黄金期に生きる
今を生きる我々は、またもう一つの黄金期の真っ只中にいる。
マドリーが直近10年で欧州チャンピオンの座を掴んだ数は6つ。
この数字は、チャンピオンズリーグの前身であるヨーロピアンカップが発足した1955/56シーズンから1965-66シーズンの10年間のうちに6度優勝したときと並ぶが、その時代を見ていた人は限定的で凄さがイマイチ理解しづらい。
「チャンピオンズリーグ」への改名後に限ると、『(任意の)10年間でCL王者に2回以上なったことのあるクラブ』と検索条件を絞り込むだけでチーム数は限られてくる。
ACミラン(1994, 2003, 2007)
マンチェスター・ユナイテッド(1999, 2008)
バルセロナ(2006, 2009, 2011, 2015)
バイエルン(2013,2020)
の事例だけだ。
そして『10年間でCL王者に4回以上なったことのあるクラブ』とすると、レアル・マドリーとバルセロナに絞られる。
この『4』の数字を「5」「6」と増やすとマドリーの名前だけが残る。
フットボールとは生き物で、メンバーも変わればスタイルも変わる。政治的な背景によってはチームのコンセプトや色さえも変わることがある。
それでも、マドリーのDNAとして植え付けられたプシュケーは変わらない。変わらないどころか熟成される。そして、それはチャンピオンズリーグ至上主義を掲げているだけあって、このコンペティションが存続し続ける限りは遺憾なく発揮される。
これはいくらメンバーが変わってもそうだ。
今季はまさにそれを体現してきたのではないか。
開幕当初からクルトワとミリトンが抜け、ほどなくしてアラバも離脱した。
前を見れば、先導者のベンゼマはおらず、三連覇の同志のベイルも去った。矛はどう見ても若かった。
唯一30代のホセルも、開幕当初から若い矛たちを牽引しているようには見えなかった。
もちろん変わらない部分も多かった。ナチョ、カルバハル、ルーカスのカンテラーノ、二人三脚のモドリッチとクロース。よくある表現だが、彼らの身体に流れる血は長年白い。チャンピオンズを獲れなかった時期を含めて白い血を受け継ぎ、師がいなくなっても守り続けた。
そして、彼らの下に生まれたZ世代にもそれは既に伝承されているようだ。
この師氏相承は誰かの功績とは言い難く、「それ自体がマドリーがマドリーたる所以だ」と人々は言う。
数年前に不安定期を脱したマドリーは、また急ピッチで坂を上り続けている。そして仮に「彼」が来るのなら、マドリーに組み込まれた動力はまた一段階パワーを増すだろう。
それでも、マドリーを動かす根源は不変のプシュケーであり、そこに限りはない。
今を生きる我々のモチベーションは、黄金期を共にできる喜びにある。