リスボン、ミラノ、カーディフ、キエフ、パリと来て、次はロンドンだ
「ヨーロピアンカップ」が「UEFAチャンピオンズリーグ」へと改名されたのは32年前のこと。
現行の「チャンピオンズリーグ」となってから、マドリーが初のCL王者になったのが1997-98シーズン。
前身のヨーロピアンカップを含めるとこの時が通算7度目の優勝だったが、最後にヨーロピアンカップを優勝して以来、32年ぶりの歓喜だった。
そしてデル・ボスケが正式に監督に就任した1999-00シーズンに通算8度目、その2年後にジダンのボレーが通算9度目のビッグイヤーへと導いた。
その翌年以降、欧州のチャンピオンの座に立てない時期が長らく続いた。
デル・ボスケ率いる銀河系軍団がスコットランド・グラスゴーで舞ってから、11年間、宴の会場が白色に染まることはなかった。
CLファイナルでのマドリーの最後の得点者が2001年のジダンのまま11年の月日が経ち、満を持してそのデータを塗り替えたのがリスボンでのセルヒオ・ラモスだった。
彼が生み出した聖なるタイムは、マドリー史がいくら増えようとも決して埋もれることはない。
さらに、次にこの舞台へ戻ってきたのが2年後の15-16シーズン。未だに破られていない3連覇の幕開けだ。2018年の決勝から6年が経った今でも、半分夢のような心地だ。
そして21-22シーズン。既に三連覇を知るメンバーが続々と去り始めていた。残っていたのはカルバハル、ナチョ、クロース、ベンゼマ、モドリッチ、ベイル、マルセロ、カゼミロ、ルーカス、イスコの10名。
ラウンド16のパリから始まり、準々決勝のチェルシー、準決勝のシティ、ファイルナルのリヴァプールまで、4つのサバイバルゲームをすべて1点差で勝ち続けた。
精神的な消費が激しく、生きた心地のしない試合も多々あった中で、マドリーは懲りずに奇跡を起こし続けた。
さて、今季は難敵ライプツィヒを大苦戦しながらも何とか退け、エティハドではベンチメンバーの経験値を総動員し、総力戦で破った。バイエルン戦ではまた新たに一つのドラマが誕生し、それはチームの好調を示す一つの指標にもなった。
あのセルヒオ・ラモスから始まったとも言える、勝者としての確固たるメンタリティでもって今季もここまでたどり着いた。
ビッグイヤーはいつもピカピカに輝く賞杯だが、ベルナベウのショーウィンドウに飾られると、それはシーズンごとに違う色を放つ。
リスボン、ミラノ、カーディフ、キエフ、パリと来て、次はロンドンだ。