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日本的共創マネジメント065:「サムライPM」〜武道と士道の系譜 (その1)~

武道と士道の系譜 (その1)

1.武士道の萌芽
 武士が登場した平安時代中期から戦国時代(安土・桃山時代)までは、「武士道」という言葉はなく、「兵(つはもの)の道」「武者の習い」「弓矢とる身の習い」「弓矢の道」あるいは「弓馬の道」などが使われていた。(「今昔物語集」「平家物語」等)

武道と士道の系譜

武道と士道の系譜この時代は戦闘を生業(なりわい)とする「武士」と呼ばれる階級が存在し、戦闘が常に身近な現実としてあった。従ってこれらの言葉は、武士らしい能力や習慣ないしは生き方全般に関わる言葉としてであって、特に倫理・道徳を意味したわけではない。
 武士らしい生き方、武士としての「道」が意識されるようになるのは、南北朝から室町時代にかけてであると言われる。戦闘の専門家として武士の生き方が確立するにつれて、おのずから武士らしい生き方というものが形成され、それが武士たちに意識されるようになると、倫理や道徳に関連した「兵(つはもの)の道」的なものも増加してくる。
武士としての「道」を意識的に追求した初めてのものとして、室町時代の「義貞軍記」(新田義貞、1330年代)がある。その内容は、勝つことを最高名誉とし、そのためには命を惜しむな、手段を選ぶなと教える「道」であった。公家の「文」(詩歌管弦)に対して、「武」(弓馬合戦)の道を対置し、「当道には武をもって基とす。弓馬合戦の道、是なり」とある。「当道」とは、武士の「道」、武の「道」であり、つまりは「武士道」「武道」の萌芽であると見なされる。

2.武道としての武士道
「武士道」という言葉が表れたのは江戸時代の「甲陽軍鑑」からと言われる。
① 高坂正信「甲陽軍鑑」(1615)
 「武士道」という言葉がはじめて記されたといわれる「甲陽軍鑑」は、戦国時代の武田信玄(1521-73)、勝頼(1546-82)二代を中心とした、甲斐国(山梨県)の武士社会をめぐる歴史書である。当時の戦のいきさつやありさまをはじめ、領土経営にかかわる事項、武将としてのあるべき姿などが、説話や伝承、記録文書に基づいて語られている。その全二十巻・五十九品の中に、「武士道」という言葉が三十数回表れる。
 高坂昌信の口述を書き継いだものとされるが、高坂弾正忠昌信(こうさかだんじょうまさのぶ)は、常勝無敵・甲州軍団といわれた「武田二十四将」の一人で、信玄、勝頼父子の側近くに仕えた代表的な知将といわれる。
「甲陽軍鑑」には武田家興亡の歴史をはじめ武田流と呼ばれる軍学の理論、兵制、軍団の編成や構成、兵器の解説、さらに訴訟などが盛り込まれている。徳川時代、武家の軍事教科書として広く愛読された。その中で武士道という言葉が出てくる箇所とその意味会いを抜粋すると、下記のようなものがある。
・「時として町人が武士めいた姿をとったとしても商人の心根は変わらないもので、いざ戦という時になると、財産を失いまいと、後方へ退いてしまって武士道の役にはまるで立たない・・・」
→武士道とは、利得をはなれ勇猛果敢に前線に出て敵と戦うような振る舞いを指している。つまり、戦場における槍働き、勇猛果敢な働きが武士道である。
・「武士道の役に立つ者を、米銭を取り扱う勘定奉行や材木奉行、あるいは山林の奉行といった軍事に関係ない役職に任命するというのは、人材の損失になる・・・」
→戦場における槍働きと、戦場では役に立たない腰抜け侍の行財政の役人という対比がなされている。武士道とは、戦場における活躍ぶりそのものを指している。
・「虚飾を用いてうわべを取り繕うことは女性の振る舞いに等しく武士道の役に立たない・・・」
→武士道とは、男性的な猛々しい振る舞いを指している。
・「陣中において軍法をはじめとする善悪の規範を知らない人間は、武士道をおろそかにして、粗暴な行動ばかりを取り、敵をいかにして打倒するかという思慮がまったく無くて不心掛けである・・・」
→武士道は陣中軍法などを厳正に実践するような、規律正しい行動を意味している。
・「頭を他人にたたかれて、ただじっとこらえてばかりいて、何ら反撃の行動をとらないような気概の無い人間では武士道はすたれる。武士道がすたれば、とても主君のために役に立つ働きはできぬ・・・」
→ここでも武士道は、戦闘者たる武士にふさわしいような気概を求めている。

 このように「甲陽軍鑑」における「武士道」の概念は、武道に関する事柄が主たる内容である。戦陣における勇敢なありさま、またはそのような戦陣において役立つような武人の立ち居振る舞いを問題とする。「武士道」はまた「男道」とか「侍道」と呼ばれていることから、まさしく戦場における未練・卑怯・表裏なき勇猛の働きを理想とする規範として登場してきた。「勇敢さ」や「男らしさ」などに強く関わり、貴族的な上品さに対立する概念ともいえる。良く言えば質実剛健、現場主義、野性的で力強いが、悪く言えば粗暴で野蛮な、荒々しい精神ともいえる。武道としての武士道と呼ぶ所以である。
草創期の活気あふれる、人間臭いプロジェクトマネジメントを彷彿させる。


#noteまとめ2020



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