生まれた星で生きる覚悟(でも運命は変えられる)と未来を信じる明るい気持ち
努力は必ずしも報われるとは限らない。
報われない努力の多いこと。
でも、歩いていかなければ報われるはずの、叶うはずの未来までも手にできないかもしれない。
諦めることだって勇気だし、がんばりつづけることが全てではないけれど。
もしどうしても諦めたくないことなら、心が離したくないと言うならば、ともにがんばろう。
例えば同じゴールを目指している人が何人かいたとして。
同じだけのがんばりを皆がみんなしたとして、全員が同じだけの報いは得られない。
ゴールを定めて、努力が上手く繋がって、さっとそこに着いてしまう人。
ゴールを定めて、周りからもあれだけ頑張っているのになぜ?と思うくらい、そこにはまだ着かない人。
人は悲しいかな、平等ではない。(何度も言ってごめんなさい。)
持っている荷物が重い人、軽い人。
置かれた場所も温かいところ、風が強いところがあったり。
(誰でも次の瞬間どちらにもなり得るのかな。)
だけど、一つ言えることは、上のいずれに当てはまる人も、共通して与えられていることがあるということ。
遅かれ早かれ、歩いていけばゴールには辿り着くということ。これは同じ。
遅くに花が咲くこと、早くに花が咲くこと、どちらも等しく美しく素晴らしい。
一つ一つの花が、違った美しさで咲き誇っているように。
自分がもし、ゴールに着くまで迂回路で、周りの人よりがんばらなきゃいけない人間であるならば。
私は諦めない。
どうしても諦められないことがある。
そして、そのゴールは、
今は果てしなく遠く思えても、遥かかなたと諦めかけても、実はもうちょっと歩けば、その角ちょっと曲がれば、急にそこに着くかもしれない。
転んでも、何かにぶつかっても、向かい風でも、歩きつづけたもん勝ちはあると思う。
せっかくいいところまで来ているかもしれない。今やめたら、"もう直ぐ着くから諦めないで"ってゴールの方ががっかりするかもしれない。
立ち止まって休んでもいい。
でも、私は休みながらも、そこに向かって歩いていくことはやめられない。
"生まれた星が違う"
そういう言葉を掻き消してしまいたいような、認めたくないから目を背けるような日もあった。
でも、やっぱり"生まれた星"ってあるのだと私は認める。
わかりやすく言えば、有名で人気のある人、富や名声のある人、私のような凡人、やっぱり"生まれた星"は歴然と違うと言える。
(もちろん、才能の上に努力を重ねてそれらを得られていることに敬意を持つ。)
そして、中々に困難がある人生を生きていると私は自覚しながらも、もっと大変な思いをして生きている人がいることも知っている。
その全ての人を尊重する。
だから。
私は私の"生まれた星"を受け入れる。潔く。この星に生まれたことを。
自身の運命を恨みたいような時もある。
だけど、私はこの星に生まれてきてよかったと、今感謝する。
この星に生まれてきたからこその喜びと悲しみに。全てを大切にし、感謝する。
私は経験は宝と言った。
それはなぜか。
この世界には、沢山のあたたかさ、優しさがあふれていて。
美しい景色があって。
素晴らしい人が沢山いて。
そういうことに出会えたこの胸ときめきを、言葉にして伝えるために、経験を通して感性を育てているのかもしれない。
相手に、または周りの人に。
(語彙力がなく、上手く表現できずはがゆい。)
経験は、尊いものがいかに尊いかを語る手段になるから宝なのだと思う。
話が散乱してしまった。
私は泣いたり笑ったりしながら、自分の"生まれた星"を懸命に生きると誓う。喜びも悲しみも大切にする。そして、自分と未来を信じている。
今日も、読みづらい文章を、お読みいただきありがとうございます。