多胎児のきょうだい児に思う、「私って誰からも見えてないの?」
こんにちは、わたしのことはどうぞちゃき(@chaki_hama)って呼んでください。
わたしの家族には小1の娘と年長の双子男児がいます。
年子と双子です。
年子と双子というと、子育て経験者からは驚かれるか真顔からの「大変でしょう」、落胆の「私には無理・・・」と言われることもしばしば。
ただ、わたし自身は「大変」だとか「あり得ない」だとか思ったことはないのです。
意地とか、捻くれとかではなく、単純にこれがわたしの「普通・当たり前」だからです。
だからこそ、年子じゃなければ、双子じゃなければ、もっとああだったのに・・・みたいな思考にはそれほどならずにここまでやってこれました。
でも、今日は唯一「年子双子でごめんね」と思ったことの話をしたいと思います。
双子を連れていると歩いて10分の距離でも20分かかる
これ、多胎家庭(多胎とは2人以上で産まれる子どもたちを指します)はわかってくれると思います。
双子を双子用ベビーカーに乗せて歩いていると、びっくりするほど声をかけられます。
「ふたごちゃん?」
「一卵性?二卵性?」
「あらそっくりね〜〜」
「双子?年子の方が大変よ〜〜(笑)」(失礼)
「自然妊娠?不妊治療?」(とても失礼)
「母乳?ミルク?身体小さいけど母乳足りてないでしょ?」(かなり失礼)
「双子私も欲しかったの、羨ましいわ〜作るコツは?」(クソほど失礼)
これ、後半はやや嘘のように聞こえるかもしれませんが、本当にあるあるなんです。しかも一度や二度じゃない。
特に年配の女性。子育てを終えてひと段落された方達から容赦ない質問を浴びせられます。本当です。
長女ひとりを連れていたときは、こんな質問されたことありませんでした。
やばいですよね。初対面の人に不妊治療なのか、母乳なのかとか聞くの、本当にやばいです。
だから、大人の足で10分でつける場所に20分はかかる。
次から次へと質問され、指を刺され、こそこそ話す声が聞こえ・・・・
気づくと子どもたちと外出するのが怖くなって
うんざりしていたわたしは、双子用ベビーカーを日除けカバーで包んで散歩をするようになりました。
声をかけられて、丁寧に返答していたのも、2ヶ月を過ぎた頃から、「ははは〜」と交わすように。
ついには、子どもたちを連れて散歩に出かけることも嫌になりました。
そもそも1歳と0歳2人の3人の機嫌がいい時に散歩に連れ出すなんて、難易度MAXなんです。
わたしも夜間授乳でクタクタ寝不足の中、子どもたちになんとかお日さまの光を浴びて欲しいという親心の一心で外に連れ出していました。
あとは、家のなかで変わるがわる泣く子どもたちの泣き声を聞き続けることが耐えられなかった。
だから、ベビーカーに双子を乗せ、長女をおんぶして外に出ていました。
散歩中、3人が寝てくれる時間に、私は静かに泣いていました。
3人が寝てる間だけは、わたしがわたしとして生きれる時間でした。
そんな散歩の時間でさえ、怖いものになってしまっていました。
意を決して外に出た、その日
1ヶ月近く家に引き篭もると自分の情緒がおかしくなっていくのがわかりました。
やっぱり外に出ないとまずい、と思った日でした。
双子用ベビーカーに日除けカバーをつけることも忘れ、ほぼパジャマみたいな格好で、2歳になりかけの娘の手を引き、1歳になりかけの双子をベビーカーに乗せて歩いていました。
たまたま、その日はネガティブな声をかけられず「ふたごちゃん?かわいいわね」「ふたごちゃんだ〜」くらいのものでした。
心も傷付かず、よかった、頑張って外に出てよかった
今日は平和だ、、と思ったんです。
「おうち帰ろっか」と長女に話かけた時、長女が言いました。
「かっか、ちゅ(自分の名前)はみんなにみえないの?」
この言葉を聞いた時、わたしの世界はとまりました。
突然に止まって、そして一気に崩れ落ちていきました。
なんて言ったらいいかわからず、
その場で地面のコンクリートに膝をつき、娘に「ごめんね、ごめんね」と言って、強く、強く、抱きしめることしかできませんでした。
2歳になる前の娘に、なんてことを思わせてしまったのだと、
自分を殺したくなるほど、憎みました。
わたしはわたしの心しか考えていなかった。
娘はいつも思っていたのかもしれない。
「双子」に気を取られる大人たちに、「わたしは見えてないの?」と。
まだまだ小さな身体で、まだまだ親に甘えているはずの娘が
1歳2ヶ月で双子のおねえちゃんになったことで、ずっと考えていたことだったのかもしれない。
必死に愛して、大切に育ててきて
初めて、年子と双子で産んでごめんねと思った瞬間でした。
多胎児のママパパは、最初にきょうだい児に声をかけている
それからというもの、わたしは街中で出会う多胎家庭には、多胎児はもちろん、きょうだい児に最初に声をかけています。
この経験談を話すと、涙を流して頷いてくださる多胎家庭があります。
そして、同じようにきょうだい児も大切にしてくれる多胎家庭がたくさんあります。
子どもたちに教えてもらったことは挙げるときりがありません。
この教えは一生忘れることがないものです。
もちろんふたごたちもわたしの大切な家族です。
長女ももちろんそう。そこに優劣はありません。
子どもたちを年子と双子で産んだことに後悔はありません。
愛おしくて可愛くてかけがえのない、子どもたちです。