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北朝鮮に全てを奪われた男の物語(オ・ギルナム博士編)#68

こんにちは。

最近、北朝鮮の金正恩は今まで秘密にしていたウラン濃縮施設を視察する写真を公開し、アメリカの大統領選挙を意識した行動を取っています。

金正恩はハリス氏とトランプ氏のどちらが大統領になることを望んでいるのでしょうか…

そして自分たちが望んでいる人が大統領になった場合、何を要求するつもりでしょうか…

何であろうが世界の常識からかけ離れた要求をするのは間違いありません。

海の向こう側に非常識の代名詞のような国があることを考えると、日本も気の毒です。

北朝鮮は、何の罪もない多くの日本人を拉致しました。また、私の両親のように甘い文句に誘われた在日朝鮮人が、自分の意思でその場所を出ることができず監禁状態になっています。

さて、今回は北朝鮮に騙され、自分と家族の人生を大なしにしたある男性の悲劇のストーリーをご紹介します。


オ・ギルナム(以下、オ博士)博士の名前を聞いたことはあるでしょうか?

日本でも公開された以下の韓国映画「出国 造られた工作員」はオ博士の実話を元に作られたものです。

今回の記事は、オ博士の著書「金日成主席、私の妻と娘を返して(1993)」、「耀徳強制収容所の暗闇に沈んでしまった:失われた娘たちオ!へウォン、ギュウォン(2011)」、TV番組「これから会いにいきます」を参考に記事を書いています。

オ博士は1942年に韓国の慶尚北道で生まれ、とても貧しい家庭で育ちました。

父は早くして亡くなり、母は熱烈な共産主義の支持者であったため、警察によく捕まり、そこで拷問されて血だらけで帰宅することが多かったそうです。学校などまともに行けず、チンピラのような生活を送っていたといいます。

オ博士には兄がいましたが、彼は立派な人でした。弟だけは勉強してほしいとオ博士を説得し、自分は仕事を選ばずに働き学費を稼ぎました。
そして、オ博士は兄のおかげでソウル大学ドイツ文化学科に行くことになります。一年の浪人期間がありましたが、その学費まで兄が出してくれたそうです。

大学に進学した時からオ博士はマルクス・レーニン共産主義にハマることになります。きっかけは”一体なぜ母は共産主義を崇拝したのか”に興味を抱いたことで、軽い気持ちで読み始めたそうです。

しかし、読んでいくうちにマルクス・レーニン共産主義にどっぷりハマることになり、「資本主義はダメだ。私たち家族が貧しい生活を送っているのは『資本主義』のせいだ」と考えるようになります。

そして、マルクス経済学を学ぶためには本場に行かなければいけないと思い立ち、一生懸命勉強し奨学金をもらって、1970年代に西部ドイツに留学に行くことになります。

オ博士は留学に行きマルクス経済学を熱心に勉強しました。

その時、韓国人教会でシン・シュクジャという一人の女性に会うことになります。彼女は韓国からドイツに派遣された看護師でした。

2人は一目惚れで恋に落ちましたが、貧しさのため結婚式も挙げられず、指輪交換だけして一緒に住みました。

1970年代の韓国は朴正煕大統領の時代、「独裁」や「弾圧」が一般的な時代でした。そこでオ博士は学業を放棄して朴大統領を糾弾するデモなどに参加することになります。

それをみて、奥さんであるシンさんは「あなたはドイツまで来て勉強もせずに、なぜデモをしているのか」と強く反対しました。
するとオ博士は「あなたのような人がいるから独裁者が出てくる」と強く言い返すので、毎日喧嘩が絶えなかったそうです。

そういう中で「ヘウォン」「ギュウォン」という娘が2人産まれることになりました。

そして、オ氏は大変な思いをしながら博士号を取得します。

同じくしてシンさんは人口透析専門の病院に就職しますが、針刺し事故で肝炎に罹ってしまいます。

その後、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の時代である1980年代、オ氏は絶対に韓国には戻らないと宣言し、ドイツに亡命申請をしドイツのパスポートまで手にすることになります。

ドイツではマルクス経済学は人気がなく、彼はまともな報酬が得られる仕事に就くことができませんでした。

その時に彼に接近してきたのが北朝鮮の工作員だったのです。
「韓国には戻らないし、ドイツにもちゃんとした仕事がない。マルクス経済学の博士なのだから、北朝鮮に来て夢を叶えてみてはどうですか?」

それを聞いたオ氏は、北朝鮮は社会主義・共産主義の国家なので自分のようにマルクス経済学を学んだ人はそれなりの待遇をされるだろうと考え、話を聞くことにしました。

「北朝鮮に行ったら金日成総合大学で教授をすることができますか?」と。

「もちろんです。そして、奥さんの肝炎も無償で治療してくれますよ」と工作員は答えました。

それを聞いたオ氏は心を決めて奥さんに話をします。
「ここでの生活が大変だから北朝鮮に行かない?」

すると、シンさんは絶対にダメだと猛反対します。
「北朝鮮のような閉鎖的な国で暮らせるわけがない。気を取り直しなさい」
オ氏は「北朝鮮も人が住む社会だ。その国に対する悪い内容は韓国の作り話だ」と反論したそうです。

1985年11月23日、オ氏は奥さんと娘二人を連れて、北朝鮮の外交官とともに北朝鮮に入国することになりました。その時、彼はマルクスの書籍3000冊を持参したそうです。「俺が北朝鮮の経済学に革命を起こす」と思いながら。

北朝鮮の空港に着くやいなや、彼は現実を知ることになります。

彼の宝物である書籍は空港で燃やされ、彼と奥さん、2人の娘は金日成の肖像画にお辞儀をしないといけなかったのでした。そして、3ヶ月に渡り監禁され、洗脳が始まりました。

彼が一番驚いたのは、ある日連れて行かれた場所に金日成が10歳の頃に読んだとされるマルクスの「資本論」が置いてあったことです。この本は大学院生も1年以上かけて読む難解なものであり、この国の洗脳の実態を目の当たりにした彼は怒りを隠しきれませんでした。

そのことでまた夫婦喧嘩が増えていきます。怒っている彼と違い奥さんは現実を受け止めてここで暮らしていくことを考えていたからです。

その後、オ博士には金日成総合大学の教授ではなく、韓国人に向けて北朝鮮の体制を宣伝するためのラジオをするように指示が来ます。彼はそこで働きながら自分の過ちを認め、奥さんに「この国を出よう」といいルートを模索し始めました。

そんな中、政府に呼ばれたオ博士は、ドイツに行って韓国人留学生を2人連れてくるように指示が出ました。

これをチャンスだと考えたオ氏が「絶対に2人を連れてきて政府から信頼を得て、家族と一緒に外国に行けるようにする」と話すと、奥さんは強烈な平手打ちをお見舞いしたそうです。「あなたが生きるために何の罪もない人々を巻き込まないで。もし留学生を連れてきたら、あなたは名実ともに北朝鮮の工作員になって、子ども達にもそう認識される」と。

そして続けます。「ドイツに行ったら2度とこの国に戻ってこないで。そして、ドイツ政府が私たちを解放するように北朝鮮に圧力をかけるように活動して」

最後に「6ヶ月が経っても私たちが脱出できなかったら、交通事故で死んだと思ってください」と彼女は言ったそうです。

1982年12月23日、空港で奥さんと最後のハグをしたオ氏はドイツに行くための飛行機に乗り込みます。北朝鮮の工作員2人と一緒に。

オ氏を疑っていた北朝鮮の工作員は何度もルートを変え、予定にはなかったコペンハーゲン空港に到着します。
工作員2人が前、後ろにオ氏という順番でパスポートの確認が行われるとき、彼は外交官用のパスポートを持っていました。

そして、その中にはトイレで書いた「please、please、help me」というメモと自分の博士号をコピーした紙が挟まれていたのです。

パスポートを手渡した瞬間、彼は目を閉じました。ここで自分の人生が決まる。
生きるか、死ぬか。

メモを読んだデンマーク空港の職員は彼を部屋に招き入れ、鍵を閉めてくれました。そこで彼はもう家族と会えない悲しみと助かったことへの安堵感でしばらく泣いたそうです。

家族救済を訴えたオ博士をドイツ政府と韓国人教会は無視してしまいます。彼は、韓国もドイツも北朝鮮も裏切った上、家族を犠牲にし、自分だけが助かった、こういう事実を知った人は誰も彼を助けようとしませんでした。
その上、北朝鮮からやってきた彼を信頼できなかったからです。

そういう状況の中で家族に影響があると思ったオ博士は韓国に戻ることもできませんでした。

誰の助けも得られない彼は、西部ドイツから北朝鮮の金一家に宛てて、家族を解放してほしいと手紙を書いたそうです。何度も何度も。

当然、北朝鮮が家族を解放することはありませんでしたが、北朝鮮大使館を通じて娘の手紙や音声テープが届きました。
「お父さん、私はこんなに大きくなりました。お父さんと会う時、私はどんなプレゼントを用意すればいいでしょうか。早く会いたいので北朝鮮に戻ってきて」といった内容のものでした。

1992年、彼は韓国に行って助けを求めました。しかし、当時は大統領選挙などで世間は騒がしく、彼の話はまた埋もれてしまいます。

2011年、韓国の慶尚南道(キョンサンナンド)統栄市(トウエイシ)の市民らが「統栄の娘を返して」とキャンペーンをし、UNHCRに訴えます。奥さんのシンさんは統栄市の出身だったのでした。

そして、UNHCRの質問に、北朝鮮は外国からの人権問題に関する投げかけに初めて応えました。理由は、オ博士の家族はドイツパスポーを持っていただめでした。
「シンさんはすでに肝炎で亡くなっているが、娘たちは北朝鮮で良い生活をしている。父は裏切り者であるため絶対に会いたくないと言っているため、2度と連絡しないでほしい」という返答でした。

手紙には数枚の写真が入っていたそうですが、その背景は明らかに平壌のものではありませんでした。
不審に思った彼が脱北者に写真を見せたところ、彼らは「そこは悪名高い耀徳強制収容所の風景に近い」と言ったそうです。


奥さんのシンさんとヘウォンとギュウォン


その後もオさんは「金正恩よ、お願いだから娘の姿を一度見せてください。そして、奥さんのお墓の位置だけでも教えてください。その方向を向いてお辞儀をしたいのです」と何度も手紙を書いたそうです。

何度も…何度も…


現在、オ博士は高齢者向けの施設で暮らしていると言われてます。

記者らのインタービューに彼は
「昨日夢を見たけど2人の娘がベルリンでバイオリンの演奏会をしていたよ。目を冷ましてみたらそれが現実だったよ」
と笑顔で応じたそうです。

北朝鮮に家族を取られたオ博士の姿

オ博士の物語を読んで、どんな感想をお待ちになりましたか?

韓国にはオ博士のことを「愚かである」「卑怯者だ」などと言い、嫌悪感を抱く人が多くいるそうです。
故意ではなかったとはいえ、反対を押し切った末に家族を犠牲にした彼が責められるのは必然かもしれません。

しかし、人には欲があります。もっといい生活を得ようと思うことは何ら責められるべきものではないし、人の本来もつ弱さでもあります。こういう人間の弱さを利用した北朝鮮の行為はなんとしても許し難いのです。

また、当時はインターネットなどなく、北朝鮮の情報を今ほど知ることはできない時代でもありました。

私は、彼を騙した北朝鮮の工作員、入国した後の残虐な扱い、その被害者(であるオ博士)のことを一人でも多くの人に知ってもらいたいと思ったのです。

そういった想いで今回の記事を書くことにしました。

金一家以外、全ての人が不幸であるあの国、北朝鮮は1日でも早く潰れればいい!そう願っています。

ではまた。

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