6月21日、法務省は、離婚した父母双方を親権者にできる「共同親権」の導入を提案した。
日本では、離婚後、父母いずれかが親権者となる単独親権になっているが、共同親権が導入されれば、父母が離婚しても、親権は結婚中と同じように2人共同で持つことになる。
また、子どもと一緒に暮らして日々の世話をする「監護権」についても、父母双方が監護者になる「離婚後の共同監護」も選択肢として示される。議論の結果は、8月をめどに民法改正の中間試案として取りまとめられる見通しだ。
【関連記事:橋下徹氏、ツイッターのリプ欄が「上海電力」で埋まる…北村晴男弁護士も「きちんと説明せよ」と参戦】
「共同親権」の提案方針が報じられると、元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏は、自身のTwitterでこう歓迎した。
《やっと世界標準になる。共同親権、単独親権の選択制が妥当。家族関係は多様。一手段に限定すべきではない。当該家族関係を基に子供にとって最善の手段を適用すべき》
ネット上でも、《やっとここまできたかと感慨深い》などと歓迎する声が多くあがっている。
だが、「共同親権など百害あって一利なし。女性の相談を多く受けてきた身として、積極的メリットは見出せません」と断言するのは、離婚問題に詳しいあおば法律事務所の橋本智子弁護士だ。
歓迎する声が多かった「共同親権」の問題点を、橋本弁護士に詳しく聞いた。
ーーなぜ、百害あって一利なし、なのでしょうか?
「『共同親権』を導入すべきという主張は要するに、夫婦が別れても、子どもの父母として子育ては共同でしていくことが子どもにとって望ましい、ということですね。一般論としてはその通りです。そしてそれは、今の日本の法律でも十分に可能なのです。
民法766条1項で、《父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、……その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める》とあります。
つまり、離婚に際して子育てをこれからどうやって分担していこうか、ということを、当事者の話し合いで自由に決めることができます。これによって、たとえば週の半分ずつ子どもが父母の家を行ったり来たりするようなことだって、子どもがそれでハッピーならば、可能です。
『親権』がないから子育てに関われない、ということはまったくありません。親権があろうとなかろうと、親であることに変わりはないのですから、離婚後も父母として協力し合える関係ならば、それはどんどんやったらいい。今の法律でそれは十二分にできるんです。その意味で、共同親権は『一利なし』です。
『百害』というのは、こういうことです。
『親権』とは、子どもにまつわる重要な意思決定をしたり、子どもにとって重要な行為を代理したりする『権限』のことですが、これを、離婚後、子どもと一緒に暮らしていない親(別居親)と、子どもと一緒に暮らして実際に子育てをしている親(同居親)とが対等に持つ、ということは、別居親に、同居親に対する拒否権を与えるのに等しいといえます。
たとえば、子どもの進学。子どもが希望する私立に行かせたいと同居親が思っても、別居親がこれに反対すれば、制度上はおそらく、家庭裁判所で決めてもらわないといけないことになるでしょう。しかし、家庭裁判所の手続は通常、短くても何か月もかかりますから、普通はそれでは間に合わない。現実問題として、子どもは希望する進路をあきらめざるを得なくなります。
このとき、父母が離婚後もきちんと話し合いができる関係ならば、話し合いで解決できます。『権限』を共同で持つ必要などありません。話し合って決めればいいのですから。
『権限』といった強いものが必要になるのは、話し合いがうまくいかない、あるいはできないときです。話し合いができないような関係だから離婚するのが普通なわけですから、別居親が同居親と同等の『権限』を持つということは、実質的には拒否権に等しいわけです。
とりわけ父母間の関係がもともと対等でなく、支配・被支配関係がある場合(つまりDVです)には、別居親が無理やりその意思や要求を押し通す強力な後ろ盾にもなりうるでしょう。同居親はその支配・被支配関係から逃げたくて離婚したのに、そのような強力な『権限』を別居親が持つということは、その関係を維持する装置になってしまうのです。
もちろん、同居親が常に子どものために正当な判断をするとは限りません。しかし、そのような場合に別居親がすべきことは、拒否権を行使することではなく、まずはきちんと話し合うことです。その話し合いがうまくいかなければ、家庭裁判所で話し合い、場合によっては親権者変更の手続も考えられるでしょう。
とかく、単独親権制だと非親権者は何の口出しもできなくなるといったことがいわれますが、そんなことはまったくないのです。
ただ、同居親は、離婚のときの協議や裁判手続で、子育ての担い手として適任だということで同居親に選ばれています。そして現実にも、一緒に暮らして日々の世話をしているのですから、子どもの心身の発達状態や性格、そのときどきのニーズや、なにより子どもの意思などを、もっともよく知りうる立場にいます。
それを、別居親が拒否権という強力な権限でもってコントロールすることは、適切ではありません。
このように、父母の離婚後、『共同親権』によって子どもにとって困る場面が増えることは想定される一方で、『共同親権』がないことで、子どもが困ることは想定しにくい。だから、『共同親権』は百害あって一利なしだと言っているのです」
( SmartFLASH )
ーー国際的には、離婚後の共同親権が主流といわれていますが?
「前提として、諸外国の『共同親権』と、これから日本で導入されるかもしれない『共同親権』の概念はイコールではありません。
日本の『親権』は家父長制の名残で、“権利” のようにイメージする人が多いと思います。実際、日本語の『親権』は『parental authority』と訳されていますが、この言葉にピッタリ当てはまる概念は外国では見当たらない。
欧米の『共同親権』を忠実に日本語に訳すと、『共同監護』とか『共同責任』になると思います。欧米では “権利” が感じられるような言葉ではなくなりつつあるのです。
子育ては子どものためにするものであって、子どもに対する親の義務です。ですから、『親権』は、子どものために適切に行使されなければならない責任を前提とする『権限』です。しかし、日本では、まだまだそのような意識が浸透しているとはいえません。
だから、別居している親が、同居中の親に対して、法的な後ろ盾を持って対等に口出しできるようになると、その権限を振りかざして、拒否権を行使したり自分の意見を押し通したりといったことが、心配されるのです。
何度も言いますが、離婚後も父母できちんと話し合いができる関係なら、権限や権利はいらないわけです。なのに、どうして、『共同親権』のような『権限』 を欲しがるのでしょうか。
そういう人は、拒否権を使って口出ししてくる懸念がある人であるように、私には思えます。『同居親』に対して、思いどおりにいかないから、『別居親にも権限を寄こせ』と言っているのではないかと思います。
ーー「共同親権」が認められることで、ほかにどのような具体的な弊害が想定されますか?
「より日常的な例では、子どもがスマートフォンを契約する場合も、『別居親』が『まだ早い』と言えば、契約できなくなる可能性があります。『同居親』の方針が、子どもを信頼し、きちんと約束を守らせたうえで子どもにもデジタル機器の扱いを早い段階から覚えさせたいというものであってもです。
『同居親』のほうが、一緒に暮らしているから、子どもの発達状態やニーズをわかっているわけです。
そういう方針を、『同居親』が『別居親』に伝えたときに、『それはそうだね』と話し合いができればいいんです。離婚していない夫婦であっても、意見の食い違いはありうるけれど、話し合いでどうにかしている。 どうにもならないから離婚する。
でも、『共同親権』が認められたら、話し合いがうまくいかないから離婚した相手と、また話し合う必要が出てくる。
あるいは、修学旅行で海外に行くとき、パスポートが必要だけど、『別居親』が『まだ早い』と反対すれば、修学旅行にも参加できなくなる。16歳で原付免許を取る場合でもそうです。
私たちが相談を受けるなかでとりわけ切実だなと感じるのは、先ほど言った進学や、医療の場面ですが、未成年者というのは日常あらゆる場面で、『親のサイン』が必要ですよね。
この『親のサイン』が必ず父母共同でされなければならない、別居親の反対で『サイン』がないことになるというのは、未成年者にとっても負担や不利益があまりにも大きいと思います。
もちろん、法制審の今後の制度設計によって変わってくるかもしれません。最終的には『同居親』の意見を優先する、というルールができれば別ですが、いまイメージされている『共同親権』では、このような弊害が生まれてしまう可能性のほうが高いのです」
ーーたとえば、「共同親権」が認められることで、「別居親」が養育費を支払うようになったり、子どもと面会できる機会が増えたりするなど、よい影響が出る面もあるのでは?
「養育費の支払いが促される効果は、ほとんどないと思いますよ。身も蓋もない言い方ですが、養育費を払わない親は親としてそもそも論外な人たち、『親権』を与えてはいけない人たちです。
子に対する経済的虐待、ネグレクトといっていい。そんな人たちが、『親権』を与えられたからって、養育費を払うようになるとは思えません。
養育費は、権限があるなしとは関係ない。親である限り絶対的に負う義務なわけです。それなのに、権限を与えることで義務の履行を促すというのは、そもそも考え方としておかしい。
養育費の取り立て制度を充実させるとか、兵庫県の明石市がやっているような養育費の立て替え制度を充実させる方が重要だと思います。
子どもとの面会交流にしても、今の家庭裁判所は『原則、面会すべき』という考え方が強いんです。よほどのことがなければ、『面会すべきじゃない』という結論にはならない。それも裁判所から見た “よほど” のことです。
私たちから見たら、DVや虐待とはいわないまでも、かなり不適切な養育態度でも面会は認められる。同居中にまったく育児をしなかったとか、自己中心的な関わり方をする、子どものことをペットみたいに扱うといった程度では、面会交流させるにあたってちっとも問題にならないと言っていい。
『別居親』が申し立てをすれば、家庭裁判所はほぼ『面会させろ』という判断になるんです。 だから、『共同親権』に関係なく、面会は現状でも相当程度実現します。
逆に、離婚前の別居中はまだ『共同親権』ですが、その間でも家庭裁判所が“よほど”と思えば面会できません。『面会できない』というケースは、『共同親権』のあるなしにかかわらず発生しているんです」
( SmartFLASH )
ーー日本の「共同親権」と欧米の「共同親権」の違いをもう少し詳しく教えてください。
「欧米では、DVを規制する法律や子どもを虐待から守る法律が充実しているんです。特にフランスは、離婚する際、必ず裁判所のチェックが入ります。
裁判所で『共同監護』などを決めるわけですが、それでも見落としがある。
2017年に公開された、『ジュリアン』というフランス映画があるんですが、これがすごくリアルだと当時たいへん評判になりました。すごいDV夫なのに、裁判所が見逃して『共同監護』になったことで子どもにとっても母親にとっても辛い状況になり、命の危険にすらさらされる。
日本のように、協議離婚で裁判所のチェックなく離婚できる国では、さらにそういうことが起きる危険性があります。
DV規制や子どもの虐待保護、被害者保護の仕組みができて、初めて『共同親権』が検討に値するものとなる。
それでも、オーストラリアや、イギリスなどの欧米諸国では、『別居親』の権限を弱める方向に現在は向かっています。『別居親』の権限を強めたことで弊害が出てきたからです。
DVは、裁判所が見抜けないケースが増えてきています。最近は、目に見えないDVも多くなっている。DVする側も、目に見える暴行を加えたらアウトだという意識が浸透していることもあって、見えにくい形で、支配するパターンが増えています。
DVをするような人は自分がDVをしていることは認めません。『言葉の暴力など一度もありません』と平気で言いますから。『言葉の暴力』なんて、言われた側がどう感じるかが問題なのに、そうした共感性や想像力がないんですね。
父母が協力して子育てできるに越したことはありませんが、それは、『共同親権』がなくても十分にできます。それができない関係性においては、『共同親権』は別居親による拒否権あるいは『強制権』にしかならない危険性が大きい。つまり、『共同親権』はまったく必要のない、認めるべきでない権限なのです」
画期的な動きかと思われた「共同親権」。橋下氏のような賛成意見もあるが、子どもへの悪影響を危惧する意見もある。今後の議論を注視する必要がありそうだ。
( SmartFLASH )