日本的共創マネジメント074:「サムライPM」〜宮本武蔵 『五輪書』 (その 4)~
武道と士道の系譜 (宮本武蔵)
2.武道としての武士道 (009)
⑤ 宮本武蔵 『五輪書』 (1645) (その 4)
⑤ -1. 地之巻 : (その 2)
前号では、「地之巻」の、下記 (01~05) の項目について述べた。
01 : 五輪書全体の序文 (自 序)
02 : 地之巻の前文 (地之巻 序)
03 : 兵法の道とは 「兵法の道と云事」
04 : 大工に喩える 「兵法の道、大工にたとへたる事」
05 : 士卒の心得 「兵法の道、士卒たるもの」
今号では、以下 (06~11) の項目について述べる。
06 : 五巻の概要 「此兵法の書、五卷に仕立事」
07 : 二刀一流という事 「此一流、二刀と名付る事」
08 : 兵法の利を知る事 「兵法二の字の利を知事」
09 : 武器を使い分ける 「兵法に武具の利を知と云事」
10 : 拍子という事 「兵法の拍子の事」
11 : 地之巻の後書 (地之巻 後書)
06 : 五巻の概要 「此兵法の書、五卷に仕立事」
地水火風空五巻の概要を書きあらわす。
・ 地之巻
兵法の道について記す。剣術だけをやっていては真実の道は得がたい。大きな所から小さい所を知り、浅いことから深いことへ至る、そのまっすぐな道を地面に描くということから「地之巻」と名づける。
・ 水之巻
「二天一流」について記す。水を手本として、心を水のようにする。水は、容器の形にしたがって四角になったり円形になったりする。水はわずか一滴のこともあれば、広大な海となることもある。一をもって万を知ること、それが兵法の効用である。そこで我が流派のことを、この「水之巻」に記す。
・ 火之巻
戦いのことについて記す。個人対個人、集団対集団の戦いも同じである、戦いにおいての心構えなどを記す。大きな所は見えやすいが、小さな所は見えにくい。大人数の事は即坐に変えることは難しいが、一人の事は心一つでさっと変るので、小さな所は逆に知ることが難しいからだ。この点をよく吟味しておくべきである。戦いのことを火の勢いに見立て、「火之巻」と名づける。
・ 風之巻
他の流派について記す。「風」というのは、昔風、今風、家風などのことである。他の事をよく知らずしては、自身の理解も成りがたい。いろいろな道においてさまざまな事を行うに、外道ということがある。心が道に背いていては、自身は善いと思っていても、まっとうな所から見れば、真実の道ではない。これらの他流批判をすることにより、二天一流の有用性を「風之巻」に説く。
・ 空之巻
兵法の本質としての「空」について記す。道理を得てしまえば、道理を離れ、兵法の道におのずと自由があり、おのずから不思議なほど優れた効果を得る。時に相応しては拍子を知り、おのずから打ち、おのずから当る、これみな空の道である。そのようにおのずから真実の道に入ることを、「空之巻」と名づける。
07 : 二刀一流という事 「此一流、二刀と名付る事」
腰に二刀をつけるのは、武士の道である。この二刀の効用をさとらせるために二刀一流というのである。この二刀一流にあっては、長いものでも勝ち、短いものでも勝つ。どんな武器でも勝ちうるという精神、これが二刀(二天)一流の道である。
08 : 兵法の利という事 「兵法二の字の利を知事」
それぞれ道において、儒者・仏者・数寄者(茶匠)・礼法者・乱舞者(舞踏家)の道があるが、これらは武士の道ではない。武士の道ではないとはいえ、道を広く知れば、どんなことにでも応用できるものである。どの道であれ、世の中において、自分のそれぞれの道をよくみがくこと、これが肝要である。
09 : 武器を使い分ける 「兵法に武具の利を知と云事」
戦いの場の状況に応じて、どんな武器でもそれぞれに使い道がある。太刀には太刀の利点がある。その他の武器にも、それぞれ利点がある。武蔵には刀と言う武器にこだわりがない。様々な武器をよく知れと言う。その理由は「勝つ」ことが一番の目標だからである。
10 : 拍子という事 「兵法の拍子の事」
何事についても、拍子 (リズム、テンポ) がある。とくに兵法ではリズムが大切であり、これは鍛錬なしには会得しえないものである。まず、合う拍子を知って、合わない拍子をわきまえ、大きい小さい遲い速いの拍子の中にも、当る拍子を知り、間の拍子を知り、背く拍子を知ること、それが兵法の専である。この背く拍子をわきまえることができないようでは、兵法は確実なものにならない。戦いにあっては、敵それぞれの拍子を知り、敵の予期しない拍子をもって、空の拍子を知り、智恵の拍子から発して勝つのである。
人の境遇においても拍子はある。奉公に身を仕上げる拍子、反対に仕下げる拍子、筈 (はず) の合う拍子、はずの合わない拍子がある。人生の道それぞれについて、拍子の相違がある。そのようにどんなことでも、栄える拍子、衰える拍子がある。それをよくよく分別すべきである。
11 : 地之巻の後書 (地之巻 後書)
兵法を学ぶ上での掟を説明する。兵法を学ばんと思う者には、このようなことを心にかけて、兵法の道を鍛練すべきである。
第一、正しい道を思うこと 「よこしまになき事をおもふ所」
第二、道に沿う鍛錬をすること 「道の鍛錬する所」
第三、さまざまな武芸にふれること 「諸藝にさハる所」
第四、さまざまな職能を知ること 「諸職の道を知事」
第五、物事の得失を知ること 「物毎の損徳をわきまゆる事」
第六、さまざまなことを見分けること 「諸事目利をしおぼゆる事」
第七、目に見えないところを悟ること 「目にみヘぬ所をさとつて知事」
第八、ちょっとしたことにも気をつけること「わずかなる事にも気を付る事」
第九、役に立たないことはしないこと 「役に立ぬ事をせざる事」
この兵法の道においては、真っ直ぐなところを広く見立てることがなければ、兵法の達者とはなりがたい。朝に夕に修行することによって、自ずから広い心になってこの方法を会得できれば、たった一人でも、二十人、三十人の敵にも負けるものではない。兵法を忘れず、正しく一生懸命鍛錬すれば、まず手でも人に勝ち、見る目においても人に勝つことができる。鍛錬の結果、体が自由自在になれば、体でも人に勝ち、この道に心が慣れれば、心でも人に勝つことができる。兵法を学んでこの境地にたどりついた時は、すべてにおいて人に負けることはありえない。集団の兵法では、有能な人を仲間に持つことで勝り、多くの人数を使うことに勝り、わが身を正すことで勝ち、国を治めることでも勝ち、民を養うことでも勝ち、世の秩序を保つことができる。何事においても人に負けないことを知って、身を助け名誉を守ることこそ、兵法の道である。
【余話】
武蔵は「広く大局を見ることなくしては、兵法の達人となることはできない。」という。大きな所から小さい所を知り、浅いことから深いことへ至る、そのまっすぐな道を、朝に夕に、たゆみなく実践することによって、自然と心が広くなり、集団的あるいは個人的な兵法として、あらゆる面で勝つことができるという。その極意を初心者にも理解できる普遍的な教本として、後世に伝えることを目的で書き表したのが、地水火風空の五巻である。
武蔵が生きた戦国時代は「個の時代」であった。個人として、自力で、絶対自力で、自分自身を守り、生き残らなければなければならなかった。21世紀も同様に「個の時代」である。その意味で、「強い個の持ち主」であった武蔵に学ぶことは多い。
「兵法の道」を究めれば、あらゆる面で勝つことができるという。同様に、高い志と広い視野を持って、たゆみなく実践することによって、「P2Mの道」を究めれば、あらゆる面で価値を生むことにも通じるだろう。
「いづれも、人間におゐて、我道々を能ミがく事、肝要也。」 (地之巻)
(どの道であれ、世の中において、自分のそれぞれの道をよくみがくこと、これが肝要である。)