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私の自分の負の感情との付き合い方、向き合い方

自分のマイナスな感情に出会ったときのことを話そう。
もしも心がくるしくなったなら、これを思い出すという、自分のための備忘録。
(これはあくまでも自分の心の中での話で、負の感情を表に出すことをあまり私はしません。)

悲しいとき、辛いとき、人や何かのせいにするのはあまり、自分の心にとってもよろしくない。
しかし"せいにする"のではなく、"原因を見つめる・理解すること"、"自分の感情と向き合うこと"はとっても大切。
いきなり負の感情を抑えようとギュッとすることもない。
一足飛びにもできないし、しなくてもいい。
一つの気持ちを乗り越えるまでに時間がかかることもある。
"ある一つの気持ち"にも順序とか段階がある。
焦らなくていい。
いつかそんなときがくると、くるかもと、思ってみる。ぼんやりでいい。

泣いたりしてひと段落ついたとき、まずは自分の声を自分が聴いてみてあげる。
それができるようになったなら、感情と事実を分けて考えることも重要。

傷ついた
嫌だった
悲しかった
ひどいって思った
失礼だなって思った
さびしかった、等。

これらは感情。

事実は実際に起きた事柄そのもの。
例えば私の最近の話。
『お医者さんに私が病状が辛いとうったえても、大丈夫そうとお医者さんに言われ、伝わらなくて悲しかった。(前記事にしたのですが、そういうことがありました。)』という事柄で、これを当てはめてみる。

事実は大丈夫そうと言われたこと。
それに対して持った私の感情は悲しかったということ。
これは事柄一つに意味づけをして受け取っているのは自分で、そこには必ず私の感情が乗っているということ。
(それでいいんだよ。それがいいんだよ。
それがその人にしかない感性や感受性を育んでいく。)
だから、"あなたの感情の責任ですね。はい、ダメです。"ってことじゃなくて、冷静に自己と対話するのにこれをする(分けて考えること)のが、役に立つ。
あくまでも自分のこころのために。
自分のこころが起き上がれる、立ち上がれるように。

実はひとつの感情を乗り越える、克服するのは随分とそのあとのことかもしれない。
そんなことできないかもしれないし。
する必要ないかもしれないし。
意外と忘れていくものかもしれないし。
捨てようとして、捨てたくて、捨てられるものではなくいつの間にかなくなってくれるものかもしれないし。

とにかく負の感情に出会ったときに、びっくりして掻き消すことは、しなくていいんだよ。

"こんな感情を持つ自分はだめだ"って思うと、いっそうつらくなる。

難しいかもしれないけれど、一つ一つ、噛んで含むように自分の気持ちに向き合っていく。

それがすぐにはできなくてもいい。
一つ一つ、一歩ずつ。
まずは、その感情を否定しないでいてほしい。

感情的に過ごすのと、感情に目を向けないのは全く訳がちがうから。

私は私がまた顔を上げていけることを信じている。

お付き合いいただいた方に、感謝申し上げます。(長かったですね。ありがとうございました。)

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