日本的共創マネジメント080:「サムライPM」〜宮本武蔵 『五輪書』 (その10)~
⑤ -2. 水之巻 : (その 6)
2.武道としての武士道 (015)
⑤ 宮本武蔵 『五輪書』 (1645) (その 10)
⑤ -2. 水之巻 : (その 6)
今号では、下記の項目について述べる。
28 : 体当たり 《身のあたりと云事》
29 : 三つの受け 《三つのうけの事》
30 : 顔を刺す 《面をさすと云事》
31 : 胸を刺す 《心をさすと云事》
32 : 喝咄 《かつとつと云事》
33 : 張り受け 《はりうけと云事》
34 : 多数と戦う 《多敵の位の事》
28 : 体当たり 《身のあたりと云事》
体当たり《身のあたり》とは、敵のそば《きは》へ入り込ん《入込》で、体で敵にぶつかるということである。少し顔をそむけ、敵の胸にぶつかるのである。我が身をできるだけ強固な感じにして、いきなりという調子《いきあい拍子》で、弾じけるような感じで入ること。この入り方を習得できれば、敵が二間も三間もぶっ飛ぶ《はけのく》ほど強いものである。敵が死んでしまうほどの衝撃でぶつかるのである。よくよく鍛練あるべし。
【解説】
体ごと相手に身体をぶちかますという入身《入込》の一種である。反則行為のようにも思えるが、戦場では何でもあり、如何に倒すかであり、体当りでも何でも相手を倒すことが優先される。身体も武器の一つであり、わが肉体こそ凶器というパワー戦法である。この体当たりは、《二間(3.6m)も三間(5.4m)もはけのく程》という強烈なものである。当時の日本人男性の身長が160cm程度のとき、武蔵の身長は六尺(182cm)もあった。
29 : 三つの受け 《三つのうけの事》
三つの受けというのは、敵へ入り込《入込》む時、敵が打ち出す太刀を受ける方法である。第一に、自分の太刀で敵の目を突くようにして《我太刀にて、敵の目をつく様にして》、敵の太刀を右の方向へ流して受ける。第二に、突き受けといって、敵の右の目を突くようにして、相手の首をはさむ感じで、突きかけて受ける《くびをはさむ心に、つきかけてうくる》。第三に、敵が打ってくる時、こちらが短い太刀で入るばあい、敵の打ちを受ける太刀の方はさしてかまわず、左の手で敵の顔面を突くようにして《我左の手にて、敵のつらをつく様にして》入り込む。以上が、三つの受けである。どの場合も左の手を握って、拳で敵の顔面を突く《こぶしにてつらをつく》ように思えばいい。よくよく鍛練あるべし。
【解説】
相手の打ってくる太刀を、どう受けるか、その受けかたである。三つの受けも入身《入込》の一種であるが、武蔵流の受けは、たんなる受けではない。能動的な受けというよりも攻撃的な受けである。受けといいながら、自分の太刀(手)は、相手の目や顔に向かっている。この受けはすべて二刀だからできるものであり、いずれも左手の太刀が積極的に動いている。
30 : 顔を刺す 《面をさすと云事》
顔《面(おもて)》を刺すというのは、敵と接近戦《太刀相》になって、敵の太刀の合間、我太刀の合間に、敵の顔を我が太刀先で突く、と常に思うこと、そこが肝心である。敵の顔を突く心持があれば、敵の顔も身体ものけぞる《のる》ものである。敵をのけぞらせるようにすれば、いろいろと勝機《勝所の利》がある。よくよく工夫すべし。戦いの最中、敵に身をのけぞる気持が生じれば、もはや勝てるのである。従って、顔を刺すということを忘れてはならない。兵法を稽古するなかで、この戦法《利》を鍛練すべきである。
【解説】
これは前条「三つの受け」と同様、接近戦で敵と打合っている合間合間で、敵の顔を突いてやれ、ということである。敵の顔を突くことで、敵の身をのけぞらせ、勝機を得るのである。
31 : 胸を刺す 《心をさすと云事》
胸《心》をさすというのは、戦いの最中、上が詰まり脇も詰まっている場所などで、斬ることがどうしてもできない時、敵を突くことである。敵が打ちかかる太刀を外す要点《心》は、我が太刀の棟《むね》を真っ直ぐ敵に見せて、太刀先が曲がらない《ゆがまざる》ように手前に引いて、敵の胸を突くことである。自分が疲れきってしまった《草臥たる》時、あるいはまた、刀が切れなくなった時などに、これをもっぱら使うというのが趣旨である。
【解説】
これも「突く」の教えである。屋内など狭い場所で戦う時、疲れきった時、刀が切れなくなった時など、窮地に陥った時の最後の手段が、敵の胸を狙っての突きである。戦場では鎧を装着しているので、鎧を刺し通すように、真っ直ぐに突かなければならない。そのためには、相手に太刀の棟が見える恰好で水平に真っ直ぐに突けと教える。
32 : 喝咄 《かつとつと云事》
喝咄(かっとつ)というのは、こちらが打ちかけて敵を追込んだ時、敵が再び打ち返すような場合、下から敵を突くように突き上げて、返す刀《かへしに》で打つことである。早い拍子で喝咄と打つ。喝(かつ)と突き上げ、咄(とつ)と打つ呼吸である。この拍子は、敵と打ち合いの最中には、いつでも使える《専出合》ことである。喝咄のやり方は、太刀の切先を突き上げる《切先あぐる》感じで、敵を突くと思い、突き上げると同時に打つ、その拍子をよく稽古して、吟味しておくことである。
【解説】
下から突き上げて、敵をのけぞらせ、返す刀で上から打つ、という連続攻撃である。この連続技を早い調子で行うことを、喝咄(かっとつ)と表現する。「喝」「咄」も言葉で表現できないような、瞬間的にどなりつける、叱りつける、というときの発声である。攻撃の拍子を、喝咄という心持で素早く打て、という教えである。
33 : 張り受け 《はりうけと云事》
張り受けというのは、敵と打ち合う時、「トッたん、トッたん《とたん/\》」という単調な拍子になる場合、敵の打ってくるところを、我が太刀で叩い《はり合せ》て打つのである。叩く感じは、さほどきつく張るのでもなく、また受けるのでもない。敵の打ちかかる太刀に応じて、敵の打つ太刀を張って、張るより早く敵を打つことである。張ることで先手を取り、打つことで先手を取る、そこが肝要である。張る拍子がよく合えば、敵がどれほど強く打っても、こちらに少し張る気持があれば、太刀先が落ちることはない。よくこれを習得して、吟味あるべし。
【解説】
「喝咄」が突きあげて打つという攻撃リズムを教えるのに対し、「張り受け」とは、相手の拍子に合わせ、吸収するように受け即打ちに移るという、受けの拍子を教える。相手と拍子が合いすぎ、「トッたん、トッたん《とたん/\》」という単調な拍子に陥った場合に、その膠着状態を破って、戦闘の主導権をとる目的で張り受けする。拍子をずらしたり、外したりする、破調戦法の教えである。
34 : 多数と戦う 《多敵の位の事》
多数と戦う《多敵(たてき)の位》というのは、一人で多勢と戦う時のことである。わが刀と脇差を抜いて、左右に広く太刀を拡げるようにして搆える。敵が四方からかかってきても、敵を一方へ追回すような心持である。敵がかってくる出方《位》、その前後を見分けて、先へ進む者に素早く行き合い、全体《大》に目をつけて、敵が打ち出してくるところを捉えて、右の太刀も左の太刀も同時に交叉してふりちがへて《一度に振ちがへて》、先の《行く》太刀で前の敵を切り、返す《戻る》太刀で脇に進む敵を切るのである。 太刀を振りちがえて待つのはよくない。素早く両脇の態勢《両脇の位》に搆え、敵の出てくるところを、強く斬り込み、追い崩して《おつくづして》、そのまま、敵の出てくる方へ斬りかかり、振り崩すのである。できるだけ、敵を一列《ひとへ》に魚つなぎにしてしまうように追いやって、敵が一列に重なったと見れば、間をあけず《すかさず》強く横に払い切り込むべし。敵と接近した《あひこむ》ところで、しつこく敵を追い廻す《ひたとおひまはし》のでは、捗(はか)が行かない。また逆に、敵の出てくる方、出てくる方と思っていると、待つ心があって、これも捗が行かない。敵の拍子をうけて、その崩れる部分を見分けて撃破するのである。ときおり多数集め練習して、追込むのに慣れて、その感じをつかめば、一人の敵でも、十人二十人の敵でも、平気だということになる。よく稽古して、吟味しておくべきである。
【解説】
一人で多数を相手に戦う、その戦法の要諦である。《両脇の位》というのは、二刀を両脇に広げた搆であり、五方の搆にはない。「第六の搆」というものである。五方の搆は、一人を相手にして戦い斬り合う時のもので、第六の搆は、一人で多数と戦うためのものである。多敵を相手の戦法のポイントは、敵を一列に《魚つなぎ》にすることである。四方から包囲してかかる敵でも、それを線状にしてしまえば、一人ずつ片付けることが可能になる。1対多数では相手の手を待つよりも、自分から前に出て切り崩して攻めた方が、圧倒的に優位という戦場の実戦的空気を伝える表現である。
【余話】 禅と武士道
一人で多数を相手にする《多敵の戦闘》については、武蔵の《魚つなぎ》に対して、禅師沢庵は《一人にも心をとゞめず》(不動智神妙録)という観念的な言葉を使う。武蔵の表現の方が具体的で分かり易い。現場感覚に基づく兵法固有の言語を探っているといえる。PM論においても然りで、観念的な言葉では、現場を動かすことはできない。武蔵と沢庵の結びつきは、吉川英治の『宮本武蔵』では、武蔵の師の役割であるが、それは創作であり、史実において武蔵と沢庵の間に接触の記録は無いそうである。
「天台は宮家、真言は公卿、禅は武家、浄土は平民」という言葉がある。天台と真言は洗練された階級に、浄土は平民に受け入れられ、禅は武士道と結びついた。禅は、意志の宗教であり、一度決定した以上は、振り返らぬことを教える宗教である。また生と死とを無差別に取り扱うことから、戦闘に命を掛ける武士精神に訴える宗教である。
禅は知識より直感を重んじ、直感の方が真理に到達する道であるとする。また禅の修養では、直裁(自ら裁決すること)・自恃(自分自身をたのみとすること)・克己(おのれにかつこと)が要求される。個人的限界を打破する精神を鼓吹し、現状打破を強いる男性的精神といえる。栄西(1141~1215)によってもたらされた禅は、鎌倉時代に武士階級と結びつき、日本人の一般文化生活に様々な影響を与えてきた。当然、武蔵も多くの影響を受けているはずである。その名残が「五輪書」の端々に伺うことができる。
「禅と武士道」については、後日、章を改めて論じたい。