春の野菜は苦いんだって

親愛なるうさぴーへ

うららかな春の日差しが、と書いたらなんだか卒業式の呼びかけみたいですね。なんとあれもそろそろ4年前なんだ。それでテーブルの下であまりにも無邪気におやつを食べていたあの日からは12年ですって。感謝。

今は桜の新芽を身の前にうずくまっているのですが、私は新芽の硬さがたまらなく好きです。かわいい花びらをうちに秘めて縮こまっていて、春風の軽快で柔らかい指でそっと、少しずつ、警戒を解いてゆくその過程が本当に好きです。こんなに優しい風にはつい心を、花を開いちゃうよね、と思いながら、並木の何百何千の花芽を残らず芽ぶかせるその手腕に、感心せずにはいられません。狙ってやってるんですかね。それとも、ただ在るというだけで、当の風は全然違う目的を携えているんでしょうか。なんだかこっちが正しいような気がします。木の方は木の方で、次の年にはやっぱり頑固に硬い芽をつけるわけで、この懲りなさに巡る季節を覚えます。だから花束なんかに咲く前の芽がついていると、とても嬉しくなります。

ここ最近妙に芽キャベツのことが頭にチラついていたのは、こんな潜在意識からだったんでしょうか。さっきスーパーで見かけて興奮しましたが、調理法も知らないし目で愛でるのみにしておきました。


春だから菜の花が食べたいんだ、と独りごちていたのはバイト先の洗い場のおじぃさん。おじさんとおじいさんの間の、3割くらいおじいさん寄りくらいの方です。賄いで菜の花の葉っぱをリクエストした後でした。この人、全くにこりとも笑わないけれど私たちの「(お皿)お願いします」に対する返事は誰よりも元気だし、お皿を返しにゆく時の歩くのはすごくゆっくりなのに洗い場は誰よりも速くて、こっそりかなり好きなのです。よかった、書きたかったことに無事繋がりました。

こっちは何も繋がりはないのだけれど、笑うことを後ろめたく感じるひとが、なくなればいいですね。

2023/03/11


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