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光はここにある
悪いことが起きませんように。
これ以上悪くなりませんように。
そうやって、願うことばかりな私である。
いやそうじゃなくって。
晴れの日も雨の日も、嵐の日も、いつも太陽と月は変わることなくそこにあって、どんな土砂降りでも、空は晴れるのだってことを、どんなときも忘れませんように。
信じられますようにって言えば、なんかとても私には難しいことのように思えるから、そう、確かにある光を、忘れませんようにと。
歩いていくその先にばかりではなく、今ここに、そう、暗闇が私を覆ったとしても、そこに光はある。一瞬見えなくなってしまっただけで。
長いトンネルかもしれない。
だけど、だからって、惑わされたくないもの。
だから下を向かない。
上手くいかないことが、もしかしたら、いいことかもしれなくて。
こっちの道ではないのかもしれないから、そうなるのかも。
なんかもう、身体に力を入れて頑張ることはもうやめた。そうは言っても私はそう簡単にかわらないでしょうが。
でも、力を抜いて一生懸命にって、できるんだなって気付いた。
たとえ何にもなかったとしても、できることは生きることくらいだとしても、そのことに一生懸命に生きようと思った。
そのときできることを、そのときで一生懸命。
(婦人病の治療が難航して、ここ数ヶ月薬の副作用等、毎日のけたたたましい頭痛とかで、本当にできることが少ない日々です。)
このなんでもない自分が、なんでもない1日1日が、生命のバトンを繋いでもらってできた一つ一つで、当たり前ではなくて。
人が何て言うかはわからないけれど、私はそんな自分の毎日こそ大切。
大きなことはできない。
だけど、生きるってそういうことなんじゃないのか。
目に見えて、何かをしている人は本当に素晴らしい。その恩恵を私もまた受けていて、敬意を持っている。
だけど、この自分もまた、ここで息をして毎日をつないでいる。
生きている一人一人が、この世界に必要なんだって思う。
同世代のキラキラしたものをみて、本当にむなしくなることもある。
幸せでよかったなあ、って思うのと同時にいいなあとか、なんか虚無感とかにおそわれたりして。
でも、私は私の道をいく。
願いも希望も捨ててない。
私は決して可哀想でもない。
充実している人はそれはそれでいい。
でもそうでないと感じている人の生きている、もがいている一つ一つ、息をして今日も生きていることが素晴らしい。美しい。
生きる意味、それは何も大きなことではないんじゃないかな。
今そこに私が、あなたが在ること。