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日本的共創マネジメント012:「PMの日本化」~和魂諸才~

「PMの日本化」~和魂諸才~: 

 日本の文化史で特徴的な和魂諸才(和魂漢才・和魂洋才・和魂米才)は、日本人が生存にかかわる海外からの強いインパクトを受け、アイデンティティが揺らいだときに創られ、自律性を回復するのに役立ったといわれます。
和魂とは「大和ごころ」のことであり、日本人が持つ、優しく和らいだ心情から生まれる、実生活上の知恵を指します。外来の学問が入ってくる以前から、日本民族が培った固有の精神「日本人の心」として存在していたということです。
 本居宣長は和魂の真髄を「物のあはれ」として捉え、「物のあはれ」を知るとは、物にじかに触れることによって、一挙にその物の心を、外側からではなく内側から、つかむこと、それこそが一切の事物の唯一の正しい認識方法だとしました。物の事にふれて心が動く、素直で純粋な感動を、学問(儒教、仏教)で“武装”した生き方より望ましい、どちらかといえば学問的知識より実践から学んだ知恵を尊ぶ考え方です。学問的な知識を実践的な知恵に昇華するにはそれなりの時間が必要です。終わりのないプロセス遂行を通して、知識を咀嚼反芻し、実践改善を重ね、結果としての新たな知恵認識を獲得するという方法は和魂の本質と言えます。
 和魂諸才(Japanese Spirit and Foreign Knowledge)とは、日本固有の精神を失うことなく、外来の学問を身に付けることを意味します。古くは平安時代に漢才(Chinese Knowledge)を導入し、仮名文化や武士道精神へと昇華させました。明治維新では洋才(Western Knowledge)を導入し、日本の近代化を成し遂げました。直近では米才(American Knowledge)を導入し、戦後復興を図るとともに民主主義とグローバリズムに対応してきました。
 海外からの先進的な学問やシステムなどの導入に際して、そのまま受け入れるのではなく、他国の思想のエキスを栄養にし、自国に溜まった不用な滓(カス)を棄てて、取捨選択しながらインテグレーションを繰り返し、模倣から脱して独自のものを作り上げ、「日本化」してきたという歴史です。そして今まさに、新たな海外からの強いインパクトを受け、アイデンティティが揺らいだ状況にあります。このようなときこそ、「和魂(Japanese Spirit)」を研ぎ澄まして、新たな環境に適応するための「諸才(Global Knowledge)」を取り込み、果敢に日本化し、再度世界に発信すべきだと思います。

 プロジェクトマネジメント知識体系が日本に入ってきて30年近くになります。それを日本ではプログラムマネジメントへ拡張し、「P2M (Project & Program Management)」として発信しています。この間、多くの分野で外来知識(主に米国PMBOK)を反芻咀嚼し、実践改善を重ねてきましたので、これから本格的な「PMの日本化」のフェーズに入っていくと考えられます。カスタマイズ(個別化)し、テーラーリング(仕立て直し)して、うまく日本人の心に合わせて昇華する試みが必要であるという趣旨です。

 「日本化」の方法としましては、歴史に学ぶべきものがあります。仮名(ひらがな)文化の発明です。中国から漢字を輸入しましたが、それを咀嚼して大和風の柔らかい仮名(ひらがな)を発明しました。しかし「仮名」が発明されても「真名(漢字)」は捨てませんでした。「訓読み」が可能になっても尚、「音読み」を採用し続け、つまり音訓両用で更に高みの文化を創造してきたという歴史です。このことは、神道と仏教共存の「神仏習合」も、明治近代化の「禅から哲学へ」の接近も同じ文脈です。
 それは「デュアルスタンダード(重層標準)」(松岡正剛)と表現できるものです。「ダブルスタンダード(並立標準)」という言葉もありますが、意味合いが異なります。「ダブル」というと、並び立つ二者が二重の状態になってはいるものの、その二者の間に相互に作用するような関係が認められません。「デュアル」はどうかというと、二者が相互作用しあっている、インタラクティブな関係にあるということです。二つのことを分けて別々に使うのではなくて、ふたつを時宜と目的と感覚によって使い分けたのです。武蔵の二刀流のようなイメージです。
 この考え方に照らすと、現在の日本のPMはダブルスタンダードの状態でしょうか、デュアルスタンダードでしょうか? 実態は未だ前者のように思います。「欧米的なものを導入したが、消化不良である!」、逆に「日本的な良さを、見失ってしまった!」、更に「中途半端な取り組みで、お茶を濁している!」という状態ではないでしょうか? したがって、更に「日本化」していくためには、真名(漢字)に対して仮名(ひらがな)を発明したように、日本の文化に深く根差し、使いやすく、日本の強みを発現できるものに進化させる必要があると思います。「守破離」という表現を借りるなら、「守」の状態から、「破」または「離」へと脱皮させていくという主旨です。   (2009年11月、2010年3月「PMAJオンラインジャーナル」投稿)

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