ルワンダ民族虐殺犯が逮捕された件とルワンダ民族虐殺について知れる映画ホテルルワンダ
ルワンダ民族虐殺犯が逮捕された件とルワンダ民族虐殺について知れる映画ホテルルワンダ
1994年にルワンダで起きた集団虐殺の渦中、避難民を多く助けた英雄として映画「ホテル・ルワンダ」で描かれた元ホテル支配人ポール・ルセサバギナ氏(38)が24日、首都キガリの刑務所から釈放された。同氏は2021年にテロ罪で有罪となり、禁錮25年の判決を受けていた。
ルセサバギナ氏は今回、野党報道官と共に釈放された。ルワンダ政府報道官は、ルセサバギナ氏の量刑が「大統領令によって減刑された」と説明した。
政府報道官は、「重大な犯罪が行われ、そのために有罪判決を受けたという点について、その意味を錯覚してはならない」と強調。「ルワンダの法律では、減刑は、根本的な有罪判決を消滅させるものではない」と述べた。報道官はさらに、「政府は、この問題をめぐる対話の条件整備にアメリカ政府が果たした建設的な役割と、カタールの仲介努力に留意している」と話した。
米ホワイトハウスはジョー・バイデン大統領の声明を発表。バイデン氏は、「ルワンダ政府が本日、ポール・ルセサバギナ氏を釈放したことを歓迎する。ポールの家族は彼がアメリカに戻るのを楽しみにしており、私も今日の朗報を受けて、彼の家族と一緒に喜んでいる。この再会を可能にしたルワンダ政府に感謝するとともに、ポールの釈放をアメリカ帰国へ便宜を図ったカタール政府にも感謝する」と述べた。
ルセサバギナ氏の家族はBBCの取材に対し、「ポールの釈放のニュースを聞いて喜んでいる。すぐに彼に会えることを願っている」と語った。
ルセサバギナ氏は2009年以降、米テキサス州に移住。アメリカ永住権を持つ。米政府関係者によると、駐キガリの米大使館職員が同行し、ルセサバギナ氏を刑務所から市内のカタール大使公邸へと移動させたという。
画像提供,GETTY IMAGES
画像説明,映画「ホテル・ルワンダ」では、俳優ドン・チードル氏(左)がルセサバギナ氏(右)を演じた(2005年、ベルリン)
「でっちあげ裁判」の批判
1994年のルワンダ虐殺では、フツ人の過激派が、同じフツ人の穏健派や対立するツチ人などを多数殺害。ツチ人主導のルワンダ愛国戦線(RPF)によって制圧されるまでの100日間に、約80万人が殺された。
当時キガリ市内のホテル支配人だったルサセバギナ氏は、ホテルに約1200人の避難民をかくまって助けたとされている。ルセサバギナ氏は父がフツ人、母がツチ人で、妻はツチ人。
ルセサバギナ氏は2009年以降、米テキサス州で永住権を獲得していたが、2020年にドバイからブルンジへ向かうと信じて乗ったプライベートジェットが、予想に反してルワンダ・キガリに着陸。ルセサバギナ氏はそこで、「テロ行為」の疑いで逮捕された。
2018~2019年にルワンダ国内で起きた襲撃事件を首謀した反体制組織を支援していたとして、2021年9月に有罪判決を受けた。量刑は禁錮25年。支持者は、でっちあげの裁判だとルワンダ政府を批判していた。
ルセサバギナ氏は逮捕に先立ち、ルワンダのポール・カガメ大統領を強く批判。2018年の動画では政権交代を要求し、「ルワンダに変化をもたらすために、あらゆる手段を用いるべき時が来た」と述べていた。
ルセサバギナ氏の釈放を求め、アメリカをはじめ各国がルワンダ政府に外交圧力をかけ続け、カタールが仲介役となって協議が進められていた。バイデン政権は、ルセサバギナ氏の「不当な拘束」を批判し続けていた。
画像提供,GETTY IMAGES
画像説明,ルワンダ虐殺で大勢をかくまったとたたえられ、ブッシュ米大統領(当時)から「大統領自由勲章」を受けたルセサバギナ氏(2005年11月、ホワイトハウス)
ルワンダ虐殺から2年後の1996年、ルセサバギナ氏は家族と主にベルギーへ亡命。ブリュッセルでタクシー運転手をしていたが、ルワンダ虐殺の渦中の行動はあまり知られていなかった。
1998年にジャーナリストのフィリップ・ゴーレイヴィッ氏が著作でルセサバギナ氏の行動を紹介した内容が、2004年公開の「ホテル・ルワンダ」の原案となり、世界的な注目を集めた。
映画では、米俳優ドン・チードル氏がルセサバギナ氏を演じた。
2005年には、当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領からアメリカで文民に与えられる最高の栄誉、「大統領自由勲章」を贈られている。
(英語記事 Hotel Rwanda hero set to be freed)
2023年3月25日
【ブリュッセル共同】1994年に起きたアフリカ・ルワンダ大虐殺の責任者を裁く国際刑事法廷メカニズム(IRMCT)の検察官は25日、約2千人の殺害に関与したとして指名手配されていたフルゲンセ・カイシェマ容疑者が24日に南アフリカでIRMCTと南ア当局の合同チームに逮捕されたと発表した。 【写真】娘失った母「犯人を許します」「でも忘れない」ルワンダ大虐殺
容疑者は2001年から逃亡、ルワンダ大虐殺を巡る最重要容疑者の一人とされている。IRMCT検察官は声明で「今回の逮捕は、どれだけ時間がかかっても正義が下されることを如実に示している」と意義を強調した。
2023/5/26(金) 4:30配信共同通信
「フランスにも重大な責任がある」。1994年にアフリカ中部ルワンダで約80万人が犠牲になった民族大虐殺を巡り、マクロン仏大統領が設置した専門家委員会の報告書が今春に公表され、歴代政権が認めてこなかった国家の責任を初めて指摘した。関与の度合いは十分に解明されたとは言えないが、在仏ルワンダ人らは緊張が続いていた祖国とフランスとの新たな関係の構築を期待している。 (パリ・谷悠己)
【関連記事】ルワンダ民族虐殺 指名手配の「黒幕」25年ごしで逮捕
17日、パリを訪問したルワンダのカガメ大統領(左)と出迎えたマクロン仏大統領=AP
「フランスが責任を認めたのは大きな一歩。ともにエピローグ(終局)にたどり着く努力をすべきだ」
今月18日にパリで開かれたアフリカ経済問題の国際会議に参加したルワンダのカガメ大統領は、仏紙ルモンドにこう述べた。
◆大虐殺の可能性を黙認
歴史専門家らの委員会が一昨年から調査し今年3月末に公表した報告書は、多数派民族フツ人が少数派民族ツチ人を虐殺する可能性を知っていたフランスには、黙認した責任があると認定。黙認の背景には、虐殺事件直前に暗殺されたフツ人のハビャリマナ大統領と親密だった当時のミッテラン仏大統領の意向が大きかったと結論付けた。
報告書は、仏軍が90年代初頭からフツ人主体のルワンダ軍を育成してきた事実を指摘する一方で、虐殺被害者側のツチ人反体制グループ司令官だったカガメ氏らが主張してきた仏軍による虐殺行為への関与については「直接的な証拠がない」として否定した。
カガメ氏は2000年の大統領就任以来、国交を一時断絶するなどフランスに厳しい態度を取ってきただけに、責任を認定しながら共犯性を否定した報告書を評価したことは、大きな方針転換といえる。
マクロン氏も月内のルワンダ訪問を発表した。過去の大統領ではサルコジ氏のみが同国を訪問。フランスによる「判断の誤り」を認めながら責任には言及せず謝罪もなかっただけに、マクロン氏が発する言葉に注目が集まっている。
◆大きな前進だが「完璧とは言えない」
両首脳の歩み寄りの一方で、仏国内の被害者団体は冷静に受け止めた。
「過去に比べると大きな前進だが、完璧な報告書とは言えない」。虐殺被害者の自助団体「IBUKA」仏支部代表のエチエンヌ・ヌサンジマナさん(44)はこう話す。専門家委員会は、大虐殺が起きる契機となったハビャリマナ大統領暗殺事件や、仏軍がツチ人に対し十分な支援をしなかったとされる問題などの資料に当たっていないためだ。
フランスの植民地主義を検証する市民団体「SURVIE」のダビド・マルタンさん(44)は「政治家ら個人の責任に踏み込んでいない報告書が、外交関係を正常化する材料に使われるならば残念だ」と語る。
報告書の公表に政治的な背景を指摘する声も。社会党政権の閣僚だったマクロン氏は来年の大統領選での再選をにらみ、弱体化する社会党支持層より保守派支持層の取り込みを重視している。ルモンド紙によると、一度は出席の意思を表明したミッテラン氏の大統領就任40周年行事(5月10日)も回避した。今回の報告書を「ミッテラン氏や社会党との決別を象徴している」とする見方がある。
「フランスに抱いてきた複雑な感情が、この報告書で少し和らいだ」。虐殺事件を機に祖国を逃れ、5歳からパリで暮らすジャンさん(28)はこう語った。
育ての国が祖国で母方の親族の6割を虐殺したフツ人政権を擁護し、責任も認めていないという事実を思春期に知った時には「絶望的な思いがした」だけに、関係改善を目指す両国の姿に「新しい風を感じる」という。「今後はビジネス交流も盛んになると思う。両国がウィンウィンの関係を築けるよう法律面で支えられれば」。弁護士を目指すジャンさんの今の夢だ。
2021年5月24日 17時00分
一九九四年に約八十万人が犠牲になったアフリカ東部ルワンダの民族虐殺で、フランス検察は五月、国連の国際法廷が虐殺などに関与した疑いで指名手配していた実業家フェリシアン・カブガ容疑者(84)を、潜伏先のパリ近郊で逮捕した。約二十五年後の逮捕の背景には、容疑者に対するフランスの姿勢の変化が透けて見える。 (パリ支局・竹田佳彦)
フランス・パリ郊外で5月、カブガ容疑者が逮捕された街。近くにはルワンダ人団体の事務所がある=竹田佳彦撮影
「たとえ虐殺から二十六年たっても罪は問われることを示した」。国際法廷のブラメルツ主任検察官は逮捕を受けて、こう声明を出した。マクロン仏大統領が二〇一九年四月、虐殺容疑者の司法手続きを強化すると表明してから、一年一カ月後のことだった。
ルワンダでは一九九〇年、多数派フツ主体の政府側と少数派のツチ勢力による内戦が勃発。九四年四月、ハビャリマナ大統領の暗殺をきっかけに虐殺が起きた。政府軍や民兵組織はツチ住民らを組織的に襲撃し、約百日間で八十万人を殺したとされる。
カブガ容疑者は北部地方出身で、幼いころはヤナギを編んだカゴ売りで生計を立てた。紅茶のプランテーションで働いていた時にハビャリマナ氏と交流。子ども同士の結婚で人脈を広げ、国の貿易を支配する存在になったとされる。
容疑によると自身が設立したラジオ局で民族の対立感情をあおり、虐殺を扇動した。殺害に使われた大量の山刀を輸入したとの報道もある。七月にツチのルワンダ愛国戦線(RPF)が全土を制圧する約一カ月前に、スイスへ逃亡した。
国連が虐殺の責任者を訴追するためルワンダ国際戦犯法廷を設置したのは同年十一月。大量殺人の実行や同計画、扇動容疑などで国際指名手配したのは九七年になってからだった。
スイスに渡ったカブガ容疑者だが、批判が高まると自らコンゴ(旧ザイール)に去った。その後も豊富な人脈と資金で逃亡を続け、旧宗主国のベルギーやドイツ、ケニアへ。数年前から偽名を使い、フランスで暮らしていたとみられる。
フランスは、虐殺を巡りルワンダとの関係が揺れてきた。九〇年から軍事支援で政権と密接な関係にあり、虐殺中も国連主導の作戦で部隊を展開。しかし十分な抑止力とならず、後にルワンダ側から政府軍の訓練などで「虐殺に加担した」と非難を受けた。事件時には関与が疑われる人物を何人も国土に受け入れ、事実上逃亡を許した。
一方でハビャリマナ氏暗殺に絡み、仏裁判所は二〇〇六年にRPF司令官だったカガメ大統領らを告訴した。猛反発したルワンダとの国交は一時断絶。一〇年にサルコジ仏大統領(当時)が内戦時の支援に絡み「判断の誤りがあった」と責任の一端を認めたことで改善に向かった経緯がある。
虐殺から二十五年を迎えた一九年四月、マクロン仏大統領は内戦時のフランスの対応について、歴史家や人権専門家による調査委員会の設置を表明した。就任以来アフリカへ積極的に関与する姿勢を示しており、歴史の清算による関係の再構築を狙ったとみられる。
ただ仏国内では、ハビャリマナ氏の妻で、虐殺への関与が疑われるアガートさんが今も暮らす。ルワンダ側が国際指名手配したが、引き渡しに応じていない。
虐殺被害者団体「IBUKA」ヨーロッパのエチエンヌ・ンサンジマナ代表は逮捕を評価する一方、容疑者を受け入れてきた欧州をこう批判した。「罪を問わないのは被害者への侮辱であり、将来の犯罪を容認するメッセージ。人類への裏切りだ」。カブガ容疑者は今後、仏国内手続きを経て、国際法廷で裁かれる。
<ルワンダ国際戦犯法廷> 国連が1994年11月、虐殺の責任者を訴追するために隣国タンザニア北部の都市アルーシャなどに設置。2015年末の解散までに集団殺害(ジェノサイド)や人道に対する罪で93人を起訴し、虐殺事件後に就任したカンバンダ暫定首相ら計61人に有罪判決を下した。解散後は、国連の「国際残余メカニズム」が捜査を継続している。
2020年6月8日 13時54分