護法の第14条に「経済的理由による」中絶を許可する条文を加える改正案を成立させた。さらに1952年にも中絶を受けたい女性が中絶しやすくなるよう改正をほどこした。 この時の経緯が今も尾を引いていると岩本氏は指摘する。 「谷口弥三郎は産科医でもあり、刑法堕胎罪の条文は残した上で、優生保護法で定める『指定医師』にだけ中絶手術を許可するという仕組みを採り入れた。その後、中絶の実行権を与えられた産科医は、生計の糧でもあった中絶へのアクセス向上政策を急速に推し進めていったんです」
優生保護法第12条、人工妊娠中絶を行うことができるのは「指定医師」だけと規定した条文は、1996年に改正された母体保護法でも引き継がれた。今でも各都道府県の医師会が産婦人科医の中から「指定医師」を決める。「指定医師」以外が中絶を実施した場合、それが医師免許を持った人であっても「堕胎罪」で罰せられる。 「当時から行われていた掻爬(そうは)法という中絶手術は、下手をすると子宮に穴を開けたりするから、“特殊職人芸”だった。結果的に、日本では中絶を合法化する時、手術を行う『指定医師』という存在自体が権力になってしまったわけです」(岩本氏) すべての女性がSRHR(性と生殖に関する健康と権利)を享受できる世界を目指す国際協力NGO「ジョイセフ(JOICFP)」理事の芦野由利子氏は、1948年にいち早く中絶を合法化した日本は、いまや避妊薬・中絶薬の後進国だと言う。1967年にイギリス、1975年にフランスなど欧州では1970年代前後に中絶が合法化されたが、「それは女性たちが闘い取ったもの。日本の合法化は国の人口政策の一環で、女性にとっては、『ある朝目が覚めたら、中絶が合法化されていた』のが実情。欧米との違いの持つ意味は大きい」と話す。
低用量ピルは、欧米より約40年遅い1999年の認可だが、女性の声は大きくは上がらなかった。 「避妊は主にコンドーム。中絶は合法という事情に加え、マスコミが『ピルの副作用は怖い』と喧伝した影響は無視できない」(芦野氏) 今春承認された経口中絶薬「メフィーゴパック」を扱う医療施設は7月23日の時点で34カ所。指定医師のいる施設は全国に4176はある(2019年)が、その1%にも満たない。 中絶薬の正確な情報を含め、性は人権という視点の性教育が喫緊の課題だと芦野氏は言う。
「堕胎罪は見直すべき」と語る厚生労働委員長
低用量ピル(写真:アフロ)
生殖のコントロールにまつわる女性運動が、世界では「避妊(1960年代)→中絶(1970年代)」へと向かったのに対し、日本では「中絶(1948年の脱犯罪化)→避妊(1999年の低用量ピルの認可)」と正反対の道をたどった。
中絶問題を研究する塚原久美氏は、中絶手法の変遷が女性の意識の変化にも大きく関係していると語る。 「スプーン状の金属の器具で掻き出す掻爬法の術式そのものが侵襲的で、『中絶=罪』という女性のスティグマ(負の烙印)を強めていた側面があります。それが、1970年代に体にやさしい素材であるプラスチック器具で吸い出す『吸引法』という外科的処置が欧米に広まり、1980年代の終わりからは経口中絶薬も選択肢に加わった。海外は身体に負担の少ない方法をどんどん採り入れて、女性のスティグマを弱めていったんです」
衆議院議員の三ツ林裕巳氏
世界にも堕胎罪が存在する国はあるが、韓国では2021年に堕胎罪が無効になり、「配偶者の同意」の要件も失効した。台湾でも中絶法改正に向けた動きが進んでいる。 一方、日本においては堕胎罪が廃止されずに残り、それを生かす形で優生保護法、そして母体保護法がつくられた。その結果、指定医師だけが中絶を許され、彼らの特権が揺るぎないものになり、経口中絶薬への取り組みが放置されてきた、という構図につながった。 日本の政治家は、堕胎罪の問題をどう考えているのか。 衆議院厚生労働委員会の委員長で、医師でもある衆議院議員の三ツ林裕巳氏(自民党)は、堕胎罪は見直しを検討すべきだと意見を述べた。 「堕胎罪の問題は難しいが、何らかは変えるべきだとは思います。たとえば、現行法では、胎児は3カ月までは法律上『物』として扱われる。人になるのは4カ月目からで、それ以降の中絶は『死産』だとして、出産一時金で実施される。運用が違うんです。さまざまな問題があり、堕胎罪が本当にこの時代に合っているのかというのは、検討しなければならないと思いますよ」 三ツ林氏は、優生保護法が犯した過ちにも言及した。 「この法律が1948年にできて、1996年まで続いてきた。普通見直すでしょう? その間、『この人は将来子どもを残しちゃいけない』といった優生条項が残っていた。政府がどう補償していくかを問われ、今議論しているところですが、著しい人権侵害ですよ。信じられないことに、当時は議員立法で全会一致で成立した法律だったんです」
こうした反省から、あくまでも「当事者の立場」を考えた法律の策定が大事なのだと三ツ林氏は述べた。一方で、経口中絶薬については認めつつも、運用にはなお慎重な姿勢を見せた。 「メフィーゴパックに関しては、選びたいという女性がいっぱいいると思う。ただし、本格的な導入は安全性をしっかりと担保してからだと。そういう方針は、僕は間違いじゃないと思う」
その後の人生への影響を考えて
「対馬ルリ子女性ライフクリニック銀座・新宿」理事長の対馬ルリ子医師
「中絶手術を受ける産科医から蔑むような視線を投げかけられたり、説教をされたりしました」 そうした女性の経験は、取材の過程でたびたび耳にした。ただでさえ罪悪感が強い中絶に及んで、医師からそんな扱いをされると、「もう妊娠できない」と思い込んだり、「自分はダメな人間だ」と自尊感情が低くなったりと、その後の人生への影響が少なくない。 そもそも完全な避妊方法は存在しない。そのうえ、フランスやカナダでは低用量ピルの内服率が約30%なのに対して、日本では2.9%(「避妊法」2019)と、極端に低い。そのなかで避妊に失敗し、中絶を余儀なくされる場合、どのような手段で臨むのかは女性にとっては大きな問題だ。
メフィーゴパックの臨床試験に参加し、現在は自院で薬による中絶を採り入れている「対馬ルリ子女性ライフクリニック銀座・新宿」理事長の対馬ルリ子医師は、北欧の事例を引いて、日本が向かうべき方向性を示した。 「北欧では、中絶は女性にとって単なるアクシデント、そんな経験もクリアして次の妊娠に向けて進むんだ、という言葉をよく聞きました。中絶した人に向ける周囲の視線も前向きなものです。人生は長く続きますのでね」 対馬氏は、中絶の経験を「未来志向の視点に変えていく」ことが大事だと話した。 「診療で経口中絶薬を使うようになり、『負担の少ない方法で中絶ができてよかったね。今後避妊のことも、望みに沿って相談に乗るからね』って声かけができるようになった。中絶の経験も、医療者とのよい関係性ができたという『お土産』に変えていければ、日本も変わると思うんです」 古川雅子(ふるかわ・まさこ) ジャーナリスト。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいの当事者、医療・介護の従事者、イノベーターたちの姿を追う。「AERA」の人物ルポ「現代の肖像」に執筆多数。著書に『「気づき」のがん患者学』(NHK出版新書)など。 --- 「#性のギモン」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。人間関係やからだの悩みなど、さまざまな視点から「性」について、そして性教育について取り上げます。子どもから大人まで関わる性のこと、一緒に考えてみませんか。
2023/7/30(日) 13:00配信
都内の私立高校、大東学園高校の1年生は、週に1時間、「性と生」の授業を受ける。最新のセクシュアリティやジェンダーの知見を取り入れた、体系的に性を学ぶ総合学習だ。同校の教員たちは25年かけて独自の教材を練り上げてきた。一方で、学校によっては「性教育をしたくてもできない」と嘆く教員がまだまだ多い。誰が教えるのか。どう教えるのか。教える側の悩みを探った。(文:岡本耀/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「セックスしたい」どう対応するか
大東学園高校の「性と生」の授業の様子(撮影:鈴木愛子)
東京都世田谷区にある私立高校、大東学園高校には「性と生」という性教育の総合学習がある。これは体のことだけでなく、人間関係や人権などを含み、性の多様性を基盤に据えた「包括的セクシュアリティ教育」(以下、セクシュアリティ教育)だ。 生徒たちはこの学習を通して性について知るだけではない。人の意見を聞き自分でも考え、この先の人生でより良い行動選択ができるように力をつけていく。 この新しい性教育をするに当たり、教員たちはどんなことに気をつけたり、難しさを感じたりしているのだろうか。今年6月、週に1度開かれる教科会を見学させてもらった。
阿部和子先生(左)と三坂央先生。大東学園高校の総合学習「性と生」の教科会で(撮影:鈴木愛子)
担当する教員は8人で、男女2人1組で授業を受け持つ。 教科会では、阿部和子先生(66)と三坂央先生(45)のペアから「生殖をめぐる科学と人間関係」の「思春期」の授業後、ある男子生徒が「セックスしたくなってきた。ペニスさしたい」と、自分の性欲だけを主張する感想を書いたという話が出た。授業の感想は毎回、無記名で集められ、他のクラスの生徒にも共有される。 「性と生」は総合学習なので正解や不正解はなく、生徒たちには自由に考えさせている。そのためなかには「この考え方はいかがなものか」という意見が、授業中にも出てくることがある。町井陽子先生(35)は、その対処に難しさを感じている。 「教える側としては言わなければならないこともあって、自由にさせることとの間に矛盾を感じるときがあります。そういうとき、とっさに何を言っていいかわからなくなる。まだ経験値が足りないところがあります」
1996年から続く「性と生」の授業に同校の教員として当初から関わり、今も非常勤講師として教え続けている水野哲夫先生(68)はどう考えるのか。 「『ペニスさしたい』というような感想もカットせず印刷して配ると、『誰だよ、こんなこと書いたのは』とか『こういうのはシカトがいちばん』などという発言が出たりします。こんなふうに生徒たちの間で笑われてもいいし、みんなで真剣に考える対象にされてもいい。教員からは『自分の欲望のままに書くのはどうか』くらいは言っていいと思います。対処の仕方は一つではないと思います。大事なのは授業に関するどんなコメントも分析と批評の対象とすることです。真剣な意見が多くなれば、ふざけたものは減っていきます」
大東学園高校の総合学習「性と生」の教科会の様子(撮影:鈴木愛子)
阿部先生は、「ペニスさしたい」という感想に対し、他の生徒から「怖い」「ちゃんと教えてもらっているのに、しっかり学ばないのかな?」などの意見が出た、と言う。 阿部先生と三坂先生は授業で、「この言い方は相手に自分の欲求を一方的に押しつけているだけだよ。相手も人権を持った一人の人間なのだから、相手の意見を尊重して合意の上でなければいけないのじゃないかな」と伝えた。 「こういう感想に対して『それはダメでしょ』と教師が言ってしまっては、こちらの価値の押し付けで道徳の授業になってしまいます。道徳でものを言うのは簡単ですが、『性と生』は生徒が科学的にものを考えて自分でつくっていく授業です」(阿部先生)
性を教える教員にも、安全な学びの場を
町井陽子先生(撮影:伊藤菜々子)
多くの小・中・高等学校では、いまだに十分な時間が性教育に割かれることはない。先生たちも例外ではなく、ごく基本的な性の知識しか与えられてこなかった。町井先生は、「性と生」を担当してその内容に衝撃を受けたという。 「当初は性について教えること自体にも抵抗感がありました。でも出産を経験したタイミングで副校長から『見方が変わるから一度はやってみたほうがいいよ』と言われ、思い切って担当になりました。1年目は『私は何も知らないから』と生徒たちに正直に伝えて、ペアを組んでいる水野先生の授業を受ける形に。そこで、体のつくりだけでなく人権なども学ぶことに感動し、これは絶対に生徒に知ってもらわないと、と思いました」 「男らしさ」や「女らしさ」の固定観念を崩すジェンダーの授業からは、自分もその固定観念に縛られていたことに気づいたという。 「それまでは『女子なんだから足を閉じなよ』『男子なんだからしょうがないよ』などと生徒に平気で言っていたんです。今ではまったく意識が変わりました」
性をめぐる考え方は社会の動きに合わせて日々、更新されていく。例えば、性の多様性については近年、理解が大きく進んだ。授業でも以前は、「性的マイノリティの人たちと私」というように分けて考えていたが、現在では「多様な性の一人としての私」というように捉え方が変わっている。 キャッチアップしていくために学校の外に学びの場を求める先生もいる。性教育に携わる教員が「性を教える方法」を学ぶ場の一つが、一般社団法人“人間と性”教育研究協議会(以下、性教協)だ。 教員が中心となって1982年に設立された性教協は、セクシュアリティ教育の理論や実践について研究・シェアしている組織だ。教員だけでなく、研究者、助産師、産婦人科医、養護施設の指導員や教員、性に関する電話相談を行っている人、保護者など幅広い立場の人たちが参加している。会員は800人を超える。全国各地にサークルがあり、サークル活動での研究や実践を夏期セミナーなどに持ち寄って報告し合う。また、「季刊セクシュアリティ」というセクシュアリティ教育に関する専門誌を企画・編集している。
荻野雄飛先生(撮影:鈴木愛子)
水野先生は性教協の代表幹事で、「性と生」の教科主任をしている荻野雄飛先生(30)も会員だ。 「初めて『性と生』を担当した6年前にセミナーで授業の報告をしましたが、自分のようなまだ経験の浅い若者にも温かい応援がありました。そのことで次の学期から頑張ろうと思えた。引っかかっていること、知恵をもらいたいことを、誰からも否定されることなく相談できる安心・安全な場です」 代表幹事の一人である埼玉大学の田代美江子さんは、性教協についてこう語る。 「とても自由な組織です。誰も権威的ではなくフラットで、若い人たちとも議論をします。セクシュアリティ教育について、教員も子どもたちも正しい答えを知りたがりますが、性教協に統一見解があるわけではありません。例えば、男女の性器をどう呼ぶかについても、率直に議論をします。親しみのある言い方の『おちんちん』『おちょんちょん』という呼称を大切にする人もいます。また『外性器』『ペニス』『ワギナ』といった正確な言葉を使うことを重視する立場もあります。お互いの意見を言い合いますが、どちらかに決めるということはしません」
性教協に参加している学校の先生は、どのようなことに悩んでいるのか。 「何よりも、セクシュアリティ教育の授業時間の確保が難しいことと、適切な教材がないことです。加えて多忙化の問題があります。それと、先生たちが性について学ぶ場がなかなかないこと。かつては性教協のセミナーに参加することは学校で出張扱いにされていたこともあったようですが、今は業務外とされています」 性教協のセミナーなどでは授業案もシェアされている。それを用いて授業をすることもできそうだが、そう簡単ではないという。 「例えば『ふれあいを学ぶ』という授業で、『先生が生徒一人ひとりと握手をする』という実践内容があるとします。これは先生と生徒の関係性ができていれば成り立ちますが、そうでないクラスでは握手をしたくない子がいるかもしれない。無理にすれば生徒の人権を侵害してしまいます。そういう発想が必要で、セクシュアリティ教育の授業には実践者の人権感覚が表れます。ちゃんと学んで自分のセクシュアリティやジェンダー観、生き方を問い直さなければならない。そして子どもと一緒に学べる人でないと、人権に基づいた性をポジティブに捉えられるような教育はできません」
バッシングは教育現場を萎縮させた
大東学園高校の図書室。スポーツ雑誌と並んで「季刊セクシュアリティ」が置いてある(撮影:鈴木愛子)
性教協に参加して荻野先生が驚いたことがある。セミナーで発表したとき、参加者から「どうやったら学校で性について教えられるんですか?」という質問が多く出たのだ。 「そのとき、他の学校では自分が思ったよりずっとセクシュアリティ教育自体ができない状況を知りました。自分の生徒たちは授業によって生き生きして、自分を守り自分らしく生きるすべを見つけていっているのに、そういう授業をさせてもらえない。すればむしろ問題になってしまう、と聞いて愕然としました」 それにはこういう背景がある。学習指導要領には小5理科で「受精に至る過程は取り扱わない」、また中1保健体育で「妊娠の経過は取り扱わない」とあり、これらは「はどめ規定」と呼ばれている。高校においても「生殖に関する機能については、必要に応じ関連付けて扱う程度とする」という「はどめ」がある。これが学校教育に、性交について教えることを避けさせている。しかし性交を教えなければ、妊娠や避妊など大事なところがあいまいでごまかしたような内容になってしまう。 それでもさまざまな事情から、子どもたちのために性についてごまかさずに教えている学校はある。都立七生養護学校(当時)もそのひとつだった。その教育が2003年、一部の都議会議員らから「学習指導要領を逸脱している」などと激しくバッシングを受け、東京都教育委員会は校長らを懲戒処分にした。 当時の教員や保護者らは、こうした都教委や都議の介入は違法として、損害賠償請求訴訟を起こし、2013年に最高裁で都や都議の敗訴が確定した。判決では学習指導要領について「その一言一句が拘束力すなわち法規としての効力を有するということは困難」とされ、七生養護学校での性教育に学習指導要領違反はないと認定された。つまり学習指導要領を超えた指導でも直ちに「違反」にはならないということだ。
ところが、その後も都内の中学校の授業に対して同様のバッシングがあった。このときは区教委が「問題ない」とした。 「バッシングは教育現場を萎縮させました。『面倒なことになるから性教育はあえてしなくていい』と考える学校の管理職は多いと思います。『はどめ規定』がある限り、先生たちは安心して性について教えられないということです。セクシュアリティ教育をすべての子どもたちに届けるためには、『はどめ規定』をなくし、セクシュアリティ教育を推進する法的基盤が必要です」(田代さん) 教えたいと思っても、先生たちがセクシュアリティ教育を学ぶ場は限られていて、学校の環境も整っていない。こうした困難な状況にあっても性について学校で教えることには、どんな意義があるのか。田代さんはこう考えている。 「学校の先生が性について教えてくれることで、子どもたちは性をポジティブに当たり前のこととして捉えることができます。一方でセクシュアリティ教育を実践するためには、先生方も子どもとともに学ぶ必要があります。この姿勢はある意味、教育の本質であり、だからこそ実践する先生方のほとんどが、子どもたちとの信頼関係が深まることを実感できるのだと思います。学校が変わらないとセクシュアリティ教育ができない現状もありますが、セクシュアリティ教育の実践は、子どもを大切にする学校づくりに確実につながります」
--- 岡本耀(おかもと・よう) フリーライター。主に性教育の分野で取材・執筆活動を行う。
2021/12/3(金) 17:15配信
「性教育」は、単に性交や避妊について教えるのではなく、性の多様性を知り、社会生活を送る上で必要なさまざまな知識を身につけること──。そんな理念で、1年生の総合学習で「性と生」を教える高校がある。生徒からは「高校の授業で多様性について学べてよかった」「人生が変わっていく」といった声が聞かれる。何が生徒を変えるのか。大東学園高校(東京都)の授業を取材し、今年卒業したばかりの生徒の声も聞いた。(文:岡本耀/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
カップルなのになぜ暴力に?
大東学園高校の総合学習「性と生」の授業風景(撮影:鈴木愛子)
東京都世田谷区にある私立高校、大東学園高校には「性と生」という独自の総合学習がある。普通コースと福祉コース合わせて約330人の1年生の必修で、年25時間ほど。テストはなく、出席と年4本のレポートで単位認定される。「性と生」の授業内容は性教育だ。「性を通して多様性や自分らしい生き方を考える」ことを大切に、1996年に始まった。 通常、小・中・高等学校では保健体育などの授業の一部を使って性教育が行われる。近年では、産婦人科医や助産師を招いて「出前授業」をしてもらう学校も増えてきてはいる。そうした中で、大東学園高校のように必修科目となっているのはかなり珍しい。 それだけに、生徒も最初は戸惑う。「やりたくない」「気持ち悪い」と抵抗を感じたり、「エロいのでは?」と思ったりする。ところが1年後には、「やってよかった」「いやらしくない」という感想に変わる。何が生徒を変えるのか。 今年6月、「性と生」の授業を見学した。チャイムが鳴って生徒たちが席につく。普通コース1年B組には男子25人、女子13人。ブレザーやシャツ姿が多いが、トレーナーやパーカーを着ている生徒もいる。授業が始まっても、教室は少し心配になってしまうほど騒がしいままだ。
授業の様子(撮影:鈴木愛子)
今日の授業のテーマは「デートDV」。プリントに6コマのマンガが二つある。どちらも付き合いはじめた高校生の男女の話だ。 一つ目のマンガでは、別の女の子と仲良くしている彼を見て、彼女が「浮気者!」と激怒する。そして「私以外の女子と話すの禁止!」と彼のスマホから勝手にLINEの連絡先を削除してしまう。彼は「好きだからしょうがないのかな」とつぶやく。 二つ目のマンガでは、彼が「エッチしよう」と言うが、彼女は「したくない」からはぐらかす。すると彼は「オレのこと好きじゃないのかよ!」と彼女を突き飛ばす。彼女は「好きだからエッチしなきゃいけないのかな」と悩み、彼もまた「オレ、おかしくないよな」と考え込む。 先生は、「この人たちがなんで暴力に走るのか考えてほしい」と問いかける。生徒たちからは、「思い通りにならない」「自分に自信がない」「相手を信用していない」「独占したいから」……などの意見が出た。
先生が、「LINEの連絡先を消されても、彼は怒っていない。なぜかわかる?」と聞くと、生徒から「好きだから」の声。先生は「それが『恋愛による勘違い』。好きだったらそうしないといけないと思ってしまう。この『恋愛による勘違い』も暴力の要因になる」と伝える。そして12の「恋人同士ならこうしなければ」と思いがちなことを生徒に提示する。生徒は「その通り」と思うものに◯をつけていく。比較的男女の差が見られた質問は、以下の三つだった。 「深く愛し合っていれば、お互いの気持ちが分かるはずだ」に◯をつけたのは、女子1人に対し男子は10人。「恋人同士の約束事は何より優先するものだ」に◯は女子3人に対し男子11人。「愛されるためには、相手の期待にこたえなくてはならない」は女子0人に対して男子は5人が○だった。 先生が「実はこのアンケートの質問は、すべて『恋愛による勘違い』だと言える」と告げると、教室の空気が少し変わった。 担当した水野哲夫先生(68)はどのような意図でこの授業を行っているのか。
アンケート結果をその場で示す(撮影:鈴木愛子)
「アンケート結果から、『恋愛とはこういうものだ』という思い込みの仕方が男子と女子とで違っている、ということは言えると思います。この社会の中でドラマや映画、マンガなどの形で流通している恋愛に関する常識みたいなものの影響を受け、それはジェンダー(社会的・文化的につくられる性差、性別役割)の差をもって受け止められている。このアンケートはまずこの違いに気づいてもらい、なぜなのか考えるきっかけにすぎません。しかし、考えるきっかけがあるのとないのとでは大きく違います」 この授業では、生徒が意見を自由に言え、聞けるようにしている。先生は生徒が話をしていると、その内容に耳を澄ましている。 「騒がしいのは何かを考えているということなので、ただ静かにしているよりずっといいんです。教員が考えを言うこともありますが、教員の言うこともクラスの意見の一つでしかありません」(水野先生)
授業中、生徒の一人が「ジェンダーがどうのって(よくこの授業で)言うけど、アンケートの最初で男女を選択させているよね」と言う声が聞こえてきた。 「性と生」は独自の教科であるため、教科書はない。テキストとなる「学習資料集」は担当教諭らによってつくられ、毎年改訂されている。一年の最初に学ぶのは、「性の多様性」だ。6月のこの時期にはすでに、性は多様で一人ひとり違い、ジェンダーは「男らしさ」「女らしさ」というような性別役割のこと、と学んでいる。それを踏まえて先ほどの生徒はアンケートを男女別で取ることに疑問を呈したのだ。 「学んだことが身についていますね。たしかに、このアンケートはジェンダーを明らかにする必要があるのか、という問いは大切です。その生徒は、教員の言うことも『本当にそうかな?』と思って聞いている。それはとても大事なことです」(水野先生)
「私たちを苦しめた」ある卒業生の言葉
水野哲夫先生(撮影:鈴木愛子)
「性と生」の授業が始まる以前の同校の姿は、現在とはかなり違っていた。先生は、生徒がコンドームを持っていると「不純異性交遊」をしていると決めつけた。そして親も呼び出し、付き合いをやめるように指導していた。そういう指導をすることが生徒の生活改善につながるという考え方があった。 水野先生もそういう指導をしていた。しかし1980年代の終わりごろ、考えを大きく変える出来事があった。 「助産師になった卒業生に講演をしてもらう機会がありました。その慰労会で、彼女は『先生たちの指導は間違っていて、私たちを苦しめたと思います』と言いました。交際を禁止するだけで性について必要な知識を与えられなかったから、相談をすることもできなかった、と。私たちは非常に衝撃を受けました」 さらにショックを受けたことがある、と水野先生は言う。同僚の中には、そのような生活指導を「間違っていると思うから」と、行っていなかった先生もいたのだ。 「性について間違った指導をすることは生徒の人権を侵害することだ、とその先生たちは気づいていたんです。自分が無知だからこうなった、ちゃんと性の学びをしないといけないと思いました」
その頃、学校の体制が変わった。それまで理事長兼校長が決めていたカリキュラムや行事などを、教職員自らが作成するようになったのだ。そこで、性についての総合学習が若者に必要だと、「性と生」を1年生の必修にすることになった。始めるにあたって、フェミニズムの活動家やジェンダー研究者を呼び、2年間にわたり研修を行った。 1996年、6人の担当者が2人1組となり2クラスずつ担当する形で、「性と生」の授業は船出する。水野先生は2年後から、担当に加わった。 「体の名称を言うことにまだ抵抗感があり、なかには1学期の間ずっと『ヴァギナ』や『ペニス』が言えず、『お股』と言っていた先生もいました。初めはやっぱりハードルが高かった。それでもなんとかやりましたよ」 当初は生徒たちも恥ずかしがっていたが、すぐに大事なことだと理解した。それは行動となって表れる。当時、「援助交際」や「ブルセラショップ」が問題になっていた。 「『女子高生の性が乱れている』という報道に対し、生徒たちから『なぜ買う側である男性の問題は扱われていないのか』という疑問が出てきました。『私たちは商品じゃない!』というテーマで文化祭に取り組むクラスもありました」
大東学園高校(撮影:伊藤菜々子)
2003年には共学校となり、「性と生」の授業を男女が共に受けるようになった(現在は「思春期の体の変化」の授業は男女別)。 体の仕組みが中心だった授業内容は、2009年にユネスコ編『国際セクシュアリティ教育ガイダンス(以下、『ガイダンス』)』が出版されたことにより、大きく変化した。『ガイダンス』から学び、2010年代からは人間関係や社会の中の性と生の問題、デートDVなどの性暴力を取り扱い、性の多様性を基盤に据えた「包括的セクシュアリティ教育」を行うようになった。 現在、総合学習「性と生」を担当する教員は男女4人ずつの計8人いる。うち水野先生は非常勤講師として「性と生」のみを教えているが、他に専門の教員がいるわけではない。基本的に有志で、国語や数学といった本来の担当教科と兼任する。授業のほかに週に1度の教科会もあり、負担は軽くない。その分は本来の教科の授業時間数を減らして調整される。
「無知がいじめや差別につながる」
麥倉達摩さん(撮影:鈴木愛子)
「性と生」の授業に影響を受けて、学校の規定を変える提案をした生徒がいる。今年3月に卒業し、大学で経済学を学ぶ麥倉達摩(むぎくら・たつま)さんは、3年生のときに「制服の男女別の規定をなくそう」と考えた。「多様性」について学んだことがきっかけだった。 これまでは女子はスカートでもスラックスでもよく、靴下は単色で無地のものと決められていた。男子はスカートはダメだがその一方、靴下に規定はなかった。女子はネクタイでもリボンでもいいのに、男子はリボンはつけられない。これらの規定をなくし自由にするという提案だった。 「性的マイノリティでスカートをはきたくてもはけない子がいるかもしれないし、男女で着られるものが違うのもおかしいと思ったんです」 いくつかのプロセスを経て、この要求は保護者・教員・生徒からなる三者協議会で認められ、今は自由に制服を選べる。これと同時に、高価で重いコートの代わりにトレーナーやパーカーの着用許可も求めた。それも認められ、今では多くの後輩たちが安価で軽くて暖かい上着を着用している。
麥倉達摩さん(撮影:鈴木愛子)
「提案によって後輩の学校生活が便利になっていることがうれしいです。まだ性的マイノリティでスカートをはきたい子が、実際に着用している例があるわけではありません。でもそうなっても変な目で見られることは、『性と生』の授業があるので防げると思います」 麥倉さん自身、小・中学校ではふざけて誰かを「菌扱い」したりすることを悪いと思っていなかった。しかし、「性と生」の授業を経てやってはいけないことだとわかった。街で出会う障がいをもつ人たちのことも気遣うようになったという。 「無知であることが、いじめや差別につながると思います。高校の授業で多様性について学べてよかった」
よりよい行動選択を可能にする力をつける
教室の様子(撮影:鈴木愛子)
同じく今年3月の卒業生、佐藤アキラさん(仮名)も高校時代、「多様性」に興味をもった。ただし直接のきっかけは「性と生」の授業ではなく、高校2年生のときに偶然ネットで見た動画だった。戸籍上女性だった人が性別適合手術を経て男性となり生活していくという内容だ。そのとき「性と生」の授業をもっとちゃんと聞いておけばよかったと少し後悔したという。 「高1当時は、妊娠や月経、勃起や射精などについてストレートに言われることに戸惑いがあり、授業を毛嫌いしていました」 卒業後は体育教師を目指して、多様性やジェンダー論も学べる大学へ進学した。 「『性と生』も担当している担任に悩みごとを相談したことで、教師という職業に興味をもちました。とくに性の多様性やジェンダーについては、思春期にいちばん悩むところだと思います。わからないと不安だし、病気じゃないかと思う人もいると思う。そういう相談も受けられる、生徒と信頼関係を築ける教師になりたいと思います」
「性と生」を担当するどの先生も、授業を通じて生徒とのコミュニケーションが増える、と口をそろえる。佐藤さんのように先生に直接、相談をしに来る生徒もいる。「性と生」を担当して3年目の町井陽子先生(35)にも経験がある。 「授業のあとに『たぶん自分はDVを受けていると思う』という相談もありました。また、他の先生の『性と生』の授業を受けて、『婦人科に行ったほうがいいですか?』と担任の私に聞きに来ることもあります。授業がきっかけになって、周りの頼れる人に生徒は頼ってくれるようになります」 もし授業がなければ、この生徒は自分がDVを受けていると気づけなかったかもしれない。 「性と生」の授業の目指すところを、水野先生はこう語る。 「授業の基盤になっている『ガイダンス』は、現実を一面的に見るのではなく、多方面から批判的に検討すること、その視点と分析の力量を身につける道筋を学習者に提供しています。そのため授業では人の考えを知りながら自分も知っていくようにする。そしてより良い行動選択が可能になるように力をつけていくのです」 大東学園高校では、「性と生」の履修を終えた2年生が新1年生へ「先輩からのメッセージ」を残す。そこにはこんな意見が書かれていた。 「性と生を学ぶことは間違った行いかそうでないかなど、自分で判断できるようにするためでも、相手を不快にさせない、困らせてしまわないためでもあります」 「これから1年間の授業を大切にしてしっかりと考えていってほしいです。そうすれば人生が変わっていくと思います」 「『性と生』とは私たちの人生そのものです。当たり前にご飯を食べたり、寝るように『性と生』も当たり前で身近なことなのです。これをしっかりと身につけることで、これからの暮らしがより豊かになることは間違いないでしょう」
--- 岡本耀(おかもと・よう) フリーライター。主に性教育の分野で取材・執筆活動を行う。
2021/12/3(金) 17:08配信
今から18年前、都内の養護学校(現・特別支援学校)で行われていた性教育に対して、苛烈なバッシングが起きた。校長が降格になり、多くの教員が厳重注意の処分を受けた。学校現場は萎縮したが、それでも、生徒のために必要だという信念で、性を教え続けた教員がいる。その一人、樋上典子さんに話を聞いた。樋上さんが中学生への性教育をやめなかった理由は。教え子が受け取った思いとは。(文:岡本耀/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
先生の「友だち」と紹介された講師、実は……
樋上典子さん。今年3月まで公立中学校教諭として務める。退職後も中学校で時間講師として教えるほか、関東学院大学で非常勤講師として勤務。セクシュアリティ教育の実践に関する本も執筆中(撮影:伊藤菜々子)
この3月まで中学校の保健体育科教員だった樋上典子さん(63)は、30年以上にわたり、主に都内の公立中学校で性教育に携わってきた。多くの学校で性教育がなおざりにされるなか、樋上さんが続けてこられたのには、子どもたちへの強い思いと周囲の協力があった。 樋上さんが行っているのは、「包括的セクシュアリティ教育」(以下、セクシュアリティ教育)と呼ばれる性教育。科学的にからだの仕組みを教え、ジェンダーや多様な性、恋愛などについても生徒たちと一緒に考えていく。性を幅広くポジティブに捉え、人権を基盤にしている教育だ。 特別授業などの時間を使って、1年生の「生命の誕生」「女らしさ・男らしさを考える」から、2年生の「多様な性」、3年生の「自分の性行動を考える~避妊と中絶~」「恋愛とデートDV」まで、段階を踏んで教える。 例えば「多様な性」の授業では外部講師を招く。講師は樋上さんの「友だち」として、これ以前にも何度か授業に参加している。生徒もすでに顔を知っている「身近な」存在だ。 講師がまず樋上さんに、「先生はなぜこの授業をしたいと思ったんですか?」と聞く。樋上さんは、こう答える。 「性に関する授業を始めたころ、クラスで男女の恋愛の話をしました。でも卒業生に、『自分は同性愛だから、先生が言ったことに傷ついた』と言われたことがある。だからみんなにちゃんと伝えたいと思ったんだよ」
いろいろ話をしていくなかで講師が、「たくさんの同性愛の当事者に会ったんですね。僕は何番目ですか?」と樋上さんに問う。そこで生徒たちは初めて、講師自身が当事者だったと気づく。 ここから講師は当事者として、生徒たちが事前に書いていた同性愛に関する質問に答えていく。 「なんで同性が好きなんですか?」という質問に、講師は「なんで異性が好きなんですか?」と聞き返す。「君たちが自然に好きになるように、私もそうなんだ」という話から、生徒たちはだんだん異性愛も同性愛も変わらないと気づいていく。そして「人には同じところもあるし、違うところもある」と、自分たちも多様な存在の一人だと認識する。 この授業は、卒業生で会社員の木村ミカさん(仮名、20代後半)の心に今も深く残っている。 「講師の方が『実は私は男性が好きです』と言ったとき、クラスが『ワー!』とざわつきました。多様な性があると授業で知っていましたが、『実在するんだ』と驚いたんです。性的マイノリティの存在を身近に感じ、自然に『いま、このクラスにも当事者がいるかもしれないから』といろいろな場面で気遣えるようになりました」
ごまかさない授業、根っこに35年前の事件
樋上典子さん。この10年間、性教育に詳しい埼玉大学の田代美江子さん、渡辺大輔さん、宇都宮大学の艮香織さんらと授業内容や教材を検討し、検証授業を繰り返してきた。「若い先生たちがこの教育の必要性を感じ、実践してくれたらと期待しています」(撮影:伊藤菜々子)
1年生の「生命の誕生」の授業では、「人は精子を卵子に確実に送り届けるために、性交をする」ということも教える。 「性交については、授業の流れの中で自然に語れば、子どもたちは理解します。初めは恥ずかしそうにしていたり、クスクス笑いが止まらなかったりする生徒もいます。でも次第に目つきが変わり、大切なことと認識して真剣に授業に参加します」 学習指導要領には小5理科で「受精に至る過程は取り扱わない」、また中1保健体育で「妊娠の経過は取り扱わない」という「はどめ規定」と呼ばれるものがある。これが学校教育に性交について教えることを避けさせているが、樋上さんはここを避けて通らない。 「そもそも学習指導要領は最低限教えることを示したもので、実態に応じて活用するものです。性交について理解しなければ、その後に続く学習で妊娠・避妊・性感染症・性暴力などを正確に理解することはできません」 ここ最近の家庭での「性教育ブーム」で、「性器などのプライベートパーツは人に見せたり触らせたりしない」と子どもに教えることは知られるようになってきた。 樋上さんは、なぜプライベートパーツが大切なのかの理解を促すために、「人権」という視点で、からだの仕組みを科学的に伝えることが必須だと考えている。そこには性虐待に遭っている子に、その被害に気づいてほしいという思いもある。 からだのことを知らなければ、自分が受けている被害について認識することはできない。35年前、養護学校(現・特別支援学校)の高等部で教えていたとき、そのことを思い知る事件が起きていた。 一人の女子生徒がレイプの被害に遭ったのだ。彼女は警察で事情を聴かれることになった。自閉的傾向があった生徒に付き添って、樋上さんも警察に行った。しかし、その生徒は自分のからだに何が起こったのか、まったく答えることができなかった。 「尿道と性器、肛門の違い、プライベートパーツの意味、人権を踏みにじる行為を受けたことも理解していませんでした。もし彼女がそれらを理解していたら事件を回避できたのではないか、生徒を守るためにも教育が必要であると強く感じました。その事件を機に、養護学校で仲間とともにセクシュアリティ教育実践に取り組み始めました」
中学校での性教育「最後の砦」
写真はイメージです(写真:アフロ)
樋上さんが勤務してきた中学校のある地区は、虐待や貧困の問題を抱えていた。卒業生からも、予期せぬ妊娠や性感染症の相談があった。問題はそれだけではなかった。 「何より自分に自信のない、自己肯定感の低い生徒が多かったんです。『どうせ自分は』と投げやりだったり、非行に走る生徒、『親に愛されていない』と感じたりしている生徒もいました」 そこで樋上さんは、最初は自分の専門教科である保健体育で性について教え始めた。卒業前に3年生全体の前で話すようにもなった。 「『いのち』は『からだそのもの』と、性器を含めた『からだ』について科学的に伝えることで、生徒は自分自身の見事さを感じ取ってくれます。何より、言葉では表さなくても『本当のことを教えてくれてありがとう』という気持ちが伝わってきて、生徒との関係もよくなることを実感しました」 プライベートパーツのことも含め「からだの権利」について教えれば、ふざけと称して他の子のズボンを下ろしたり、股間を触ったり、トイレを覗いたりという行動が劇的に減った。月経や射精について男女一緒に学べば、男子生徒が「水道場にナプキンが落ちているよ」とそっと教えてくれた。 高校に進学しても、中退してしまう子がいる。学ぶ機会を失ったまま社会に出なければならない子どもたちがいる。だからこそ樋上さんは、義務教育である中学でのこの授業が「最後の砦」と考えている。 「『性の安心、安全』のためにも、避妊や中絶の授業が絶対に必要です」
性教育への介入、13年で大きく変わった「世論」
写真はイメージです(写真:アフロ)
30年以上「性教育」を続ける間には、困難もあった。2018年に突然、一人の都議会議員が、3年生を対象に行っていた避妊と人工妊娠中絶の授業を「不適切」と批判した。これを受けて、東京都教育委員会も問題視。学習指導要領では高校で教えるべきものだとされている、というのがその理由だった。 性教育に対する同様のバッシングは、2003年にも起こっていた。都立七生養護学校(当時)で行われていた性教育に、東京都教育委員会や一部の都議会議員が介入したのだ。この件は裁判へと発展し、2013年に最高裁で都と都議が「不当な支配」を行ったと認定された。判決は、学習指導要領を超えた指導も直ちに「違反」とならないことを示した。 にもかかわらず、今度は樋上さんの性教育がターゲットにされた。しかし七生養護学校のころと大きく違ったのが、世論だった。このバッシングの当時、2018年5月11日放送の日本テレビ「スッキリ」の番組内で視聴者投票が行われた。中学3年生に「性交・避妊」を詳しく授業するのは「あり」か「なし」か、という質問だった。結果は「あり」が3万4075人、「なし」が3270人。早い段階で詳しい性教育を求める声は圧倒的だった。 樋上さんの授業への批判に対し、区の教育委員会は「不適切な授業だとは考えていない」とした。 校長の協力もあった。校長は初めて樋上さんの授業を見たときから、「生徒たちにとって必要な授業だ」と思った。その一方、「少し危なっかしいところがある」と管理職の立場から見ていた。学習指導要領との整合性を理由に、もしかしたら指導が入るかもしれない、と危惧した。 そこで校長は、そのリスクを「この教育を必要としている子どもたちのために」回避しようと考えた。区教委に授業を見に来てもらい、指摘を受けたところは樋上さんと相談して変えていった。 その過程では、区教委と校長が「『性交』がダメなら、『セックス』や『エッチ』ならばよいのですか?」ともめたこともある。樋上さんも校長と「それを教えなければ、他のことが教えられない」とけんかもしながら調整し、区教委のお墨付きを得た。そのため2018年に都議や都教委から批判があったときには、区教委はすでに授業内容を熟知していて、「問題はない」と判断した。 これまで保護者から、授業について反対や苦情を受けたことはない。保護者が授業を見に来てくれ、「家ではなかなか話せないからありがたい」と言われるという。
「樋上先生だけが教えてくれた」生徒の本音と向き合う
小林マナミさん(仮名)(撮影:編集部)
しかし、こうしたことはいわば「大人の事情」だ。樋上さんは何より、セクシュアリティ教育は生徒のニーズに合っていなければならないと考えている。そのため授業の前後にアンケートを取り、感想に耳を傾ける。生徒が何を知らず何を知りたがっているか把握しようと努めている。 「避妊と中絶」の授業を行った後のアンケートでは毎回、自分の性行動に対して「慎重になる」という結果が出ている。都議会議員から批判を受けた当時、生徒たちに「この授業は必要ですか?」と聞いたアンケートでは、「はい」が95%、「いいえ」が1%、「わからない」が4%だった。 「授業は大人が評価するものではなく、生徒が評価するもの。子どもたちの高い評価に救われる思いでした」 卒業生で、小学校の教員をしている小林マナミさん(仮名、20代後半)は月経の授業に助けられた。 「私は授業で自分の生理の状況が『普通ではない』と知りました。それまでは同じ状況でもみんな我慢していて、自分が弱いだけなのかと思っていたんです。でも授業で生理の周期や仕組みを知り、自分は周期も合っていないし、おかしいと思いました。数年経っても改善しなかったので、治療が必要な状態だと気づけたんです」 また授業を通して性に対してもっていた苦手意識がなくなった。 「恋愛や性的なことに関してポジティブに捉えられるようになりました。今は教員として、子どもたちの心とからだの成長のスピードに驚く毎日で、性についての学習の必要性を感じています」 前出の木村さんは、卒業したあとに授業がとても役に立ったと振り返る。 「高校に進学して、同級生が好きでもない相手と性行為をしたことを雑に語るのを見ました。性教育を受けていないと、これほど意識が違うんだと思い知らされました。避妊など、親も、高校でも大学でも教えてくれなかったことを、樋上先生だけが教えてくれました」
樋上先生が大事にしている、生徒の感想文(撮影:伊藤菜々子)
樋上さんは、いつも財布に子どもたちが書いた授業の感想文の一部を入れて持ち歩いている。見せてもらった紙には、経過した時間を感じさせる少し消えかかった字でこんなことが書かれていた。 「自分自身が同性愛者であると自覚しているけれど、周りは理解しない。多様な性の授業をすることで、みんなが理解してくれて意味があった」 「性の授業は中学生には早すぎると世間がよくない目で見ているということをニュースや新聞で見たけど、まったくそんなことはないと思った」 「勉強しておくことで、いざと言うとき、困ったとき、不安なとき、自分で少しでも解決していく力を養えた」 樋上さんは「大事にしているんです」と子どもたちの感想文をまた丁寧に財布にしまいながら、こう強く訴える。 「子どもに嘘を言ったりごまかしたり、あいまいに伝えたりするのはやめましょう。その一方で、妊娠したり性感染症になったりすると子どものせいにしますが、それはきちんと伝えてこなかった大人の責任です。本当のことを伝えれば、子どもたちと本音で語り合うことができます」 --- 岡本耀(おかもと・よう) フリーライター。主に性教育の分野で取材・執筆活動を行う。
2021/12/6(月) 17:30配信