「子ども欲しくない」18~29歳の未婚男女の半数以上 ネットでも衝撃「もう終わりだよこの国」「育てる自信がありません」などの声キャリコネニュース の意見他子供を持たない生き方に関する記事PDF魚拓と子供産む生殖能力ある異性愛者だけしか婚姻認めない異性愛者のみ正常とする日本の判例は社会情勢の変化に対応出来てないと思う個人的意見
「子ども欲しくない」18~29歳の未婚男女の半数以上 ネットでも衝撃「もう終わりだよこの国」「育てる自信がありません」などの声キャリコネニュース の意見他子供を持たない生き方に関する記事PDF魚拓と子供産む生殖能力ある異性愛者だけしか婚姻認めない異性愛者のみ正常とする日本の判例は社会情勢の変化に対応出来てないと思う個人的意見。
子どもほしい既婚者には、子育てする余裕ができるほどの余裕もてるぐらいのお金が来てなかったり、長時間労働の風潮や母親の重荷がきている問題がある。
母親の重荷、そもそも子供が嫌い、子供にお金かけるより趣味や仕事等にお金使いたい等、子どもを持ちたくない生物学的女性増えているのに、親などから結婚して子供もつ生き方押し付られたくないという感じでしょうか、キャリコネニュースの自由記述読む限り。
「子供はかわいいんだけど、『母親』という仕事が重い」
書き込みで多かったのは、「もう終わりだよこの国」と少子化の加速を嘆く声や、「わたしもいらない」と調査結果に納得するコメントだ。
「ほしくないっていうか関わりたくない」
「うるさいしストレスたまるし 絶対老けるもん」
「育てる自信がありません」
と子育てに対してネガティブな考えを持つ人の声が目立った。また近年では家事や子育ては夫婦で協力し合うべきという認識が広がったとはいえ、
「地震多いし夏暑すぎて 女もずっと働いて家事もしなきゃいけない風潮が辛いってのもあるかも」
「子供はかわいいんだけど、『母親』という仕事が重い」
など、依然として結婚生活は女性に負担が偏っている、と感じている人が多いことがうかがえた。
「子供は欲しいけど、子供のためにかかるであろうお金を稼ぐのがむり」
一方で、「私は欲しいけど」と子どもを持つことに前向きな人や、子持ち既婚者からの「私自身は子どもがいて良かったと思う」というコメントも一定数見受けられた。トピック内は、同じように「今も将来も子どもが欲しくない」と言っても、「本当に絶対に欲しくない」人と「本音を言えば欲しい」人に分かれているようだった。
というのも、子どもを望まない理由として「欲しい欲しくない以前に、それを考えられる次元にいない」という声があったからだ。恋人がいないという意味もあるだろうが、こんなコメントが象徴的だった。
「趣味や恋愛にお金や時間、気力を使う余力無い(中略)自分の事で精一杯」
「子供は欲しいけど、子供のためにかかるであろうお金を稼ぐのがむり」
また「自分の老後資金を貯めるので精一杯」という悲痛な声もある。やはり自分の収入と生活に心配がある状況ではそこまで考えられないものだろう。若年層の未婚男女に「子どもが欲しくない」人が半数を超える調査結果からは、若い世代の厳しい懐事情もうかがえた。
キャリコネニュース
「子ども欲しくない」18~29歳の未婚男女の半数以上 ネットでも衝撃「もう終わりだよこの国」「育てる自信がありません」などの声
キャリコネニュース の意見
「プレゼンの神様」と呼ばれる澤円さんと30歳で結婚した時から「子どもは持たない」と決めていたという。その決断から現在に至るまでの過程には、どのような思いがあったのだろうか。
結婚した時から「子どもは持たない」と決めていた
結婚をした30歳の時から、「子どもは持たない」と決めていました。というのも、私には母性本能と言われるものがないみたいなんです。
小さい頃からお母さんごっこに興味がなくて、「女の子らしさ」を求められることもしっくりこなかった。
子どものころは男の子と木登りをしてやんちゃに遊ぶような子だったし、大人になってからも自分の中には女性性と男性性が同じぐらいあるような感覚です。
友達からは「いつか母性が出てくるよ」と言われていたし、30代は「子どもはつくらないの?」と聞かれることも多かった。
それで私も、「いつか自然と子どもが欲しいと思う日がくるのかな」くらいに思っていた時期もありました。
でも、結局いつまでたっても「子どもが欲しい」と思う日はこなかった。
年齢を重ねるうちに気持ちが変わることもあるのかな……なんて考えていたけれど、今も母性は全くないし、自分のおなかが膨らんで、子どもが出てくるイメージも湧かない。むしろものすごい違和感があります。
また、私も夫もアダルトチルドレン(子どものころの家族関係が原因で、精神的に不安定な状況のまま大人になった人のこと)なこともあって、二人ともハッピーな生活を子どもに提供できる自信がなかった。
だから、結婚をした時に「子どもは欲しくないけど大丈夫?」と聞いた私に対して、「自分も子どもは欲しくないから大丈夫だよ」と彼が言ってくれて、ほっとしたのを覚えています。
結婚後も折に触れて子どもについて話すことはあったけれど、「うちらは子どもがいなくてよかったよね」という文脈がほとんど。
私たちは二人とも感情のコントロールが難しいところがあって、私も彼もキレちゃう時があるんです。子どもがいると、日々何が起こるか分からないじゃないですか。「その環境はうちらには絶対無理だったね」と話しています。
ベルギーのラグジュアリーブランド『Dries Van Noten』のジャケットと『BARNEYS NEW YORK』のシャツに、高円寺の『むげん堂』で買ったパンツを合わせる夫の澤円さん(写真左)。「最近は『むげん堂』がユニホームです」(円さん)
私は家のことをほったらかしてやりたいことに没頭しちゃうし、彼も仕事が忙しい時は余裕がなくなる。もし子どもがいたら、子どもがけんかの原因になってしまっていただろうなと思います。
だから子どものためにも、「子どもを持たない」という選択をして本当によかった。
また、私たち二人が金銭的な余裕を持って、気ままな生活ができているのも、子どもがいないことが大きい。
今は東京と千葉で二拠点生活をして、それぞれが好きな時に行き来していますが、夫婦二人きりだからこそ、こういう気ままな生き方も実現しやすいのだろうと思います。
血のつながりがあればいいわけじゃない
「子どもがいないと老後が寂しい」という声も耳にしますし、そうなのかなと思ったこともあります。ただ、最近考え方が大きく変わりました。
昨年末に父が亡くなったのですが、その過程で家族といろいろあって。私のメンタルが崩壊してしまい……実家と距離を置くことにしたんです。
でも「本当にこれで良かったのかな」としばらく引っかかってました。いろいろあっても血のつながった家族だし……と。
しかも、全部が全部つらい思い出ばかりではないので、ふと家族と過ごした楽しい瞬間が頭に浮かんで「私の我慢が足りないだけなんじゃないか」と自責の念に駆られたりもする。でも、関わったら自分がまたひどく傷つくのは目に見える。
そうやってぐるぐると苦しんでいたら、彼が「自分を一番大事にした方がいいんじゃない?」と言ってくれて気持ちがすっと楽になった。だから自分を守るためにも、実家と離れた方がいいと決断できました。
あとは、彼の家族の存在もとても大きかったんです。彼の家族とは以前からとても関係が良く、それも実家とは離れてもいいと思えた大きな要因でした。実家より彼の家族の方が心の距離は近くて、今もいろいろな面で助けてもらっています。
だから、血のつながりがあればいいわけではないんだなと。
同時に、もし私に子どもがいたら、同じことになっていたかもしれないとも思いました。血のつながりがある親子でも、許し合えないことはありますから。
そして、いさぎよく自分の実家から離れられたのも、私に子どもがいなかったことが影響しているような気もします。
結婚という縛りがあったから、今の彼との関係性がある
実家とのつらい出来事も彼が全面的に味方になってくれたおかげで乗り越えられたので、最近は「この人と結婚して本当によかった」と改めてしみじみ感じています。
ただ結婚してから、うまくいかないことももちろんありました。
それでも別れずに約15年間一緒にいられているのは、彼が「離婚したくない」と言ってくれたからでしょうね。彼の周囲には離婚した人がいなかったから、「離婚は簡単にしないもの」という感覚がある。
一方、私の身近には離婚したカップルが少なくなく、結婚が長く続くイメージがあまりなかったんです。だから何かうまくいかないことが起こると「離婚したらいいか」ってすぐに思っちゃう。それを彼が毎回止めてくれました。
お互いが100%満足することはないからこそ、衝動的で我慢強くない私には結婚という縛りが必要だったと思います。
また結婚前は自尊心が極端に低かったので、人と意見の相違があっても怖くて自分の気持ちが言えず、関係性を絶って逃げるということを繰り返していました。
でも、結婚するとそう簡単に逃げるわけにはいかない。どうやって彼との関係性を構築していくか、30代はアダルトチルドレンについて勉強したり心療内科に通ったりマインドフルネスをやったり、徹底的に自分と向き合いながら生き方を模索してきました。
今のガチっと噛み合った彼との関係性は、結婚という土台があってできたものだと思います。もし同居や事実婚だったとしたら、別れていたかもしれないですね。
あとは、彼と一緒にいてラクなことも大きいです。
私は人にすごく気を使ってしまうんですけど、彼には出会った頃から気を使わなかった。「これなら一緒にいても大丈夫かも」と最初から思えたんです。
実は、彼との結婚は勢いで。
当時、私はお金がない生活をしながら個展の準備をしていて、切羽詰まっていたんですよね。「結婚したらお金はサポートしてあげるよ」と言われて、出会って1カ月ぐらいで結婚しちゃいました(笑)
恋愛にのめり込み過ぎてうまくいかないことが続いていたから、「もう恋愛は当分いいや」と肩の力を抜いた時に出会ったのがよかったんでしょうね。
「自分は年上で、その分人を見る目はあるから大丈夫。もう結婚しちゃおう」とスポーツバーでプロポーズされたそう
子どもを持たないことは自然な選択だった
ここ2~3年は、自分の生きにくさを二人がそれぞれ自覚したことで、関係性もより良好になった気がします。
私は4年ほど前にADHDの診断を受けました。「発達障害の妻なんかいらない」と言われたらどうしようと、彼に報告する前には結構落ち込んだんですよ。
それなのに「ずるい! ボクも受けに行く!」となぜか彼からうらやましがられた。結果、私より重度なADHDという診断を受けて、喜んで帰ってきました(笑)
そうやって二人そろって発達障害であることを自覚し、「世の中にうまくはまらないのはADHDのせい。自分は悪くなかったんだ」と理解することが私たちには大切だったのでしょうね。
そして、「社会でうまくやっていこうとするのはやめよう」と思えました。
彼はメディアにもよく出ていますし、社交的に見えますが、実はそうじゃなかったらしいんですよ。彼自身、それを自覚して以来、仕事以外ではすっかり引きこもりです。
長年勤めていた会社を辞めて独立してからは、自分が好きな仕事しかしなくなって、毎日が本当にラクで楽しいみたい。
私も前回取材してもらった時は、女性のグローバルリーダーシップを育てる合宿に参加した直後で、「自分の思いを実現するために、あれもこれもやらないと」と気負っていたなと思います。
でも今は、私がやりたいことをやりたい時に、ゆるゆるやればいい。そんな気持ちです。
そうやって世の中の型にしっくりはまることができなかった二人が、手を取り合って生きていこうとしているのが、今の私たちなのだと思います。
子ども時代を失ったまま大人になった二人が、いろいろなものを脱ぎ去って、見栄を全部取っ払って、ようやく子ども時代をやり直せている感じ。「二人で引きこもって生きていこう」と、開き直っています。
そうなれたのも、やっぱり子どもがいないからという部分は大きいですね。もしも子どもがいたら、私たちは嫌でも大人にならなきゃいけない。その責任がなかったのが、私たちにとってはよかったんです。
だから、私は子どもを持たない選択をしたことを全く後悔していません。「60歳くらいになって後悔するかもよ」と言われることもあるけれど、多分それもないと思う。
特に40歳半ばになって、妊娠・出産が非現実的になったことで、私はすごくラクになりました。可能性があるうちは「産んだ方がいいのかな」と考えることもあったけど、今はそれもなくなった。
年齢を重ねる中で、徐々に女性としての役割も期待されなくなって、自然体でいられるようにもなりましたね。
もしも子ども時代を健全に過ごせていたら、「さあ自分たちの子どもを迎えよう」と思えたのかもしれないですけど、私たち二人はそこが欠落していた。だから、子どもを持たない選択は本当に自然なことだったんです。
「子どもがいない=悲しいこと」ではない
メディアで見る子どもがいない夫婦の話は、「子どもが欲しかったけどできなかった」という切り口が多いと感じています。とてもつらい思いをされたのだと思いますし、その気持ちは尊重すべきものです。
ただ、「子どもがいない=悲しいこと」という世の中の空気に、私は違和感もあって。
これまでお話しした通り、私たち二人にとっては子どもがいない人生が最善だった。だから、そこに悲壮感は全くありません。
数年前、俳優の山口智子さんが「子どもはいらない」と話した時に一部でバッシングをされていたような記憶があるのですが、なんだか「子どもを持たない」という選択をした人を責めるような風潮を感じていて。
私自身もおおっぴらには言いにくい感じは正直ありますが、子どもが欲しいと思わず夫婦二人で楽しく生きている人間がここにいる。そんなことを伝えられたらいいなと思っています。
もちろん結婚生活がずっと続くかは分からないし、どちらかが突然亡くなることもあるかもしれない。でも、少なくとも今は二人で生きるのがベストだし、自分たちの最後のケアができるだけのお金を確保して、備えられれば十分かな。
実はそう思えるようになったのは、後悔なくあの世へ旅立った父の姿を目の当たりにしたことも影響しています。
病院からホスピスに転院する際、「何かやっておきたいことや行っておきたいところはありますか?」とソーシャルワーカーさんが聞いてくださったんですが、父は「何もありません。満足ですよ」と答えたそうです。
その言葉は、半分は真実で、もう半分は「そう思うことにした」ということではないかと思います。きっとやりたいことはまだまだあっただろうけど、父は良い意味で諦めて、「現状に満足する」というスイッチを入れられたのだと思います。
そして、それはとても潔くて幸せなことではなかろうかと。
実は最近ずっと「後悔を残したまま死ぬ」ということに恐怖を感じていたのですが、私も父みたいに人生を締めくくれたらすてきだなと。それは「足るを知る」とか、自分がすでに持っているものに目を向けるとか、そういうことなのかな。
そう考えるようになって人生観が変わり、またさらにいろいろなことがラクになりました。
私たち夫婦は目標がない二人で、世の中のレールにうまく乗れないからこそ、「行き当たりばったりが自然だよね」と話していて。
私にとって彼は、むき出しの自分たちで生きようとする仲間みたいな感じ。そのままで、目の前のことを楽しんでいければいい。
そして自分の創作活動を通じて、「みんなもそのままでいいじゃん」というメッセージを伝えられたらいいなと思います。
「うちらに子どもはいらないね」ずっと二人で生きていくと決めた夫婦の“足るを知る”生き方【澤奈緒】
「私は自分だけを背負って生きる」
神奈川県在住の女性(56)
高校生の頃から「子どもは産まない」と決めていました。夫と結婚して24年になりますが、子どもはいません。
連載の第2回「夫婦で決めたはずなのに 『少子化』聞くたび自問した、産まない選択」を読んで、同じように考える人がいたことが心強かった。一方で、なぜその選択が揺らがなければいけなかったのだろうとも考えました。
私の母は専業主婦。父は朝も夜もないほど忙しく働いていました。母は、父からモラルハラスメントに近い言葉をかけられていても、必死に耐えていた。それが私にとってもつらかった。
私と妹がいなければ、母は離婚できるのではないか。私たちがかせになっているのではないか。そんなことを考え、育ちました。
だからかもしれません。「私は自分だけを背負って生きる」。それが私の生き方となっていったのです。
短期大学を卒業後に就職。定年まで働きたかったし、出世もしたかった。ひとりで一生暮らせるように、稼げるようになりたかった。そんな風に考えていましたが、周りは違う。
とにかく早く結婚して、子どもを。
そんな空気に追い込まれて、仕事が好きなのに、辞めていく同僚をたくさん見送ってきました。結婚と仕事を両立する時代ではなかったように思います。
30歳を超えて、仕事で知り合った夫と結婚。2人で会社を立ち上げました。
記事に出てきた女性と同じく、私も新婚の時から夫に「子どもはいらない」と話していました。それが原因で別れた彼氏もいましたから。
夫は「自分もいらない」と話していましたが、「親には自分たちの選択を言えない」とも。
私の両親も「孫の顔が見たい」と言うこともありましたが、人生は親のためや他人のためにあるわけではない。自分のためにあるものです。
好きな男性と2人で暮らすだけで私には十分。そこは曲げられない。
それでも、金融機関に住宅ローンを頼もうとすると、「子どもを産んだら仕事を辞めますよね」と言われ、断られたこともあります。
結婚している女性は子どもを産むもの。社会はそう回っている。ローンも介護も相続も……。子どもを産む前提で様々な仕組みができあがっている。そう感じることもありました。
それでも、子どもを産まないという心が揺らいだことはありません。子どもをかわいいと思ったことも、母性を感じたこともない。
「夫がいなくなったらさみしいよ」と言われることもあるのですが、さみしいから子どもを産むという考え方には絶対にならない。
閉経で私は解放された
数年前に閉経した時、私は解放されました。
子どもを産むのは当たり前。それを前提に、少子化対策が動いているように聞こえます。
育児から復帰したら、元のキャリアに戻ることができなかった。
保育園が会社と遠くて、仕事を辞めざるを得ない。
病院や教育にお金がかかる。
私の友人の話です。どれを考えても、子どもを産むのが当たり前の社会とは思えません。
「選択肢の多い人生を」と思い続けています。私にとっては、子どもを産むことが、選択肢を減らしてしまうように感じました。もし、そう考える女性が一定数いるのだとしたら。そこに少子化対策のヒントはないでしょうか。
少子化の根本は、息苦しさやジェンダー格差
山田みち世さん オーストラリア在住(46)
記事を読んで「子どもをもたない人が幸せを感じる社会こそが、結果的に子どもを産み育てやすい社会になる」という言葉に、とても共感しました。
日本社会の息苦しさやジェンダー格差が、少子化の根本的な問題です。付け焼き刃の少子化対策では「異次元」とうたわれていても、不十分だと感じます。
私は、途上国の女性を支援する仕事がしたくて、海外で学びました。カナダの大学院を出た後、日本で就職活動をしたこともあったのですが、就職フェアで「日本は年齢で給料が決まる。大学院出だと大卒と比べて無駄に2歳も年を取っているから、雇いづらい」と言われたことも理由で、海外で働くことを決めました。
外国人で職歴もない私が海外で就職するのは大変で、最初は希望どおりの仕事には就けませんでした。
でも、ボランティアなどで何年か経験を積んで、やりたい仕事に近づけるキャリアパスに何とか乗せることができました。プライベートでは30代後半で外国人の男性と結婚し、息子を2人授かりました。
日本では選択的夫婦別姓が認められていません。ですが、日本人が外国人と結婚する場合は名字を変える必要がありません。私は自分の名字を使い続けることができて、心底ほっとしました。もちろん名字が異なるからといって、家族の一体感が失われることは全くないです。
働き方に柔軟性があることも子どもを持つ選択を後押しするのではと思います。
私の働いている途上国支援の分野では、正規職員やパートタイム、短期契約などの様々な働き方があります。
雇用形態に関係なく、それまでの経験と知識によって専門的な仕事が任され、キャリアを積んでいけます。子育てなどで仕事を一時期休んでも、やる気があれば、また第一線で働く機会も与えられる。家族のあり方も多様です。私の同僚をみても、夫が妻の転勤先についていき、育児に専念するパターンは珍しくありません。
私はコロナ禍の最中、学生時代以来、久しぶりに日本で長期間暮らしました。1年半ほど、私が国際機関の仕事をリモートでして、夫が主に家事や育児を担ったのです。夫が子どもの弁当を作っていることに、周囲の人たちは驚いていました。
久々に暮らした日本では、息苦しさを感じた面もありました。海外では子どもが騒いだり泣いたりしても周りが温かく接してくれますが、日本では常に周りの目を気にして、迷惑をかけないように息を潜めていなくてはいけない。
私は当たり前のように育児や家事を共有できるパートナーがいるので、今まで何とかやってきましたが、それでも毎日心身ともにくたくたです。子どもたちが寝た後はしばらく立ち上がれないこともあるほどです。
日本の男性が家事や育児をする時間は、世界的にみても少ないとききます。子育てはどこの国でも大変ですが、日本は特に女性への負担が多すぎます。
いまだ長時間労働を尊ぶ社会
いまだに認められない夫婦別姓問題にも見られる偏狭で保守的な家族観や、従来の性別役割分業といったジェンダー観を変える取り組みも並行しておこなうべきだと思います。
そもそも、子どもがいてもいなくても、長時間労働をしなくてもいいように、社会全体の底上げをするべきです。
私が経験してきた海外の職場も、まだまだワーク・ライフ・バランスを改善するべきところが多くありますが、管理職や子どもがいない人でも、定時で帰ることや休みをとることで肩身の狭い思いをすることは少ないです。
日本では長時間労働を尊ぶ風潮がまだ根強く、子どもがいる人のしわ寄せを子どもがいない人が受けているようにみえます。
「子どもがいる人だけが優遇されている」という不公平感が消えないかぎり、いろんな人の不満や息苦しさの矛先が、子どもがいる人に向けられてしまうのでは。
子どもがいない人たちが、不公平な気持ちになったり惨めに思わされたりする風潮をなくすべきだと思います。
多様な人たちが認め合えるような寛容な社会でこそ、政府の政策も家族と個人の需要にあったものができ、「子どもをもってもいいかな」と考える人が増えるのではないでしょうか。
「理不尽の解消」に共感
神戸市垂水区の近藤和夫さん(85)
わたしが社会に出たのは1961年、高度経済成長期のまっただ中でした。鉄鋼メーカーで働きました。
当時は「1億総中流」と言われた時代。結婚して3児に恵まれましたが、あの頃は「結婚したら男性が働いて女性が家庭を守る」ことができていたと思います。
でも、いまは違います。バブル崩壊や規制緩和によって、労働環境は悪化しました。仕事をせずに子育てに専念したいと思っても、それは難しい。多くの夫婦が共働きをせざるをえない状況にあります。なのに、そうした仕事と子育てを両立させる仕組みが乏しい。
出産した後の女性が働きづらくなる状況は改善されず、男性の育児休業も広がっていないと思います。
だから、連載の第6回「出生数増やす前にすべき事 社会学者が抱く『少子化は国難』への疑問」が強く印象に残りました。
富山大学非常勤講師の斉藤正美さんの「生活が落ち着かなければ、将来のことを考えることは難しい」「足元にある『理不尽』のひとつひとつを解消していくことが最終的には少子化傾向を反転させる近道になるのではないでしょうか」という言葉に、まさにその通りだとひざをうちました。
少子化に歯止めをかけるには、生活の安定が欠かせません。ここまで拡大してしまった非正規雇用の問題点をどう改善していくか。目の前にある理不尽をどう解消するのか。
高校、大学での経済的負担をもっと減らせないか、とも思います。国公立大学の授業料も本当に高くなってしまいました。子どもの教育費のことを考えれば、尻込みしてしまうのではないでしょうか。
少子化対策とは「子育てに心配のない仕組みを構築すること」だと思います。
子どもがいないとダメですか? 「異次元の少子化対策」の陰で
江戸川夏樹 伊藤恵里奈 長野佑介2023年4月26日 7時00分html
意識調査でも、「思いや本音を誰にも話したことがない」がトップになっているように、長年もやもやした思いを抱えている人が多いのが実情です。マダネ プロジェクトの交流会では、「こうした感情をもっているのは自分ひとりではなかった」と、思いを分かち合うだけでも救われた気持ちになるとよく言われます。
〔肩身の狭さの要因〕
また、彼女たちが共通して口にするのが「肩身の狭さ」です。意識調査では、81%の方が「子どもがいないことで肩身が狭いと感じたことがある」と回答しています。
その背景として、「内的要因」と「外的要因」の2つの側面が考えられます。
内的要因とは主に、子どもを持てなかった挫折感や劣等感、親に孫を見せられない申し訳なさ、子どもがいないことのコンプレックスなど、自身の内なる思いによるものです。
なかでも昭和生まれの40代・50代は、結婚して母になるのが普通といった価値観で育ってきた方が多いため、「こんなはずではなかったのに…」と内圧を生んでしまい、現在進行形で悩まれている方も少なくありません。
一方、外的要因は、子どもを産み育てるべきという社会的プレッシャーや、子どもを持つのが幸せといった価値観の押し付け、子どもがいない人は気楽などの偏見から生じるものです。
近年は少子化から、産み・育てることへの後押しが強まっています。そうした社会からの重圧や、いまだ根強く残る旧来の家族像などから自分を責めてしまう方もいますが、内的要因と外的要因の両方が緩むことで、子どものいない人生を前向きに捉えることができると考えています。
〔無子率の予測〕
当然、子どもを生み、育てやすい社会の実現は大前提としてあるべきですが、平成の約30年で生き方は大きく変わりました。女性の社会進出、経済不況、不安定な雇用形態、ライフスタイルや価値観の変化といった複数の要因が絡み合い、生き方が細分化していきました。
世代間でも子どもを持つことに対する意識の差が見られ、若い世代は子どもを持つことに不安を感じる割合が高くなってきています。そして今後、子どもがいない生涯を送る人は増えると予測されています。
「日本の将来推計人口」によると、子どものいない割合は、1955年生まれが12.6%、1970年生まれは28.2%。その後も増加傾向で、2000年生まれ以降は31.6%になると推測されています。
また「男女共同参画白書」によると、婚姻数が令和3年は51.4万件と戦後もっとも少なくなっています。比例して、50歳時未婚率は年々右肩上がりで伸びていることは、周知の事実かと思います。
〔まとめ〕
未婚化が進めば子どもがいない率は上がりますし、子どもがいない夫婦の割合をみても増加傾向にあります。これらのデータが示すように、これまでの「結婚して子どものいる家庭」といった伝統的な家族観は見直さなければなりません。
問題の背景には、家族の姿が変化しているにもかかわらず、人々の意識や様々な政策・制度が、依然として昭和時代のままとなっていることではないでしょうか。
もちろん少子化は国として懸念事項ではありますが、多様性の時代においては、自分と異なる相手の立場を理解しようと努めることが大切です。
子どもを望む人には産み・育てやすい国にしていくと同時に、子どもを持つことへの選択肢の一つとして、日本でも特別養子縁組・里親制度がもっと広がっていくこと。
そして、どんな選択をしても尊厳と誇りをもって、人生を送ることのできる社会の実現を願います。
くどうみやこ「子どものいない生き方」
2022年09月07日 (水)
マダネ プロジェクト 代表 くどう みやこ