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よくないように見えていいこともある、人間万事塞翁が馬。

"良いことがあった"と喜ぶのはいいことだけれど、"良いこと"のかたちは、なにも"良いこと"だけとは限らない。(良いこと言いすぎ)
良くないように見えて良いことがある。
その逆もまたしかり。

私たち人間は、感情で生きているから、一つ違えば、大きく未来は変わるんだ。
感じる心ひとつで次の行動がいかようにも変わる。
人との出会い。
人からの言葉。
人との出会いや環境というきっかけが、ひとつの言動を変えていく。
言動が違えば、進む道が変わり、人生は変わる。
小さなきっかけの積み重ねで今がある。
そういう名言ありましたよね。検索。

心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。

ウィリアム・ジェームズ氏(哲学者・心理学者)


だから結局私はすべてに感謝だ。
noteに出会えたのも、療養していたから。

いきなり、暗いトーンになりますが。
以下は私のスマホメモに思いを残しておいたものです。

ときに私を救ったのは、優しくあたたかい言葉ではなく、私にとって不都合で残酷な現実を突きつけられたことだった。どんなに残酷であっても、現実は現実としてあるがままに受け止めて生きていかなければならない。(マイナス思考ではなくて。)

私の過去の頭の中参照

この気持ち、今も私自身は心に置いている。
例えば、傷つくからかわいそうだからって、私は優しいウソをつかれたくない人なのである。(でも私自身は、時と場合に応じ、人を守るためのウソはつくことはあります。)例えば辛くても、自分の病状は知らされたい。ちゃんと向き合いたいから。
話が少し脱線したが、残酷な現実にも未来があると言いたくて、この話を出した。

私は本当は、もっと早めに、将来を見越して長く働ける会社と出会いたかった。(年齢と比例して、転職のチャンスが少なくなっていく現実があるし。)
でも、昨年くらいから、ずっとその場を離れる等想像もしなかった地から、私は離れようとしきりに思うようになった。
だから、この居た地域で、今までそういう会社には縁がなくて逆によかったと今思っている。
出会えてしまっていたら身動きがとり難かっただろう。
いくつかの会社で沢山の経験が得られたことだし。(会社によって世界観がまるで違うのが、面白い。家より長くいるもしくは関わる会社の環境が、日常にチラチラ入ってくるから会社選びは慎重にしたいもの。きっと多くの人が。)

人間万事塞翁が馬。

不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。

コトバンクから引用

つまり、何が言いたいのかは下につづく。(私はもうまとめたり、少しでもない力振り絞って読みやすい文章に、なんて身の丈に合わない、そういうムダなあがきやめました。
思いのまま、書くことにしていますので、悪しからずご容赦ください。)

かんたんに、それを悪いことや災難とすぐに決めないでいいんだと思う。
いいこともそうだ。

一瞬、無慈悲な現実に、たじろぎそれはショックを受け、頭を抱えることが私にはあって。
でも、それは後から思い起こしたときに、あああの道を通ってよかったって思えることも多々あって。

"ああ、あれはあれでよかったんだ"って後々思えること。
それが降ってくるのは、5年後か10年後かもしれない。
よかったって思えることが降ってこない可能性もなきにしもあらず。
保証はない。誰にも。


しかし、人生わかってからじゃ遅いことがある。
全部が全部納得してからじゃ間に合わないから。
常に人生は進んでいるのだし。
"とりあえずわからなくても行く"
"やってみてから考えてみよう"
ときにはそれくらいがちょうどいい。
って自分で自分を励ましてみる。
後になって点と点が繋がって線になることが少なくない。
(まず行動する派の行動力のある方はすごいですね。)

今が大切。しかし今はすべてじゃない。
この一見真逆にも見える二つの言葉は両立している。


人間万事塞翁が馬。
(すきな言葉だから、何回も言ってすみません。)

つまり、まとめてみると。
ピンチはチャンス、チャンスはピンチ。
次の瞬間、なにがどうなるかはわからない。

喜びは喜びでちょっと冷静になってとっておいて、悲しみはまだ悲しみきらずに待ってもそれ喜びに変わる可能性あります。大丈夫。ってことです。

今回も長々とお付き合いいただいた方の優しさに、感謝します。
ありがとうございます。

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