加賀ななえ(富士見市議会議員)@Nanaekaga質疑2024年3月13日PDF魚拓とそれならMTFSRS手術済みGIDMTF向けに性別秀吉専用スペースと専用戸籍、ISの人向けに性別X専用戸籍と専用スペース作ってと思うMTFSRS手術済みGIDMTFである私の意見。

加賀ななえ(富士見市議会議員)@Nanaekaga質疑2024年3月13日PDF魚拓とそれならMTFSRS手術済みGIDMTF向けに性別秀吉専用スペースと専用戸籍、ISの人向けに性別X専用戸籍と専用スペース作ってと思うMTFSRS手術済みGIDMTFである私の意見。
トイレや温泉など、生物学的性で区別は良いが男女別トイレとセットで性別関係なし多目的トイレ設置して。
MTFSRSして身体女性化した私の身体には、戸籍男性用スペースは危ない、だけどMTF性別適合手術して身体女性化してもGC女性は、身体の性別変えられない理論でMTFSRS手術済みGIDMTFを生物学的女性として受け入れてくれないんでしょ、ならMTFSRS手術済みGIDMTFを戸籍の性別秀吉として扱い、ISを戸籍の性別Xとして扱い性別秀吉と性別X向けに専用スペース作ってよ。ネクスDSDジャパンさんや女性スペース守る会さんみたく男女二元論にこたわるなら、女性スペース守る会さんの女性スペースに関する法律と女性スポーツに関する法律が妥協点です、女性スペース守る会さんの女性スペースに関する法律と女性スポーツに関する法律および性同一性障害者特例法に基づき、MTFSRS手術済みGIDMTFを生物学的女性の一員として扱って下さい、よろしくお願いいたします。






加賀ななえ(富士見市議会議員)

@Nanaekaga

<「性の多様性」の施策について> 本日、市政一般質問を行いました。 以下、壇上の全文です。 ——— はじめに、約2年前まで私は、「性の多様性」の尊重があらゆる生命の尊重と、人権が侵害されない社会づくりにつながると強く信じ、その推進に努めてまいりました。 この議会においても、パートナーシップ制度の導入や同性カップルの市営住宅入居、投票時の性別確認廃止などの政策を提案してきました。 しかし、一昨年(いっさくねん)、埼玉県LGBT条例に関するパブリックコメントの過程で、女性の安全を求める声、が差別とみなされる状況に直面し、女性を自認する男性からの要求の中に、女性の生存権と直接衝突しうる内容が含まれていることを認識しました。 これにより、「性自認の尊重」に対してはより慎重なアプローチが求められると考え、市民の方々とも共にその意味を深く探求してきました。 その結果、性的指向(どのような性の人を好きになるのか)と性自認(自分の性をどう認識しているか)は、本質的に異なる概念であり、それぞれを明確に区別して考える必要があるとの認識に至りました。 さて、「性自認の尊重」とは何かについてです。 特に、性同一性障害について深く学ぶと、その診断基準が科学的根拠ではなく、「社会的性役割」、「ジェンダー」つまり女らしさや男らしさに基づいていることが分かりました。 例えば、「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」によると、「反対の性別として通用する服装や言動をする」「しぐさや身のこなし、言葉づかいなどにも反対の性役割を望み、反映させる」とあり、診断自体は本人の訴えと外見の女らしさ、男らしさという様子から判断されるもので、科学的根拠は必要とされません。 このことは、社会が取り組むべき、女ならこうあるべき、男ならこうあるはず、といった社会的性役割の問題、いわば社会の問題を、個人の心の問題として扱うことにつながっています。 このような扱いは、個人を社会の問題から切り離し、さらに「女らしさや男らしさ」の方向へと押しやるだけではなく、社会的性役割を固定化することにも繋がります。 特に成長過程の子どもや思春期の若者にとって、この考え方の弊害は著しく、私が「性の多様性」を政策として推進してきた中でも、「心の性がある」という概念を周知することで、子どもや若者をこの枠組みに押し込め、取り返しのつかない影響を与えてしまったことがありました。このような私の行動が、「子どもの人権の尊重」という理想と矛盾していたことを認め、市民の皆様に心よりお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。 どれほどの違和感や苦しみを持っていたとしても、性別とは、「血液型がAB型である」ことと同じ、変えられない事実と考えます。 男女は臓器も違い、生殖機能、かかる疾患なども異なります。 それらは、例えホルモンの投与や生殖器の手術を行ったとしても覆すことはできません。 私も自分が女性であるのは「そう感じるから」ではなく、私の身体が生物学的な分類として女性であるという事実を知っているからにすぎません。 私は現在、女性に課せられた社会的性役割の解体を目指す韓国で始まった脱コルセット運動という考え方のもと、化粧をせず、スーツを着て、髪を短く切っています。 しかしながら、これらの選択によって、私が女性であるという事実が覆されることは決してありません。 これまでの歴史では、社会に押し付けられる「女性とはこうあるべき」という社会的性役割により、女性はズボンを履くことはできず、髪を短くすることはできませんでした。 また、選挙に立候補することも、さらには投票することも許されない時代がありました。 私は女性という性別に生まれた一人の人間として、どのような選択をしても、どのような外見を選んだとしても、堂々と存在できる社会を切望しており、社会的性役割は解体することこそが必要と考えます。 特にこの問題では、女性と子どもに大きな負担を強いてきました。このことから、女性と子どもが直面する問題に焦点を当て、取り上げます。 「性別違和」という状態を経験する方々がいらっしゃることは承知しています。 ただし、「性自認の尊重」と言う名の下に導入される施策は、性別の定義を生物学的な基準から離れさせることに繋がり、女性専用の空間、スポーツなど女性のためのあらゆる領域への男性の侵入、教育や職場での機会、さらには子どもに対する第二次性徴抑制をはじめとする不適切な処置など、重大な影響を及ぼすことへの懸念があります。このことから、これら施策の推進に断固として反対します。 この観点から、市の施策に関してどのような取り組みが行われているのかをお伺いします。 ↓

https://twitter.com/Nanaekaga/status/1767837825263886560