今こそ、「中卒無職小石川萌」の話をしよう。
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中卒無職小石川萌というインディーズマンガがある。
始めに言うと、これはネガティブな要素を含む話ではない。
だが、結論から言うと、自分から感じる「因果」のような物にこの漫画、或いはそれを象徴する不明の何かから於いた自分は囚われており、少なくとも知覚できる「禍根」のような者に囚われてさえいる。
訳あって、僕はこの漫画の関係者全員から漏れなく蛇蝎の如く嫌われているのだが、もう時効だと思い、そして見る者もいないと思う、さらには今見ている人達には終ぞそれが誰か判らないと思うので、正しくもう時効だと思い話そうと思う。
何故今なのかと云うと、つい先日、自分の一次創作の小説作品が完成したからだ。出版社に出すつもりだが、今のところどうなるかは分からない。
題名も今のところ伏せるしかないが、「瓶詰」で自分が放った、あるいは自分自身が感じた感情をさらに凝縮させ、呪いに転化させた物だと感じた。
その呪いの根源というべきものはやはり….というべきか「歪んだ愛情」だったので、自分に取っての根源はやはりこれなのかもしれない、と思い至った訳である。
断言できるのは、少なくとも自分に対するどんな攻撃も、”この作品”の前では自分自身には届きえないという事だけ。
あくまで自分の中だけの話だが、呪術廻戦で謂う「無下限」に等しい呪いが自分の中で出来上がってしまった。(できればにゃるらさん辺りなら面白がって見てくれるかもしれないが、あいにく彼のDiscordサーバー絡みで追い出されたためブロックされている。哀れ)
なので、未だ見ぬ過去から、あの物語を語りたいと思った。
それだけ。意味などない。
これは、苛烈な苛めにより工業高校を中退した「小石川萌」の、お話し。
ただ、苛めによって付けられた傷が癒える「再生の物語」ではないと感じるかもしれないし、そこから「立ち上がる」物語でもない。
少女が、不機能のなかで「歩めない」物語なんだと解釈している。
月並みな粗筋を纏めてもいいのだが、買って読んでもらった方がとても速いと思うので省略する。
俺は高校をろくに行っていない。どちらかといえばぼざろのPAさんみたいな肩書だが、そんな中で出逢った物語がこれなので、酷く感動した覚えがある。もうそれは、文字通り、少し過去に於いてはその閃きが地獄へと堕ち、業の深い呪物へと転化するぐらいだろう。
ニコニコ漫画の最終回では、彼女は結局未来に進めたかどうかは曖昧に終わる。ただ、何かを向いて歩んでいる、と云うことだけが描写されて、それまで目標にしていた高卒認定の試験を取れたのか、その先どう成るのかを解らずに終わる。
ひょっとしたら、その前向きはまた何処かで挫け、拗れ、ぼろぼろに成ってしまうかもしれない。そういう不安定な魅力を、他者が介助したくなるような妖さをその少女は持ち得ていた。
12年程、自分はその不安定の妖さというか魅力に囚われ続けている。
というか書いてる今でも色々苦しくなるので、多分まだ持病の発作のように遺っている。まさしく「愛ほど歪んだ呪いは無い」ので在る。
例えるならば、明日には消えてしまう蓮華のような感じ。今にはそう視えた。
少し過去の話に於いて、俺は正しく彼女に執着し、決して届きはし得ない”偶像”を自分の所有物にしたかったのかもしれない。
僕はもう、誰かの手になるのを見たくはなかった、とも云えるし、自分一人の物にしたいと思えるくらいには狂っていた。
それくらい、何というか、「完成」された存在だったのだ。
…歪んでいるが、汚れてはいない。純真無垢だが、外の世界では亀裂が入る。だから、内の世界に閉じ込めたかったのかもしれない。永遠に。
結局その目論見には失敗し、永遠に”そこ”からは追放され、結局俺はそうは思えない人達にぼろくその砂袋のように殴られ続けた訳だが。結局殴られれば痛いし、躾は痛みで覚えるしかないのだ。
それから永遠と思えるくらいには魂を喪った亡霊のようになれ、あらゆる所を彷徨い、BANされ、ブロックされた塊。果てしく呪物の成れの果て、それが俺みたいな感じだった。
書いてて思うのだが、今も太陽に手を延ばそうとするように、決して届きえない天界に人が無下限で挑んでいるような感じがする。
そこから先はまぁ、皆さんの知る通り。今もああいった性は治ってないし、何ならいつも、というより前やその前にも袋叩きにされて終わってるが、殴られた分一矢は報いたい。
そう思って、色々やったら、偶々「瓶詰」が出来た。即売会と電子トータルで2万円いかないくらい収入が入った。そんな感じだ。
呪物が何か成してしまったのである。これを袋叩きにした連中が観たら、滑稽だと笑うか、「わたしたちにあんなことをしたくせに」と、被害者面で殺意を抱くくらい憎むかのどちらかになるだろう。
結局、俺は俺自身の呪いを解く方法を知らない。今回やって観て呪いが解けるかと思ったが、どうも無理そうだ。
ただ、大袈裟なニュースも、汚れたプライドの大きな成果も、
公転の合間に散り散りになる。
どんな哀しい最後が待ち受けて居ようとも、結局は、何も救い得なかった五条悟のように未だ見ぬ明日に祈る、ことぐらいしか俺は成し得ないのだと、感じた。それが今回の収穫だ。
これを、小石川萌という、無下限に成っても解けない俺の中の「歪んだ愛」(のろい)に、捧げたいと思う。
以上。