自分を幸せにする覚悟
私、幸せになっていいんだった。
楽しんで喜んで、自分を満たしていいんだよって自分で自分に、そう言ってあげられる時がようやくやってきた。
気付けば私の人生の大半は"心配"で埋め尽くされていた。
"家族が迷惑をかけたらどうしよう"
"相手を困らせたくない、傷つけたくない"
そんなものは全うすることは、到底叶わないと痛いほどわかっていて、いつだって願ってはやまなかった。
そこにばかり意識が傾いていた。
私はおそらく、でき得ないことに頭を抱えて、ゴールも抜け道も行き場もない願いを、一生懸命叶える方法がどこかにあるのではないか、と探し、もがいてきた。
叶わないということは、何かが足りないのではないかと。
私には叶わない願いが山ほどあって、人が当たり前に叶えているように見えるそれが、頑張れば手に入れられる気がしていた。
だから人一倍努力しよう、がんばろうと、がむしゃらに生きてきた。
でも願いは、必ずしも努力によってのみ叶うのではないらしい。
その願いを、少しもう手放そうと思う。
できないことは、できるまでうんと努力しなくては、そう思ってきた。
できないことは、できない。そんな当たり前なことが私はわかっていなかったんだなあと気づく。
もういいよ。大丈夫。
叶わなかった願いが一つ一つ未来に布石として繋がって、いつか私の元に別の形で帰ってきてくれるのかもしれない。
今は少し、そんな風に思っている。
そして、目の前の人に喜んでもらおうするのと同時に、悲しませないようにとするのと並行して、自分を幸せにしてあげることが大切だった。
もっと自分の幸せに貪欲であっていい。
自分を幸せにすることも私の大切な使命だ。
私は他の誰でもなく、私のために生きているということ。
私の悲しみや悩みは私の中にあって、他の誰にも、解決しようがないということ。
自分が我慢して苦しんでいても誰も得をしない。
自分がそれを解消しようとして初めて、それはなくなる。
そして私が喜んでいたらそれを喜んでくれる人がいる。
意外にも。
自分のために生きられるのは自分しかいない。
それを自分で放棄したら元も子もない。
その確固たる軸を置いた上で、誰かのために何かができたら、それが幸せなこと。
自分を幸せにすることが誰かを幸せにすることに繋がっていく。
私は心のどこかでそんなことはまやかしだと思っていた。
そしてそれが両立し得ない気さえしていたのかもしれない。
でも、ちょっとそういう風な考えを受け入れていきたいと思う。
今の私はきっと立ち止まって、自分を探している。
人にとっては当たり前のことも、私にとっては大事な一歩一歩。
わからないことが多いけれど、焦らず、急がず、見つけていこう。これからも。