神単衣

大好きなうさぴーへ

PCの予測変換ちゃんには知ったかぶりをやめた方がいいと教えてあげたいです。コンタクトをとれる方がいらしたらお伝えください。覚えは早いのでこれを思ったきっかけの単語を打ち込むときちんとカタカナに直してくれちゃうので知ったかぶりの失態をさらすことはできませんでした。知ったかぶりって語感良すぎます。𠮟咤被り?あったかそう。

それはそうと、最近の発見2つが同じ色をしていたのでご報告いたします。1つ目は、目隠しのために植わっている木が一部塗られていたこと。枯れて茶色くなっている木があって、それをペンキか何かで緑に塗りたくっていたのです。よくよく見ないと気づかないような、本当に同じ色で、私もそばに座ってただその木を眺めること数分、やっと幹まで緑色をしているのに気が付きました。あの木はあの色でいつまであそこに立っていられるのでしょう。針葉樹でそう簡単には倒れそうにありませんが、生きてはいるのでしょうか。2つ目は、この間お祭りの隊列に入ったときに、おみこしの威勢のいい掛け声が録音だったこと。こうやって書いてみるとなんの奥行きもなく同じことですね。何時間にもわたる行進でおみこしのかなり後ろを歩いていて、一向に衰える様子のないその掛け声に少なからず鼓舞されていたのもあって、先頭の人が抱えている機械がメガホンではなくプレイヤーであったことを知ったときは唖然としました。掛け声に続く大勢の声は本物だし、それくらいいいんですけどね。でも、脈々と続いてきたお祭りも、地球側の変化とか強弱のとらえ方の変化とかにも適応してこうやって少しずつそぎ落とされているんだなと思いました。でもね、どんな掛け声だったか忘れましたが、どこかの部屋でわっしょいわっしょいとか大声を録音しているおっちゃんがいると考えたら楽しいですね。

オチもなく以上が書きたかっただけですが、書いていてもうちょっと思いついたので書きます。こういう気づきというか発見ってポジティブでもネガティブでもないと思うのです。しいて言うなら、もともとその対象(木が植わっていた場所とかお祭りとか)に対して自分が持っている感情が反映されるのかしら。結果としての外見を繕うために歪なことをしているのは確かですが、その裏側が見えたときは人間味みたいなものを感じます。その天秤が、歪さに対する嫌悪にふれるか不完全さの温かみにふれるかということです。特に人間に対してはこれが顕著で、例えば私はぶりっ子が嫌いですが、馬鹿を装ったぶりっ子と思うか素直でかわいいと思うかは紙一重かもしれません。誰の言動かということにその評価が左右されてしまうのはよくないことだけれど、人間だもの、そんなの前後左右に揺れまくりですよね。ビジネス仲良しとかには、お互い割り切れるならそんなに反対ではありません。

2024.08.08

P.S. 日付を書いてよかったです、大事な友達の誕生日でした。

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