ジェンダー肯定医療のスキャンダルに投じられた一石 KADOKAWAの出版停止が隠した問題千田有紀武蔵大学社会学部教授(社会学)2023/12/11(月) 21:31等千田有紀さんのジェンダー肯定医療の問題点とナチスの焚書の問題が重なってる事を伝える記事PDF魚拓


KADOKAWAから発売予定だった『あの子もトランスジェンダーになった―SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』(アビゲイル・シュライアー著、岩波明監訳)の発売停止になった。この本の邦題がよくなかったという意見があるが(KADOKAWAもそう謝罪している)、原題は『Irreversible Damage: The Transgender Craze Seducing Our Daughters』、つまり『取り返しのつかない損傷-娘たちを誘惑するトランスジェンダーの狂乱(的流行)』である。ジェンダー肯定医療を「取り返しがつかない」と呼び、「誘惑」「狂乱」という単語を副題に入れた原題よりは、ひとびとの抵抗を和らげようとして考えられた邦題だろうと思うと、何が正解だったのかは、そう簡単には決着はつかないように思う(原題を正確に訳して発売したとしてもirreversible、damage、seduce、crazeというすべての単語に抗議がわき起こっただろうと予測する)。





問題は、この本がジェンダー肯定医療のありかたに一石を投じているという事実であり、ジェンダー肯定医療のありかたは、早晩日本でも問題になっていくと思われる。





2020年にはイギリスで10代から女性から男性に性別移行をはじめ、その後女性に「戻った(デトランス)」キーラ・ベルが、タヴィストッククリニックと、ポートマン国民保険サービス基金トラストを訴えて、大きな騒ぎになった。キーラは性別違和を訴えていたが、自分に対して簡単にジェンダー肯定医療を施すべきではなかったと主張している。性別違和を訴える当事者には、まず「間違った身体に生まれてきた」ことを認め、新しい性別の選択を肯定する。そして思春期ブロッカー(第二次性徴を遅らせるといわれている)、異性ホルモン(キーラの場合はテストステロン)、胸の切除、というジェンダー肯定医療を進んでいくのが普通である。キーラはそのプロセスが安易であったことに、異議を申し立てているのである。





まずは思春期ブロッカーを投与してみようといわれるが、ほとんどのケースでそのまま異性ホルモンへと進んでいく。思春期ブロッカーは「可逆的」で比較的安全だといわれていたが、キーラの場合は更年期のような症状がでて、頭がぼーっとしていた、と証言している。そのほかに、骨粗鬆症や肝臓損傷、精神衛生上の問題などの多くの副作用もわかってきた。また性器がじゅうぶんに発達しないため、男性から女性への性別適合手術をおこなうときに、術式によっては不都合がでることもある。





私は医師ではない。思春期ブロッカーが「可逆的」であるのか「不可逆的」であるか、どちらが正しいかは「専門家として」は判断できない。日本精神神経学会による「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(第4版改)」(6年前に最後の改定がされている)では、「この治療は可逆的であり、治療の中止で二次性徴の進行は再開する」と書いてある。





このような現状で、多くの体験談がわけもたれることは重要であると私は考えている。キーラのあとには多くの訴訟が続いている。性別違和を訴える子どもたちのなかには、発達障害を含めて多くの精神上の問題を抱えているケースが多いことも、タヴィストックがこれらの事実に注意を払わず積極的には公開してこなかったことなども判明した。こうした医療スキャンダルを受けて、タヴィストッククリニックは閉鎖が決定している。





今年アメリカで話題になったのは、議会でも証言した、カリフォルニア在住のクロエ・コールだろう。彼女は生理と胸が嫌で12歳で性別違和を訴え、13歳で思春期ブロッカー、そしてテストステロンを投与され、15歳で胸の手術をおこなっている。思春期ブロッカーを摂取したことによって、更年期の症状、そして背骨や関節の骨の痛みに悩まされたという。





母親は「そんなこと(ホルモン投与)をしても幸せになれない。大人になるまで待ったらどうか」と考えていたが、医師には「あなたは、死んだ娘とトランスジェンダーの息子のどちらがいい?(よく聞かれる定番のフレーズである)」といわれている。そういわれたら、親は何もいえまい。





医師によれば、すべての問題は性別移行を終えたら解決するはずであったが、彼女はむしろ自分は女性だという確信だけが強まっていった。そして「あなた死んだ娘とトランスジェンダーの息子のどちらがいい?」と医師が発言した際にはなかった自殺願望を、むしろジェンダー肯定医療の開始後にもつようになる。





もちろん、こうしたケースばかりではないだろう。ジェンダー肯定医療によって、幸せになったという子どもたちもいるに違いない。しかしひとりひとりの人間も悩みも人生も多様であるように、ジェンダー肯定医療に救われる子どもばかりではないのだ。そうでないケースに耳を傾けることは、いけないことだろうか。むしろ性別違和に悩む子どもやその家族こそ、いろいろなケースについて知る必要があるのではないか。





彼らは、将来に子どもをもつかどうかも現実の問題として考える前に、そして性経験もなく、自分にとって性的な快楽を犠牲にしてまで性別移行をすべきかどうかについて、具体的に考えることもなく、性別移行に足を踏み入れてしまっている。クロエの言葉を借りれば、「法的に車を運転できる前に」、女性としての将来の大部分を奪われてしまったのである。





彼らが求めていることは、実はシンプルである。彼らは孤独で、混乱していて、話を聞いて欲しかったのだ。早急なジェンダー肯定医療ではなく、セラピーが欲しかったといっている(しかしジェンダー肯定医療ではなく、セラピーを施すことは、「転向療法」とみなされる傾向があり、実際にはそう簡単ではなくなってしまっている)。彼らが欲しかったのは共感であり、愛情であった。そして身体が変化し、精神的にも嵐のような思春期を、なんとかやり過ごすためにアドバイスができる先達だっただろう。生理や胸の変化が大好きだったという女性に、私はいまだ会ったことがない。





こうしたジェンダー肯定医療は、日本にも入ってきている。生理への違和感を表明したことによって、ジェンダー肯定医療がはじめられた例も聞いている。また胸や生理が嫌だという女子にとって、思春期ブロッカーは小学生からも投与できるというジェンダー肯定医療を紹介するテレビ番組も、10月に放送されたばかりのようだ。





繰り返すが多くの情報や選択肢が与えられ、本人が納得して「治療」を受けることは重要なことである。そのためにも、翻訳は必要だったのではないかと思っている。「そのような翻訳を出版すれば、トランスジェンダー当事者が自殺する」と脅すのではなく、大人としてこうした課題にどのようにかかわることができるのかを、一緒に考えていく必要があると考えている。

ジェンダー肯定医療のスキャンダルに投じられた一石 KADOKAWAの出版停止が隠した問題



千田有紀



武蔵大学社会学部教授(社会学)

2023/12/11(月) 21:31


KADOKAWAの翻訳本、『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』の出版停止騒動であるが、SNS上ではまだまだ刊行を批判する声が続いている。前にもKADOKAWAの刊行中止と表現の自由-私たちはどのような社会に向かうのかで述べたが、この騒動は著者を含む出版関係者が、本の刊行停止に大きな役割を果たしてきた。なかには「これは『表現の自由』の問題などではない。内容は読んではいないが『ヘイト本』であるようだ。そういう本が刊行されなくてよかった」という意見を表明しているひともいる。





「読んではいないが」「ヘイト本」という言葉の組み合わせに驚きを隠せないが、間違いなくこれは「表現の自由」の問題である。KADOKAWAが「自主的に」刊行中止を決めたとはとても言えまい。なぜなら、本に関連したX(旧Twitter)へのポストや、KADOKAWAにもらったコメントにつけた「いいね」を削除するとまで言っているからだ。活動家の意に沿わない投稿に「いいね」をつけること、もちろんリポストすること、そしてフォローすることは、それぞれ、いいね罪、リツイート(リポスト)罪、フォロー罪と呼ばれており、活動家に反省するように詰められる、ヘイターとしての「大罪」なのである。明らかになんらかの圧力があったと考えるほうが自然だろう。





刊行中止を叫んだひとは、こうした「圧力」は国家や公権力からのものではないからいいのだ、というロジックで納得しているようであり、むしろ自分たちは善行を積んだと思っているのかもしれない。





今回の騒動は「トランスジェンダー」「LGBT」をめぐってであった。しかし本を刊行しないようにというこうした動きが、それ以外の書籍にも、そしていつの間にか出版停止をもとめたひとの著作にも、さらに公権力によってなされるようにと、波及していくことを想定してはいけないのだろうか。本来なら「自分は関係ない」と言えるひとは、本来誰一人いないはずである。





編集者が本に対してこうしたリアクションがくることを事前に想定して、幾人かのひとに事前に原稿を送ったことを、「ステマ」であると騒いでいるひとがいたのにも驚いた。なにも金品をもらい、効用をおおげさに宣伝して、コスメを買わせようとしているのではないのだ。献本は普通に行われている慣行であるし(内容が気に入らなければ、言及しなければいいだけの話であるし、批判する自由もある)、同様に映画の試写会もステマだから不当だというのだろうか。あまりに「批判のための批判」であるように感じられるし、これを批判するひとたちが「好ましい」と感じる著作には、このようなことはおそらく言わないだろう。





また多くのひとが実際には読んでもいない本の翻訳の刊行が中止されたのだが、「英語で読めばいいじゃないか」という意見があった(実際、Amazonの洋書のランキングの上位をアビゲイル・シュライアーによるこの本が占めている)。日本語で刊行したら「傷ついて自殺するひとがでる」とまでいう本を、英語で読むぶんには構わないというのも、不思議な理屈である。たんに多くのひとに読まれたくない、ということだろうか。





ただネトウヨの嫌韓を真似して、「韓」の代わりに「KADOKAWA」をゴミ箱にいれるロゴを作り、「ヘイト本でメシを喰うな 活字で人を殺すな」というフレーズと共に、「至急企画を潰すべき」だと主張していた日本共産党世田谷青年支部が、謝罪して当該ポストを削除したことは、さすがにホッとした。右も左も、行為だけみたら同じだというのは、さすがにどうかと思った。



アメリカのワシントンD.C.のホロコースト博物館で、ナチスによる焚書の記録を見たことがある。闇夜に本に火が放たれ、大きな炎と共に燃えていくシーンは、誤解を恐れずに言えば、とても美しかった。きっとアーリア人の優越性を信じ、純粋なドイツの文化を守ろうと考えたひとたちには、もっと美しく映っただろう。自分の意に沿わない意見、とくに間違っていると信じている意見がこの世から消え、自分の「正しさ」を確信する行為は、ときにひとを魅了する。それは理解できる。しかし、ひとは間違うのだ。すべてのひとが、間違い得る。だからこそ自説の正しさを証明するには、まさに言説によって、対抗的な言説を丁寧に批判していくことによってなされるしかないのである。冷静になって、議論によって合意を作り上げる社会を望みたい。

KADOKAWAの刊行中止事件から、私たちが学ぶべきもの



千田有紀



武蔵大学社会学部教授(社会学)

2023/12/9(土) 12:28


KADOKAWAから発売予定だった「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」(アビゲイル・シュライアー著、岩波明監訳、村山美雪・高橋知子・寺尾まち子共訳)が発売停止になった。講演会などが抗議活動で中止になることは今まであったが、本が発刊停止になるという事態は、前代未聞ではないだろうか。しかもこの本は、『エコノミスト』誌の2020年の「その年の本」、2021年の『ザ・タイム』紙と『サンデータイムス』紙のベスト本に選ばれ10カ国もの国で翻訳されている話題の本であった。



発売が宣伝されると同時に、Amazonでの「ジェンダー」のカテゴリーでは1位、総合でも26位になっていたという情報もある。多くのひとが関心をもって予約した。



その一方で、SNSではこの本に対する反対運動が広がった。トランスジェンダーは社会的に「感染」などしない(タイトルを虚心に読めば「ブーム」が感染するのだと書かれているし、社会現象が「感染」することは、取り立てて問題のある視座だとは私は思わないが)、内容は読んでいないが、これはヘイト本である。すでに海外でも、そう評価している人がいるのだと。



しばき隊関係者と思しき人が、KADOKAWAの社屋の前で抗議活動をすると言い出した。また東京のみならず、地方でもその動きに同調する企画が発表された。社屋前での街宣となれば、出版社が震えるのは当然だろう。SNSに詳しければトランスジェンダー関連の書籍は、こうした動きがあるだろう、毎度の騒ぎだと思うかもしれないが、出版社の上層部は寝耳に水だったのではないか。



また実際の依頼や仕事の経験の有無にかかわらず、KADOKAWAとは仕事をしないという著者が現れた。「あちらを出すつもりなら、こちらは出しません」という戦略でジャニーズ事務所が大きくなったように、これをされたら出版社は困る。とくに違う部署の企画などが潰れるのであったらと考えれば、担当編集者へのプレッシャーは非常に大きい。



こうした現象から分かるように、興味深いのは抗議を主導した人たちのなかには、出版関係者が多かったことだ。事実、「トランスジェンダー差別助長につながる書籍刊行に関しての意見書」が出版関係者(出版社勤務・書店勤務・著者等)24名から出された。



発売中止になってからの反応もさまざまであった。まず、「検閲は政府や公権力が行うものであるから、自分たちはなんら学問の自由や表現の自由を侵していない」という意見など。ミルの『自由論』をあらためて取り出して、異なる翻訳で2冊を比べて読み直した。2章を読んで欲しい。ミルが問題にしたのは、まさにこうした「国民による」自由の制限だったのではないか。人類の可謬性を前提とすれば「沈黙させることで人類全体が失ってしまうものがある」のである。



また「自分たちは何もしていない。KADOKAWAが勝手に発売停止を決めたのだ」という意見もあった。これはあまりに無責任な発言であると思う。中身を読まないままに「ヘイト本」であると決めつけて、出版を批判したのだから、ここは素直に目的を達成したことを喜ぶべきなのではないか。



また、「仕事をしない」宣言とは逆の動きも多くあった。つまり、「何かお手伝いできることはありませんか」「勉強したいなら呼んでください」とKADOKAWAに呼びかけるものである。つまり「差別」と批判する一方で、「研修」を申し出る(研修を受けたら、それ以上の批判はされないだろう)という、どこかでみた古くからあるような、新しいモデルである。



さらに興味深いのは、監訳者の岩波さんに対する批判はほぼ皆無だったことである。岩波氏は、トランスジェンダーを専門とされているわけでもなく、またよく知られた有名人である。ところが監訳者には無風であるが、出版社に対する風当たりは、相当な台風であった。



「トランスジェンダーに批判的な(?ほとんどのひとが本を読んでもいないので、どこがどう批判的であるかすら、本当はわからない)本を企画したら、どうなるかわかっているだろうな」という「見せしめ」の効果はじゅうぶんにあった。今後、類書を出す勇気のある出版社はさらに減るだろう。



若い女性の性別移行が問題となり、海外ではトランスを後悔したひとたちからのクリニックへの訴訟が連発されている現在、こうした本が翻訳されることは、性別違和に苦しむ当事者たちにとっても重要なことだったのではないか。批判するにしても、せめて読んでからするべきなのではないか。こうした行動が、どのような社会を導き出すのかについて、あらためて考えて欲しい。

KADOKAWAの刊行中止と表現の自由-私たちはどのような社会に向かうのか



千田有紀



武蔵大学社会学部教授(社会学)

2023/12/7(木) 10:36


10月25日の性同一性障害の特例法の大法廷は、戸籍の性別変更の審判の際に「生殖腺がないか、その機能を永続的に欠く」という手術要件を、裁判官の全員一致で「違憲」としました。ただ性別移行のためのもう一つの条件、「変更する性別の性器に似た外観を備えている」という外観要件は、最高裁では「違憲」とは判断されず、高裁に差し戻されました。



女性から男性へと移行しようとするひとは、ホルモン治療による性器の変化で「(ペニスという)外観」を備えていると考えられることが多いので、女性から男性への戸籍の性別変更のハードルはぐっと下がったと言えるでしょう。よかったと思います。



しかしこれまで一貫して問題となってきたのは、男性から女性に移行することです。高裁に差し戻されましたが、15人の裁判官のうち3人の裁判官が、外観要件を「違憲」だと判断しています。ここではその根拠を、とくにこれまでよく問題とされてきた「女湯」との関係で、裁判官がどう考えているのかをまとめてみようと思います(なので、ここでは性同一性障害のひとを男性から女性に移行しようとしているひと、不安を感じるひとを女性として読み解いてみます)。





三浦守裁判官の意見

外観要件を満たすためには外科手術をするか、ホルモン治療をするしかない。手術は、「生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果等をもたらす身体への強度の侵襲である」し、ホルモン治療も「生命又は身体に対する相当な危険又は負担を伴う身体への侵襲」ということができる。そもそも外観要件が要求されるのは、公衆浴場などでの社会生活上、混乱を生じる可能性があるからである。風呂は、厚生労働省の助言を受け、条例で男女別などと定められている。風呂に入るときに、法的性別を確認されるわけではない。





これらを踏まえると、性同一性障害のひとは社会全体からみれば少数である上に、性別適合手術を受けたひとも多くいる。性同一性障害のひとは、医者にかかりながら性別移行したいひとたちなのだから、女(文中では「他の性別」)に受け入れられたいと思いながら、女のひとたちを困惑させ、混乱させると考えること自体が、非現実的である。



このことからすると、手術要件がなかったとしても、性同一性障害のひとが公衆浴場を利用しても混乱が起こることは、「極めてまれなこと」と考えられる。また特例法は、例外を求めてはいけないとは書いていないので、別に法律をつくることもできる。混乱の可能性は極めて低いのだから、利用者は安心して公衆浴場をつかうことができる。





外観要件がなければ、「心は女」といって女湯に入ってくるという指摘もあるが、外観要件は、医師が診断した性同一性障害のひとが性別変更するための規定なのだから、この規定がなくても女湯には入れない。不正があれば対処すればよく、そのことは性同一性障害のひとの権利を制約する「合理的関連性」にはならない。





特例法ができて19年が過ぎ、1万人を超えるひとが性別変更をして、理解は広まりつつあると同時に環境整備もなされてきたのだから、外観要件がなかったとしても社会的な混乱が生じる可能性は低く、今まで通り(女性たちが)お風呂を安心して使い続けることが、社会全体にとって理解が困難だとは思われない。





またトイレや更衣室の利用にかんしても、トイレは他人の性器などは見ないのであるし、性器にもとづいて(男女が)区別されているわけではないので、外観要件は関係ない。安全にトイレを使うことは生活していくうえで不可欠で、それは性同一性障害のひとも同じである。トイレの使用によって、外観要件を維持する合理的な理由はない。



外観要件は、憲法13条違反である。





草野耕一裁判官の意見

外観要件を満たすためには、手術を受けなくてはならないが、「手術はそれ自体が申請者に恐怖や苦痛を与えるものであり、加えて、これらの手術を受ける者は感染症の併発その他の生命及び身体に対する危険を甘受しなければならない」。この外観要件は、公衆浴場等での社会生活上の混乱が起きるとされるが、これは「己の意思に尽して異性の性器を見せられて羞恥心や恐怖心あるいは嫌悪感を抱かきれることのない利益」を保護することだと考えられるだろう。これは尊重されるべき(女性の)利益だろう。いろいろな利益が対立したりするが「最善の視点」で、外観要件があるほうがいいか、ないほうがいいか考えてみよう。





外観要件が合憲の社会では、女湯の女性たちは男性器を見なくて済むが、性同一性障害のひとは、身体への侵襲を受けない自由を手放して我慢して手術を受けるか、「性自認に従った法令上の性別の取扱いを受ける利益の享受を断念する」しかない。女の人たちが男性器を見なくて済むという静謐な社会ではあるが、それは手術をしないひとの「自由ないし利益の恒常的な抑圧によって贖われた(あがなわれた)もの」にほかならない。ホルモン治療で外性器が変化していたとしても、それはあてはまる。





外観要件が違憲の社会を考えてみよう。女性たちが見たくもないのに男性器を見せられることが起こるかもしれない。しかし、2つの点に注意すべきだ。





第一に性同一性障害の人の数は少なく、手術をしている人も多く、手術をしていない人は少ないうえに、女性たちが男性器を見たくないと知っているのに、あえて女湯に入場し、男性器を見せるような行動をするひとはもっと少なく、存在するとしても、「ごく少数」にすぎないだろう。だから、女性が意に反して男性器を見せられる「可能性はそもそも極めて低い」。





第二に施設を業者が管理していることだ。①厚労省は男女は身体的特徴によってわけるべきといっている、②手術していないひとの入浴を禁止するか、許容するか(日時や曜日を限るなど)、あるいは中間的措置(無料か有料かでの水着を着てもらう)などのルールを定める必要があるだろう。





業者はトラブルを未然に防いで多くのひとに満足してもらいたいと考えるだろうから、細心の注意を払うので、女性たちが意に反して男性器を見せられる可能性はさらに低くなるだろう。したがって、手術要件があっても女性たちは意に反して男性器を見せられる可能性は低く、また性同一性障害のひとも手術を受けないで性別取り扱いの変更を受ける利益が与えられ、自由や利益に対する抑圧は大幅に減少する。





したがって外観要件が「違憲」である社会のほうが、「合憲」である社会よりも「善い社会」であるといえる



宇賀克也裁判官の意見

「医学的必要性の有無にかかわらず、また、本人が生殖腺除去手術を受けることを望んでいるかを問わず、生殖腺除去手術を受けなければ法的性別の変更を認めない制度は、自認する性別と法的性別の不一致により多大な不利益を受けている者に、法的性別を自認する性別と一致させるために生命身体への危険を伴う生殖腺除去手術を受けることを選択するか、危険を伴う生殖腺除去手術を回避するために自認する性別と法的性別の不一致と伴う社会生活における様々な不利益を甘受するかという過酷な二者択一を迫るととになる。そして、本件規定は、生殖腺除去手術を受けない者は真正の性同一性障害者ではないという、医学的根拠のない不合理な認識を醸成してしまうおそれがあると思われる」。





「他方において、5号規定(外観要件)を廃止した場合に社会に生じ得る問題は、もとより慎重に考慮すべきであるが、三浦裁判官、草野裁判官の各反対意見に示されているとおり、上記のような過酷な選択を正当化するほどのものとまではいえないように思われる。したがって、私は、5号規定も、本件規定と同様に違憲であるとする点で、三浦裁判官、章野裁判官の各反対意見に同調する」。





裁判官の意見を読んで

ざっくりとしたまとめですので、厳密性には欠けるかもしれませんが、以上です。裁判官がどれだけ理解してくださっているかはわかりませんが、個人的には、女性たちが懸念しているのは、性暴力だと思います。女湯で、男性器を見させられること(だけ)ではなく(だから水着の着用は何の解決にもならず)、自分の身体も見られることを含む暴力的な視線であったりもするのだと思います。実際にSNS上で、男性器を隠して女湯に入ったひとの、そういったレポートがなされていたりしているからです。





だからこそ、性同一性障害の「振り」をするひとを排除するために性別変更のハードルをあげたいという考え方が起こるのですが、そこは性同一性障害のひとの性自認を尊重して欲しいという願いとの葛藤が起ってしまっているのだと思うのです。また裁判官の言うように、性別適合手術だけではなくホルモン治療も「生命又は身体に対する相当な危険又は負担を伴う身体への侵襲」だというのであったら、未成年に対するホルモン治療などはとくに、細心の注意が払われるべきだと思いました。





外観要件がなくなったら、「嘘」をついて性同一性障害のひとの振りをする加害者がいるのではないかという懸念を女性たちがもっていることを前提として読むと、「(性別適合手術という)過酷な選択を正当化するほどのものとまではいえない」という裁判官の「比較」には、胸が痛くなるものでもありました。女性たちが男性器を見たくないと知っているのに、あえて女湯に入場し、男性器を見せるような行動をするひとが存在するとしても、「ごく少数」にすぎないというあたりは、少数だったらいいのだろうかとも思いました。こういった加害者の存在のせいで割を食っているのは、性同一性障害の当事者そのものであると思います。





いずれにせよ、いろいろなひとの願いと権利が交錯して、簡単な解決法などはないと思います。だからこそ、オープンに話し合いを積み重ねていくことを願いたいと思います。

性同一性障害と「女湯」問題-性器の外観要件も「違憲」と反対意見をつけた3人の裁判官はどう考えたのか?



千田有紀



武蔵大学社会学部教授(社会学)

2023/10/25(水) 21:52


滝本太郎弁護士が、さまざまな妨害にも屈することなく、女性スペースを守る会の「防波堤」となった経緯を、性同一性障害特例法の違憲性の大法廷がもたらすもの―さまざまなひとたちの合意はどう見つけられるのかではお聞きした。今回は特例法の大法廷をめぐる疑問について答えていただいた。





「前に私が記事に書いたのですが、特例法の手術要件をめぐる議論は、なんで違憲性が問われているかが、わからなかったんですね。性別変更の審判ができる条件として『生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること』と定められています。



原告の代理人は、特例法には『手術』をせよという文字はない、ホルモン治療によって生殖機能が著しく低下している場合は、性別適合手術が不要なのだと主張されていました。そうであるならば、その個々の法文の解釈の問題にすぎないでしょう? なぜ憲法が違憲かどうかという話になっているのか、さっぱりわからなかったのです」。こう滝本さんに水を向けてみた。





「いや。問いの立て方は逆です。手術要件は憲法違反ではない、違憲ではないという判決が出た場合に、それでも性別適合手術をしなくても性別変更をしてもいい、男性器をつけたまま『女性』になってもいいという判決を出してもらうために、そのような主張をしているのだと思いますよ。





まず、ありえる最高裁の判断は4種類だと思われます。

『憲法違反である』です。この場合は、特例法の手術要件はすぐに死文化して、どの家庭裁判所の類似の事件でも、『法的女性』に変更可能です
『違憲状態である』です。この場合は、すぐには手術要件は無効にはなりませんが、国会に法律を変更する義務が生じます
憲法判断を示さない。そのうえで本人のホルモン治療が「生殖腺の機能を永続的に欠く状態にある」にあたるとする。違憲とはしないが、実質的に手術することなく性別変更が可能になります
「合憲である、認めない」




「それでは違憲であるという判断をしなくても、性別適合手術なしで、性別変更が可能になる場合があるということですね。なるほど思い至りませんでした。不思議なことをいうなぁと思っていたのです」





「そうです。ホルモン治療で、『生殖腺の機能を欠く』『永続的』といってよいのかという問題です。男性器をつけたまま法的女性になったあとにホルモン治療などをやめても、法的女性ではあることになります。診断書は1日で取れるところもあるから、性犯罪目的の人が使い、女性トイレや女湯に入る可能性が結構あると思います。法的女性ですから、警察は『女性と認識している』だけの人より、はるかに腰が引けてしまうでしょう。





それにしても、抗告人代理人の「性別のあり方が尊重される権利」は、「日常生活で否定されない権利」「他者に求めることが許される」という論法には驚きました。他者にももちろん、人権があり、内心の自由があるのは当然なのですが」。





「でも、『性自認』を尊重するってそういうことですよね。差別を禁止してそこに罰則をつけるとなると、相手がいう性別、つまり性自認に一切異論を唱えてはいけないということを意味しますよね」と私がいうと





「それではいけないのです。トランス女性が男トイレに入っていると、時に男が揶揄し暴力を振るわれる。これこそが排除・差別行為でしょう。実は『トランス女性の利用公認を』という主張は『男子トイレから出ていけ』という意味でもあり、それこそが排除・差別行為だと思います。トランスジェンダーへの対応としては、女子トイレの利用公認ではなく、男子トイレを共用トイレに戻すので適切でしょう。できれば小用を見ずに個室に入れるようにしつつ、です。男は違和感があっても恐怖感はないのですし。





それから、この法廷の問題点は、『相手方』が居ないことです。手術要件を外して法的性別を変更できる国々で起こっている様々な混乱や、スポーツの分野でも思春期を過ぎた人は女性としては出場できないなど、『正常化』に舵を切ってきていることが、まったく裁判所に伝わっていない。そもそも特例法は、希望して性別適合手術をするひとについての法律だという主張が伝わっていない。裁判所は、原告の辛さ・困りごとだけを聞いて、反論も聞くことがない。おかしいです。」と滝本さん。





「そうでしょうね。私も困っていると聞くと、本当に気の毒だなと思ってしまって、性別変更させてあげればいいのにという気持ちになってしまいました。でも個別のケースを救うことと、そのことによって法律を変えることはまったく別のことであって、法律を変えることは社会に影響を及ぼさざるを得ません。『相手方』とは、具体的には誰になりますか?」





「そうなんですよ。この裁判には、国が参加していません。国が利害関係人として、参加すべきなんです。経産省トイレ裁判では制度上、国が被告だったのですが、これは氏や名の変更と同様に、相手方がない裁判なのです。だが法制度の違憲性が論点ですから、関与しないで良いはずがない。





このままでは法務大臣、総理大臣の政治責任になりますね。仮に2019年1月の判例と同様に『合憲、認めない』という結論だったとしても、反対意見が幾つも出るでしょうから問題を残します。女性を守る議連が、法務省に参加申出をするよう求めたがまだ申し出ていない、今からでも世論を盛り上げて法務省、内閣府が動かないと。最高裁がそれを認めずに違憲判決をだしたら、それこそ『最高裁の暴走』です。拒否できるものではないでしょう。」





こういうケースで、国が何も主張していないとは驚きました。勉強になりました。最後に滝本さんにいい残したことを聞いた。





「女性スペースを守る会ほか、諸団体と有志で、署名をやっています。違憲とはしないで、各党は手術要件を外す改正案を出さないで、とお願いするものです。でも、メデイアがこちらの主張も署名活動もとんと報道してくれず、弱っています。ぜひここをクリックして、違憲判決をしないようにお願いする署名をしてください」





滝本さん、貴重なお話を有難うございました。

特例法の大法廷、違憲でも合憲でも、手術なしに「女」になれる? 滝本太郎弁護士に聞く



千田有紀



武蔵大学社会学部教授(社会学)

2023/10/5(木) 6:32


最高裁判所にあっては、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の「性別適合手術の要件」につき違憲判決を下さないよう求め、各政党にあっては、この要件を外す法案を提出しないように求めます。

提出先:最高裁判所戸倉三郎長官&各国政政党代表 担当者:女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会(性同一性障害特例法を守る会、女性スペースを守る会、平等社会実現の会、白百合の会、性別不合当事者の会、性暴力被害者の会、No!セルフID女性の人権と安全を求める会及び有志) ※担当者は提出先の機関内の担当者や関係者を想定しており、提出先を想定しています。本活動と直接関りがない前提でのご記載です。

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作成者:女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会

活動詳細
経過報告11
コメント3857

活動詳細

署名終了 2023年10月23日(月)23時59分→10/24提出します
2023年10月25日が最高裁の判決日と決定しました。前々日23時59分までで締め切りとし、翌24日に第一次集約分とともに、まとめて全ての署名を提出します。


★ 第一次集約分
2023年9月25日23時59分に集約し、合計14,935 名の署名を、2023年9月26日に最高裁裁判官宛に提出いたしました。秘書官を通じて、速やかに各裁判官へ資料とともに配布されました。(署名計14,935 名のうち、オンライン署名14,652名、用紙署名283名)

特例法の手術要件について、
違憲と判断して効力を失わせたり
これを外す法改正をして、
「男性器ある女性」を出現させないで下さい!


 2023年9月27日、最高裁大法廷は、性別適合手術をしていない男性の「戸籍上の性別の変更」について弁論を開き、その上で「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の手術要件が憲法に違反するかどうかの判断をします。

 原告はこれを違憲だと主張し、その論者らは法的な性別を変えるのに手術をしなければならないのは酷だ、「断種手術だ」といいます。

 事案は、性同一性障害と診断されている男性で、高額の手術費や後遺症への不安から、精巣の摘出手術さえ受けていないということです。

―朝日新聞6月27日 https://www.asahi.com/articles/ASR6W3JM2R6RUTIL02Q.html


しかし、特例法は、身体違和が耐えがたい性同一性障害の人のうち、性別適合手術を終えた人が生きやすくするための法律です。法的性別を変更したいから手術をするのではなく、望んで受けた後に生活のために戸籍の性別も変えるのです。過去、知的障害者らにされた「断種手術」とはまったく違います。法的な性別を変更した当事者は、「手術要件があるからこそ社会から信頼される根拠になっている」と実感し、かつ公に主張しています。

 違憲の余地はありません。


 万一、特例法の手術要件が違憲と判断されると、男性器があるままの法的女性が現れます。性別が変わった後に「生物学的には父となる女性」「生物学的には母となる男性、出産する男性」もあることにもなります。

 法的女性となれば、女子トイレはもちろん女湯などあらゆる女性スペースに男性器のあるまま入れる権利があることになります。手術要件をなくしてしまった諸外国と同様に、社会的に大きな混乱が起きることは明白です。

 法を改正することは不適切です。


○ よって、最高裁判所にあっては、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の「性別適合手術の要件」につき違憲判決を下さないよう求め、各政党にあっては、この要件を外す法案を提出しないように求めます。


■ マンガですぐ分かる!
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『今、目の前に迫る危機』手術無しで性別を変えられる?



■ 漫画チラシをポスティングなどしてみようという方は、ぜひご連絡ください。

漫画チラシをお知り合い等に渡す、各戸にポスティングしていただく場合は、200枚単位で無料送付もいたします。ご協力いただける方は、送付先のご住所・お名前・希望枚数を

save@womens-space.jp(女性スペースを守る会)

へメールでお送りください。「漫画チラシの送付希望」というタイトルでお願いします。

※局留めも可能です。希望される方は郵便局の住所と名称、それにご自身の氏名をお知らせください。局留めの場合は受け取りの時に身分証明が必要ですので、本名でないと受け取れません。

※頂いた住所・氏名など個人情報の秘密は厳守致します。


■ 郵送での署名も受け付けております。

署名チラシのダウンロードはこちらのURLから。

https://gid-tokurei.jp/pdf/shomei.pdf



■ 連絡先

女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会

 【E-mail】 info@gid-tokurei.jp

 【FAX】 046-263-0375

 【WEB】 https://gid-tokurei.jp

 【郵送先】 〒242-0021 神奈川県大和市中央2-1-15-5階 大和法律事務所内


■ SNS

性同一性障害特例法を守る会
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女性スペースを守る会
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平等社会実現の会


白百合の会
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性別不合当事者の会
 https://note.com/ts_a_tgism/

性暴力被害者の会
 https://reliefkids.wixsite.com/---------victim-surv
 komaken602@gmail.com

No!セルフID 女性の人権と安全を求める会
 https://no-self-id.jp/wrws/
 no.self.id.jp@gmail.com


【署名活動およびエール(寄付金)の経費精算についてのご報告】

2023年11月12日配信 経過報告

求署名にご協力いただいた皆様、こんにちは。
女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会です。
署名活動およびエール(寄付金)の経費精算についてのご報告をいたします。

このたびの署名につきまして、数多くの署名に加え、エール贈呈者様 813名、また、銀行振込9名と、たくさんのエールをありがとうございました。

【経費報告】
 エールは署名サイトからのほか、銀行振込も合わせて 計 1,557,400円をいただきました。
署名サイトの手数料を控除し、当連絡会へ1,142,136円が入金されました。
そのうち1,026,183円を経費として使用し、残金合計 115,953円となります。
残金についてはロビイング用の小冊子を作成し国会議員を中心に配布する予定となっておりますので、そちらの費用にも充てさせていただきます。

以下、署名活動の経費内訳です。

コピー代 ¥214,630
印刷代 ¥225,576
郵送費 ¥124,232
交通費 ¥293,094
通信費 ¥51,810
物品購入費・その他雑費 ¥116,841
合計 ¥1,026,183
残金 ¥ 115,953


【活動報告】
署名活動は、2023年8月10日から始まり、第一次集約を2023年9月26日、署名終了を2023年10月24日とし、最高裁には署名の2度の提出行動・要請行動を行いました。
また、これに基づいた記者会見を計3回、さらに政党あての活動を随時行いました。

署名数は、オンライン署名19,756名、紙署名346名を含め、合計で20,102名です。メッセージは非公開分も含め7,261名の方からお寄せいただきました。これも最高裁裁判官と、国政政党すべてに提出しました。

紙署名チラシ54400枚、漫画チラシ26400枚を希望者など各所に郵送し、ポスティングなどで配布して頂きました。また、有楽町の街頭で計3回、チラシの配布を行いました。これは世論を盛り上げるため、またその世論の動きを議員らに伝えるためです。


【活動の結果】
 最高裁あての署名の目的「手術要件を合憲とせよ」ということに至らず、思い通りの判断をいただくことはできませんでしたが、特例法の5号の外観要件については違憲と確定せず、高裁へ差し戻しとなりました。しかしながら、女性スペースの重要性は少しずつメディアにも出るようになり、この問題に気づいてくれる方が増えてきました。ようやく国民的な関心事になってきたと実感しております。

 連絡会は、こちらで見られる2023.10.30付の連絡会の声明にある考えであり、10個の活動などを提起しています。これからも国民的な議論を進めて参ります。

 様々なご協力を誠にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

2023.11.10 女性スぺースを守る諸団体と有志の連絡会

最高裁判所にあっては、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の「性別適合手術の要件」につき違憲判決を下さないよう求め、各政党にあっては、この要件を外す法案を提出しないように求めます。


9月27日に、「性同一性障害」のひとが性同一性障害特例法に基づいて性別変更するときに生殖能力を失わせる規定が、憲法違反かどうかを問う最高裁大法廷ひらかれ、申立人側の弁論がなされた。その前日には申立人本人が裁判官の前で意見を述べる、異例の「審問」が開かれたそうだ。申立人の代理人による弁論でも、生まれたときとは異なった性別で生きることの困難さは伺い知ることができ、できるかぎり本人の困難が減り、望通りの生活ができますようにと祈らざるを得ない気持ちになる。





申立人が再三強調していた、「世の中に訴えたいことがあるわけではない」「社会全体を変えたいわけでもない」「裁判官にしか自分の困りごとの解決はできない」といった主張も、申立人個人としてはそういう気持ちなのだろう。けれども、大法廷で憲法違反という判断になった場合、性別の変更ルールに大きな変更を加えるのだから、世の中は大きく変わらざるを得ない。個人の願いを超えて、大きく社会的な問題であり、「私の願いをかなえて欲しい」といった申立人の願いを大きく踏み越える問題、社会的な問題であることもまた間違いがない。





私は法律の専門家ではない。そのためむしろ素人として、疑問に思ったことを書いてみたいと思う。





1)性同一性障害特例法は、性別変更の審判ができる条件として「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」と定めてある。申立人が、性同一性障害の診断を取り、ホルモン治療をしていることにより生殖機能が低下していることをもって、「生殖腺の機能を永続的に欠く状態にある」と主張しているのであるとすれば(確かに法律には「手術」の文字はないし、女性として生まれたひとが更年期を過ぎて生殖機能をうしなったことをもって、子宮や卵巣の摘出をしないで特例法を使って「男性」となった先例はある)、これは法律の個々の文章の解釈をめぐる問題に過ぎないのであって、必ずしも憲法の判断にする必要がないように思うのだが、どうなのだろうか?





2)ホルモン治療によって生殖機能が低下していることの「不可逆」性である。女異性のホルモンを摂取した、いわゆる「化学的去勢」のあと、ケースバイケースであると思うが、ホルモン摂取をやめても決して生殖機能が決して元に戻らないということが完全に証明できるものだろうか(当事者に聞いても意見はわかれるというのが、正直なところだが。証明書を出す医師はいる)。長期の摂取によってほぼ生殖器が縮み機能しない状態にある場合、生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあることができるかもしれない。そうしたケースの「永続的」な証明は、技術的に対応することが可能なのか。





なお今回の大法廷には直接関係ないかもしれないが、いわゆる経産省のトイレ裁判の最高裁の判決では男性ホルモン値によって、「性欲、性機能の抑制をもたらしていると判断できる」「性衝動に基づく性暴力の可能性は低いと判断される」といった医師の診断が出され、「女性に対して性的な危害を加える可能性が客観的にも低い状態」とされていた。しかし性暴力は性衝動からくるばかりではない(むしろ支配欲などの性欲以外からくることが「通説」とすらなっている)。女性ホルモンを摂取していれば性欲がまったくなくなると考えられているとすれば、それは「女性には性欲がない」といった俗説との違いはどこにあるのだろうと訝しく思った。個人的にはかなり望ましくないホルモン決定論であると思う(そしてこれはトランス解放運動に心を寄せる学者も、おおいに賛同するはずだ)。





3)特例法の対象となるひとは、身体とは違う性別に心理的には「持続的な確信」をもっていて、2人以上の医師の診断が一致し、「自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」である。今回、手術を望まないとしても、ホルモンを摂取等していれば少なくとも、「身体的に他の性別に適合させようという意思がある者」と認めるという解釈をしているということでいいだろうか。周囲の強い身体違和をもつひとは、「男性器が付いたままでは、絶対に死にたくない」等と手術を望んでいることが多いからである(意地悪で言っているのではなく、法律の解釈の問題であるとご理解願いたい)。





女性から男性への性別変更は、すでに手術なしにおこなわれていても、誰も反対していない。そこに「フォビア」から反対する者など、皆無であろう。ただこれだけの問題になっているのは、男性から女性への容易な性別変更は、女性スペースの安全性を脅かすと考えられているからである。現在、性同一性障害の診断はクリニックによっては即日でる、場合によっては20分ででるなどの事例が多数知られるようになり、診断への信頼性も揺らぎつつある。





この大法廷へ至る過程で、性別適合手術のことを「断種手術」と呼んだりして、かなりの批判が行われた。しかし性別適合手術は、母体保護法との緊張関係のなかで、なんとか手術を望むひとたちの願いが実現したものであり、保険の適用もおこなわれている。個人的には、望んで手術を受けたいというひとたちの願いが、踏みにじられないようにならないかが心配である。彼らは現行の性同一性障害の特例法の維持を、強く望んでいる。当事者にもいろいろいることが、忘れられないようにも希望したい。


そもそも性別適合手術は、身体に対して強い違和感があり、それを解消するために行われます。精神科医が患者を診察して、本人が強く希望し、性別に対する違和感からくる苦痛・苦悩を取り除くためには手術をするしかないと判断して初めて行われるものです。…
当然、戸籍変更したいからというような個人の利得のために行うものではありませんし、それを理由として手術を希望しても、本来精神科医の診断は得られないし判定会議も通りません。この法律は、手術を行い、男性として、あるいは女性として生きている人の戸籍上の性別を、そのままだとあまりに不便だろうから現状に合わせて変更しましょうというものです。つまり、「特例法の要件を満たすために手術をする」のではなく「手術をした人の性別を追認する」ための法律なのであり、順序が逆なのです。
性同一性障害特例法の手術要件に関する意見表明 手術要件の撤廃には、更なる議論が必要 gid.jp日本性同一性障害・性別違和と共に生きる人々の会)

性同一性障害特例法の違憲性の大法廷がもたらすもの―さまざまなひとたちの合意はどう見つけられるのか



千田有紀



武蔵大学社会学部教授(社会学)

2023/9/28(木) 9:29


2019年(平成31年)1月23日、最高裁判所は性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下性同一性障害特例法)が定める性別の取扱いを変更するための「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」と「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」という条文(以下手術要件と呼びます)が、憲法13条などに違反するとして、戸籍上は女性である岡山県在住の臼井崇来人(たかきーと)さんが手術を行わないで男性への性別の取扱いの変更を求めた家事審判で、「現時点では憲法に違反しない」との初判断を示し、性別の取扱いの変更を認めない決定を出しました。

これは裁判官4人全員一致の意見ですが、うち2人は手術なしでも性別変更を認める国が増えている状況を踏まえて「憲法13条に違反する疑いが生じている」との補足意見を示したとのことです。

私たちは最高裁判所判断を妥当である考え、支持します。

以下、性同一性障害特例法の手術要件について、当会の考えを表明いたします。



1.性別適合手術は、強制断種手術ではない

性同一性障害特例法に手術要件があることを「断種要件」と呼んだり、旧優性保護法下において、遺伝性疾患や知的障害、精神障害の方の一部が国によって強制不妊手術を受けたことに関連づけて、国による不妊手術の強要であるとか強制断種であるかのように報道されたり主張する人が存在します。
しかし、性別適合手術や手術要件は、強制不妊手術でも強制断種でもありません。
まず、国による強制不妊手術は、本人の同意無く行われたものです。しかし、性同一性障害における性別適合手術は、本人の強い希望によってのみ行われ、しかも全額自費です。
性同一性障害の当事者の多くは、手術を受けたいために懸命にお金を貯めて、精神科や婦人科や泌尿器科に(場合によっては何年も)通って診断書をもらい、更に手術まで何年も待たされたり時には海外に行ったりしてまで受けます。
元々性別適合手術は、手術を嫌がる医師を懇願の末になんとか説得して、ようやく始まったという歴史的経緯もあります。このように強制性は存在しません。
確かに一部の当事者に「手術は受けたくなかったが特例法によって戸籍の性別の取扱いを変更するためには受けざるを得なかった。これは一種の強制である」と主張する人もいるようです。しかしながら、これはおかしな話と言わざるを得ません。
そもそも性別適合手術は、身体に対して強い違和感があり、それを解消するために行われます。精神科医が患者を診察して、本人が強く希望し、性別に対する違和感からくる苦痛・苦悩を取り除くためには手術をするしかないと判断して初めて行われるものです。しかもその診断が間違いでないように2人以上の精神科医が診ることになっていますし、更には専門家による判定会議も行われます。
当然、戸籍変更したいからというような個人の利得のために行うものではありませんし、それを理由として手術を希望しても、本来精神科医の診断は得られないし判定会議も通りません。
もし、本当は手術をしたくなかったけれど、戸籍の変更のために仕方なくやったという人がいるなら、その人は精神科医も判定会議のメンバーも騙したということに他なりません。
また性同一性障害特例法は「性別の取扱いの変更を行うには、手術をしなさい。」と定めているわけではありません。
この法律は、手術を行い、男性として、あるいは女性として生きている人の戸籍上の性別を、そのままだとあまりに不便だろうから現状に合わせて変更しましょうというものです。
つまり、「特例法の要件を満たすために手術をする」のではなく「手術をした人の性別を追認する」ための法律なのであり、順序が逆なのです。

2.性同一性障害の当事者の中でも意見が分かれている

そもそも、この手術要件の撤廃を性同一性障害の当事者が全員望んでいるのかというと、そうではありません。特に当会に所属している当事者の方には、手術要件の撤廃に反対の立場を取る人も多く存在します。
性同一性障害の当事者のうち、特に身体に対する強い違和感がある中核群と呼ばれる人たちは、手術を必要としています。従って中核群の当事者にとっては、手術要件があったとしてもそれ自体は大きな障壁とはなりません。

3.権利を侵害されることになる側(特に女性)への配慮が必要

手術を必要としないとなると、男性器を持った女性、女性器をもった男性が存在することになります。
世の中にはトイレ、更衣室、浴場、病室、矯正施設など男女別の施設がいくつもありますが、これらの施設が男女別になっていることには意味があります。特に、性的被害を受ける可能性が高い女性にとっては「安心・安全な環境を提供する」という意味合いがあります。
しかし、手術を必要とせずに戸籍の性別変更ができるとなると、男性器をもった人、しかも場合によっては女性を妊娠させる能力を持った人がこうした女性専用の施設に入場してくることになります。
世の中に女装した人の痴漢行為や盗撮などの性犯罪が多く存在する昨今、これで本当に女性の安心・安全な環境を提供することができるのでしょうか。
実際、手術要件の存在しないイギリスやカナダでは、女性用刑務所に収監された未手術の受刑者による強姦事件も発生しています。
もちろん、そうした罪を犯す人が悪いのであって、それによって無関係の人にまで累が及ぶのはおかしいという考えもあるでしょう。
しかし、罪を犯す人が悪いだけという論法であれば「女性専用車両」というものは必要ないわけです。痴漢は、それを行った人だけが悪いのであって、他の男性は無関係です。しかし女性専用車両が必要となった背景には、そうでないと女性の安心・安全な空間を確保できないと判断されたからです。
女性は、多くの人が小さいときから性的関心を受けたり怖い思いをしたりしています。触ったり盗撮したりという明らかな犯罪まではいかなくても、じろじろ見られたり、迫られたりしたこともあるでしょう。
それを考えれば、これはやはり男女別施設によって安心・安全な環境を提供されるという権利を侵害していると考えられます。となれば、当事者側の権利の主張だけで物事を通すことはできません。
それでは、入れ墨のように施設によって未手術の人を排除するということは可能なのでしょうか。
これも難しいでしょう。特例法では、第4条第1項に「法律に別段の定めがある場合を除き、その性別につき他の性別に変わったものとみなす」と定められています。従って性器の有無だけで法的に性別が変わった者を排除することに合理性は見いだしにくく「差別」にあたることになります。数年前に静岡で性別の取扱いを変更した人がゴルフ場への入会を拒否された事件では、差別にあたるとしてゴルフ場側が敗訴しました。
それでは「法律で別段の定めを作れば良い」という話になるでしょうか。例えば「未手術の人は特定の施設の利用を制限できる」とか。これもどうでしょう。これではある意味「あなたは完全な女性(または男性)ではない」と言われているようなものです。二等性別のように扱われることで当事者は傷つくことになります。

4.戸籍変更後に、変更前の性の生殖機能で子どもができる可能性

妊娠したFTMの人は生殖器をそのまま持っている訳ですから、当然男性に性別変更した人が出産したり女性に性別変更した人が妊娠させたりすることがありえます。つまり男性が母、女性が父ということがありうるということです。
実際、海外の事例で男性に性別変更した人が出産したという事例があり、ニュースにもなっています。
別に男性が母になってもいいのではないかという議論は確かにあるでしょう。が、こうなってくると男とは何か、女とは何かという定義というか哲学や宗教の扱う範囲になってしまいます。現状の法律や行政の体制はもちろんそれを前提としておらず、いろいろな制度で手直しが必要になってくるでしょう。
更に「家族観」も問題です。世の中には、保守系の方を主とする家族観に厳しい人が大きな勢力として存在しています。夫婦の選択的別姓が実現しないのも、代理母出産が実現しないのも極端に言えばこの人たちが反対しているからと言われています。特例法の「現に子がいないこと」要件の削除が実現しないのも「子どもの人権に配慮して」というよりはこうした人たちの家族観に反するというのが大きな要因と言えます。
そうした家族観からすれば、男性が母、女性が父となる要素は受け入れ難いと考えられます。私たちの存在は、そうした「家族観」を壊すものではあってはなりません。

5.要件の再検討が必要

現行の特例法から手術要件が無くなると、20歳(成人年齢が変更になれば18歳)以上、婚姻していないこと、現に未成年の子がいないこと、性同一性障害の診断を受けていることの4つが要件として残ることになります、果たしてこれでいいのかを考えなければなりません。
世界にはアルゼンチンのように、医師の診断書も必要なく申請だけで性別変更ができる国もありますが、日本もそこまで行くのでしょうか。
私たちは不十分と考えます。これだとホルモン療法も全くやっていない、身体の状態は完全に男性のまま、女性のままという人も対象になるからです。性同一性障害であるという確定診断は、身体の治療を始まる前に出ます。項目3に書いたように、権利を侵害されることになる側への配慮が必要ということを考えると、さすがに身体の状態が出生時の性別のままというのは厳しいと言わざるを得ませんし、社会適応できているとは言えません。髭もじゃの人を女性として扱うことに抵抗感があるのは当然でしょう。
とはいえ「性自認の性別で他者から見て違和感がないこと」のような基準は、客観性が無いため設けることは困難です。イギリスでは Gender Recognition Act 2004(性別承認法)において Been living permanently in their preferred gender role for at least 2 years(少なくとも2年間は望みの性別で日常生活を送ること)というように、性自認に従った性別での実生活体験重視の発想をしています。しかし、これもどうやって、誰が検証するのかという問題がでてきます。
基本的に法律は裁判官に判断を丸投げするような形ではなく、明確に判断できる基準を設けなければなりません。そのためには客観的な誰でもが評価できるような判断材料が必要となります。
それでは精神科医が判断するということではどうでしょうか?いや、これだと精神科医が完全に門番になってしまい、現在のガイドラインで唄われている当事者にサポ-ティブに接するということと反しますし、精神科医に人生の大問題を決める権限があるのかというのも疑問です。というわけで、手術を外すのであれば代わりにどのような基準を設けるのかについて、今後検討が必要でしょう。

6.性別の再変更の可能性の検討が必要

手術要件を撤廃すると、変更へのハードルはが大きく下がることになります。逆に言えば安易に性別変更を行う人が出てくるということです。現行の特例法では再変更は全く考慮されていませんが、手術要件を撤廃するとなると考えておかなければならなくなります。
もちろん自由に変更できて良いでは無いかという考えもあるでしょう。が、性別というものを、その時々の都合でそんなに変えて良いものなのか、私たちは疑問に思います。


7. 結論として

結論的に、現時点で手術要件を外すということについては議論が不足しており時期尚早と考えます。
少なくとも、当事者のニーズがどれくらいあるのか、実際に外した場合影響を受ける(特に女性)側の受け入れは可能なのかなどの調査が必要でしょう。また、上記項目5で書いたような要件をどうするのかという検討も必要です。
GID学会や日本精神神経学会には、まずはこうしたアカデミックなエビデンスを揃えていただくよう要望いたします。また、今後の性別変更の要件についても試案を提示すべきでしょう。
さらに、手術要件撤廃を訴えている人は、国に対してその要望を行う前に、世間に対して男性器がついていても女性、子どもが産めても男性なのだということについて、理解と支持をとりつけるべきでしょう。
以上より、私たちは「性同一性障害特例法からの現時点での性急な手術要件の撤廃には反対。撤廃するかどうかを含め、今後更なる意見収集や国民的議論が必要」と考えます。
これに基づき、今後国会議員や関係省庁にも議論をスタートするよう求めていきたいと思います。
私たちは、社会の一員です。当事者の主張がわがままになってはなりません。この問題は、みなさんで大いに議論をし、納得をした上で進めようではありませんか。

2019年2月 運営委員一同

性同一性障害特例法の手術要件に関する意見表明

手術要件の撤廃には、更なる議論が必要

2019年2月20日