のぞみにのぞむ
親愛なるうさぴーへ
わたし史上最高に、書く内容を何も持たないまま手ぶらで記事を始めてみました。最近は自分とうさぴーにしか見せない日記ばかり書き続けていて、新幹線で時間もできるしのんびり何か書こうかな、と思って。年末ですし、振り返りのようなことをしてみましょうか。とはいってもそんなに大げさなものではなくて、一年間ないしはそのうちの数か月で練った思索の果てとかではなくて、今ぱっと浮かんだことだけ書きます。
始めから寄り道するんですが、振り返りって言葉、素直でかわいいと思います。それが結構フォーマルな場面でも活躍していて、もっともっとこういう言葉があれ。現在に立って後ろを振り返ると短くてびっくりしてしまうけれど、過去のある時点まで歩いて戻ってそこから今をのぞむと、この短い間にこんなに、と思えます。たぶん充実していたってことだと信じます。それはなにも、ずっと忙しかったとか予定がいっぱいあったとかそういうことではなくて、主観的な満足感、充ちていたということです。今年は結構忙しかった方も当てはまりますけれど。
さてさて本題に。今年は、そうだな、人と自由と、そして余白を好きになった一年だったかな。四月を境に、大きな変化がたくさんありました。周りの世界も、それに伴って私自身も。自分では、核のところはそこまで変わっていないけれど、出力の部分が結構変わったんじゃないかな、と思います。このnoteだって、勝手に書いていたのが友達と繋がれるようになるなんて欠片も想像しませんでした、そういうこと。もちろん内部と出力の間にはフィードバックのような作用関係があるので、ちょっとずつそちらも変化しているのですけれど。だからこの好きになったものたちも、もともと好きだったのだけれど積極的に好きでいる方法をつかみ始めたというべきなのかもしれません。
人は、もともとすごく好きでした。深い根拠はないけれど、性善説か性悪説なら性善説を信じたい。それは関係ないね、けれど自分っていう絶対的なものの外側にたくさん同じようなものが存在して関わりあっているって、すごくないですか。でも一方で、傷つくのが怖いのか、人に期待をしない人間でした。すべて無意識のうちに。他人にも、自分にも。こう書くと誤解を招きそうですが、過去に何かいやなことがあったとか、そういうことではありませんよ。ただ他人を理由に自分の行動を変えることが極端に少なかったのです。前にも書いたかもしれませんが、それで高校の時は反省したので、大学に入ったらもっと人を信頼してみようと思ったのです。人としての誠実さを信頼していなかったのではなくて、ね。まだもっと期待していいと思います。私に一切期待していない人間にもこちらの期待と信頼で押し切ってしまえるくらいのものを持てる日がくるのでしょうか。環境に恵まれたおかげかもしれませんが、まだまだ身近には楽しい人がいっぱいいそうです。もう満足してしまっているのもあるのですが、共通の知り合いに言われてやっと気づいた気の合う子というのがたまにいます。それでも私も、温度が合うなと思える人たちに飛び込んで行って、ちょっとくらい私がはたらきかけてみてもそっぽをむかないでいてくれると信じて、そっとつついてみたり。殻を破るとかそんなのではないけれど、薄皮が一枚ずつ剝けるみたいに。ちょっとずつさらけ出して、肌に触れた外気は思ったよりあたたかかったです。やっぱりまだ手放せない皮がたくさんありますが、あくまでも一枚ずつなので。それはとっても楽しくて、生活のいろんなところに友達が潜むようになって、1人でいてもしょっちゅう、これはあの人と話したあれに似ているな、とか考えてしまいます。ひとりひとりがそれぞれいろんな色の糸を垂らしているようで、その先っちょを日々の風景に見つけて過ごしています。こんなことをこんなふうにおよそ論理などない順番ででここに書いているのも、だから成長なんですよきっと。
尖った山々が茶畑になって、それからなだらかな山になりました。そろそろ半分くらい来たかしら。
自由は、単純にひとり暮らしのおかげです。部屋やお金の使い方から生活リズム、出す音、全部が自由で、自分の時間を全部自分で選んだことに使えて、すばらしいです本当に。もちろん、実家に帰るとおいしいご飯があるし、親と話すとやっぱり大人って、親ってすごいし、おいだきって便利だしいろいろすてきなんですけど、役所の手続きはめんどくさいんですけど、でも全部合わせても自由なのはやっぱりだいすきです。特に先のことを決めずにその場の気分で動けるのがとっても楽です。失敗しても自分の責任なので余計に苛立ったりしないのも良い。前を向くとすれば、課題にばかり追われていないで学びたいことにも自由の範囲を拡張出来たら嬉しいですね。これから。あと逆に、今は興味なくてもある程度は常識を身につけたいですね。それから、これは学問に限らずですが、自由なのだからすぐに満足してしまわないでもうちょっと求めてみてもいいかもしれない。自分にも期待してもいいかもしれません。
あとは余白。一時間前に自分で書いたのに、なんだか他人事のような感じがします。何もないところ、色の少ないところ、無駄なこと、遊び。こういうものを今までよりもっと積極的に楽しむようになりました。前から端っこは好きで、たぶん周りに同じように端っこで遊んでいる人たちが多かったのでいろんな楽しみ方を学んで、広がったのかもしれません。そして余白に見つけたちいさないいことを共有できるのだから、嬉しいにきまってるよね。例えば短歌とか俳句とか詩の世界は、私にとって新しい楽しみ方です。最近の曲も、余白の鏡として見るようになったら意外と楽しかったり。拍子抜けするくらい素直にそのまま言うのも楽しかったり。そしてもちろん、散文も引き続きね。
そろそろ持ってきた本を読みたくなってきました。今年もどうもありがとうございました。5年前からこうして書いている中で今年は一番たくさんお手紙を書けたかなと思って見てみました。たしかにそうですが思ったより差は少ないですね。また来年もつらつら書かせてくださいね。
2022/12/30
P.S. 題は本当に全部書き終わってからつけたからね!!
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