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人の数だけ道(生き方)がある 誰かに否定されたらひょっとして大正解
人に笑われてなんぼ
否定されて大正解
ちょっと乱暴な解釈だけど、
最近私はそう思うことにした。決めた。
それとこれは、もしもあなたが、思ってもないことで、そういうことに出くわしてしまったときの、一つの考え方としての提案でもある。
笑われたり否定されて、悲しかったね、悔しかったね。
でも、それって実はあなたが素晴らしいって証かもしれない。
人が持ってないあなただけの宝ものを持っているという太鼓判かもしれない。
違いのあるものを見て、人は簡単には認めてくれず、笑ったりまたは否定したりする。
それは、今までその人が見てきた正解の形に当てはまらないからそうしてしまうのかもしれない。
(そういうことに遭遇した場合、私自身は相手を全く否定はしないけれど、そっと離れることにしている。敢えて批判を浴びたくはない。自分を自分で守ることも私のしごと。)
私は今、自分自身が病気治療中で家族も治療中である。
前の職場を退職してから、すぐに就職活動をしようと思っていた。その矢先に、自分の婦人病が発覚し、それに伴う体調不良や治療薬の副作用で身体が思い通りに動かなくなった。
そこで私は体調第一優先を心に決め、こうなったらとことん休んでみるかと今にいたる。
どちらかと言えば、自分に無理をさせることは得意で、休むことは苦手だ。
身体に無理を強いて働いていれば、周りと足並みは揃って目立たない。
私にとっては、少々身体に鞭をうち、働いている方がある意味、楽だ。
私はいつも、なんか、周りの人と同じように進めなくて、もどかしさを感じてきたりもした。
同じようにできない自分がはがゆく、寂しいとも思った。
休職を選んで、"働かなくて大丈夫なのか"と言われたりした。
否定されたような気持ちにもなった。
やっぱり人の言葉を受け取ろうとしてしまう自分の性質上、また社会で生きる多くの人が私の選択肢に疑問を持つのもよく理解しているからこそ、沢山葛藤した。している。
でも、人の数だけ道はあるのではないか。
例えば山登り。
皆、目指すべきゴールは同じ。
頂上。
でも、その頂上に辿り着くまでの道は、何通りもある。
そんなところに道があったのか、と気付いて右折したり、何合目かで休憩したり、逆風にあおられたり、行きやすい道もあれば、でこぼこ道もあったり。
周りと同じ道で進む必要性はない。
自分には自分の道がある。生き方がある。
どうしようもなく下手くそで泥臭くても、私は私の目の前に続く道を進んでいく。
そんな道が、方法があったのか、とそんなはずはないと思うから、人は"まさか"と言って笑うのかもしれない。
それってある意味その人の全肯定。
これも乱暴な飛躍ではあるが。笑
私は上から石が転がってくるかもしれないけれど、鬱蒼として歩きにくい道かもしれないけれど、この道を歩いていこうと思う。
もしかしたら、今まで道のなかったところに道ができるかもしれない。
そう信じている。
あなたもあなたを貫いていってほしい。
私はそういう人を心でそっと応援したい。