夏の行楽 in 北朝鮮#55
こんにちは。
まだ6月ですが、すでに真夏日が出てくるようになりましたね。
私は夏に生まれたので、冬より夏が好きですが、みなさんはいかがでしょうか?
現在、私が住んでいる地域はストレートにいえば田舎です。
休日は登山客で街が賑わう自然が豊かな場所ですので、こういった季節は子ども達と山間の川に行って水遊びをする機会が多くなります。
昨日、いつものように川で遊んでいたら、3歳の娘の足に小枝のようなものが付いているのを発見。よく見るとヤマビルが吸いついているではありませんか💦慌てて素手でつまみ上げました。
私は実は虫が大の苦手なので、普段であれば大声を出して旦那を呼ぶ(家で”ゴ”から始まる黒い虫が出るとこうなる)展開ですが、子どものことだったせいか、我を忘れて手を伸ばしたのでした。(母は強し🤭)
ヤマビルがくっついて間もないところだったのか、娘の足に傷口などはありませんでした👍
以前、ダンナの血を吸ってパンパンに膨れ上がったヤマビルを見たことがあります。傷口の出血がなかなか止まらず、血まみれになっていました。
娘が同じ目に遭わなくてよかった。
話が逸れましたが、夏の水遊びは子どもにとって最高の楽しみのひとつであるという点は、世界共通ではないかと思っています。
それは現代に残る秘境-北朝鮮でも変わりません。夏になると水遊びに夢中な子どもたちを川や海で見かけることができます。
北朝鮮で私が暮らしていた家から、10分ほど歩くと金日成の銅像があり、その横を幅70~80mほどの大きな川が流れています。
水深は比較的に浅く穏やかな流れだったので、小さい子どもから大人まで幅広い年代の人たちが遊んでいました。
北朝鮮では水道が出ないことが多いため、川で洗濯する人がいたり、お風呂代わりに使う人(完全に裸なので見ているこっちが恥ずかしい)がいたりします😸
北朝鮮の水道事情については前回の記事をご参照ください。
(※後半部分は閲覧注意です)
しかし、日本のように大雨が降った際に増水への注意を呼びかける、急流や水深が深いところに「危険」といった標識を設置する等の対策がないため、毎年のように水難事故の死者が出ていました。
水遊びの代表スポットのもうひとつは海です。
川や海へ遊びにいくのは日本と変わらないかもしれませんが、違いを挙げるとすれば、北朝鮮にはプールという選択肢がないことでしょうか。
一応、学校等に設備があるといえばあるのですが、水道が出たり出なかったりするので、使えたものではありません。
平壌には室内プールがありますが、地方にはそういうものは存在しません。
海水浴場は松の木や花をたくさん植えるなどして、綺麗に整備されています。
気が合う家族同士や友達大勢でお金を集めて、肉や魚介類、野菜、果物、お酒などを買い、薪と鉄板(ドラム缶を加工したもの)を持って遊びにいきます。
海は私が住んでいた街から車で40〜50分ほどなので、トラックやバスの運転手さんに賄賂を渡して、運んでもらうことが多かったです。
海に着くと松の木の下に場所取りをし、薪を燃やしてバーベキューの準備をしたり、海で泳いだり、子どもたちは砂場で遊んだりしながら過ごします。
そして、ここで絶対に外せないのがBGMです。
北朝鮮では電気が来ないので、余裕がある家庭は家の中でタンクバッテリー(トラックのバッテリー)を使用した灯で生活します。遊びに行く際は、このバッテリーを外に持ち出してラジカセなどの音楽プレイヤーに繋いで大音量で音楽を流します。
(こういったオープンな場所では、国から許可されている曲のみ流すことができます。家で遊んでいる時は、韓国の曲ばかり聴いていました🤭)
夏の海水浴場には、このようなグループが数えきれないほど遊びに来ており、あちこちで音楽が流れています。
そして、遊びに来た人々はお酒を飲んで気分が上がると踊り始めるのがおなじみの光景。
中には、酔っ払ったおじさんたちが嫌がる女性を無理やり連れ出し、踊らせて楽しむというのもあるあるでした。
中には酔っ払いすぎたことでタガが外れてしまい、大喧嘩に発展してしまうことも…😱
夏は水難事故に限らず、トラブルが多い季節です。
こういったスポットにも、もれなく安全部や保安部といった取り締まりの人たちが訪れますので、その人たちに渡す賄賂を用意しておかないと、痛い目に遭います。
具体的にどのような目に遭うかというと、たいていは学校や職場で「資本主義の遊びをした」と反省文を書かされる程度で済むのですが、ひどい場合「労働鍛錬隊(過ちを犯した人を数週間〜1年未満の間、強制労働させる場所)」へ送られるケースもありました。
取り締まりの人たちに賄賂を渡すことをきっかけに仲良くなると、その場に居座って食べたり飲んだり、ときには酔った勢いで一緒に踊っている姿を見かけることすらあります。
(朝鮮労働党よ、こっちを取り締まってくれ…😅)
そして、忘れてはいけないのが、コチェビです。
行楽シーズンになるとコチェビも食べ物をもらったり、拾いやすくなったりするので、たくさん集まってきます。
コチェビが多すぎるためか同情する人は少数派。邪魔者扱いして、あからさまに暴力を振るう人もチラホラ見受けられました。
ところが、1994年に金日成が亡くなったことをきっかけに、変化が訪れます。
大声で笑ったり、歌を歌ったり、大音量で音楽を流したり、踊ったりするなどの行為が、北朝鮮全土で禁止されることになったのです。
規則を破った人は重い刑罰を受けることになるため、海水浴場からも人影が消えてしまいました。
国全体に暗く重い雰囲気が漂っていて、ちょっとしたことで「首領様が亡くなったのに、こんなことをしているのか」と捕まりかねない状況です。
下手をすれば政治犯として収容所に送られる可能性もあったので、そういった中で遊ぼうとする人はいませんでした。
正確には覚えていませんが、海水浴場に少しずつ人々が戻りはじめたのは1997~1998年頃だったと思います。
1996 年から「苦難の行軍」(北朝鮮の歴史に残る大飢饉)が始まって貧富の差はどんどん拡がり、飢え死にする人も増えていきましたが、そんな時期にもかかわらず海水浴場はバーベキューを楽しむ人々で賑わっていたのです。
何を隠そう、私も海水浴場に遊びに行くことのできる一人でした…
14~15歳の頃、大勢の友達と海水浴場に行ったときに、食べ物をもらいにきた同い年くらいのコチェビの女の子と少し話をしたことがあります。
両親は飢死で亡くなり天涯孤独となった彼女は、駅などで寝ているときに何度も知らない男に強姦されたと涙ながらに語っていました。当時、力が出なくて襲ってくる男を退けることもできず、されるがままだったと聞いたときの衝撃が今も忘れられません。
その話を聞いた私は、残っていた食べ物を渡すこと以外、何もできませんでした。
私が北朝鮮を離れて、かれこれ10数年になります。
その間、北朝鮮では核兵器やミサイルなどの軍事以外の科学技術、国民の生活水準は衰退する一方です。
今もあの国に人権という言葉を知っている人は、ほとんどいないことでしょう。
今日も飢えたコチェビが1日でも長く生きるために食べ物を求めて街をさまよう一方、生活に余裕がある人は海水浴場での行楽を計画しているかもしれません。
他の国と同じく、北朝鮮に住んでいる数百万人の生活は一つではないのです。私やこの記事を読んでくださるみなさんに、それぞれの暮らしがあるように…
それを知ってもらえればと思っています。
ではまた👋