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日本的共創マネジメント068:「サムライPM」〜武道と士道の系譜 (豊臣秀吉)~

武道と士道の系譜 (その4)

2.武道としての武士道
③ 小瀬甫庵『太閤記』(1616 頃)

武道と士道の系譜(2)

『太閤記』(たいこうき)は、太閤豊臣秀吉の伝記である。  秀吉伝記には、大村由己『天正記』、太田牛一『太閤軍記』、川角三郎右衛門『川角太閤記』などあるが、その中で最も著名なものが小瀬甫庵による『甫庵太閤記』である。秀吉伝記の底本とされることも多い。しかし著者独自の史観やそれに基づく史料の解釈、改変も多く、歴史史料としては疑問視される面もある。秀吉一代の事蹟を自由に記述した、秀吉とその時代に関する史論というものであろう。小瀬 甫庵(おぜ ほあん、1564年- 1640年)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての儒学者で、織田家臣の池田恒興に仕えた。恒興の死後は、豊臣秀次、宇喜多秀家、堀尾吉晴、前田利常らに仕えた。『太閤記』が著された江戸時代は、太閤記に影響された記録やそれを主題にした文芸作品が盛んに出現した。それは民衆の中で豊太閤が親しみを持って迎えられたからである。何らの家格門閥に頼らず、己の実力のみで、天下人まで上り詰めた秀吉に、共感と憧れを持って、広く人気を集めた結果に他ならない。

 戦国武将の多くは生まれながらにして棟梁(宗家)であり、トップに君臨する環境は所与のものであった。対して秀吉の場合は、尾張中村の農民の子として生まれ、織田信長に仕官し、馬番、草履取りから出世争いを勝ち抜いて這い上がり、天下統一まで異例の出世を果たした。織田家という組織の中で「足軽→侍頭→城持ち→天下人」と上りつめてゆくさまは、P2M的には、サラリーマンとして「PMC→PMS→PMR→TOP」というキャリアパスで上位を目指していくさまにも通ずるものがある。

 「ピーターの法則 (英: Peter Principle、1969年)」というものがある。
組織構成員の能力と地位に関する法則であるが、
1. 能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。
      すると有能な平(ひら)構成員も無能な中間管理職になる。
2. 時が経つにつれて人間はみな出世していく。
  無能な平構成員はそのまま平構成員の地位に落ち着き、有能な平構成員
  は無能な中間管理職の地位に落ち着く。
  その結果、各階層は無能な人間で埋め尽くされる。
3. 組織の仕事は、まだ出世の余地のある、無能レベルに達していない人
  間によって遂行される。 というものである。

この法則に照らすと、秀吉は「天下人」になるまでの能力を持っていたことになる。しかし「天下人」としての無能さもさらけ出しながら一生を終えた。淀殿や秀頼への寵愛、数少ない身内や忠臣を追放したり冷遇して中枢から排除したり、朝鮮出兵などの無謀により、豊臣家を秀吉一代で滅亡させた。このように無能な人間で埋め尽くされ、硬直化した組織は、現在も至る所に散見される。それぞれの地位で求められる能力は異なる。それを乗り越えるには、自らの無能レベルに安住しないで、切磋琢磨するしかない。自分の能力レベルは「PMC→PMS→PMR→TOP」のどこにあるかを意識し、そのレベルを打破すべく、自らを革新することが求められる。P2Mはこの能力レベルに耐えられるよう設計されているで自己革新のツールとして期待される。

【余話 ③】 豊臣秀吉「名言」
「人たらし」と言われるほどの人間好きで、人に好かれることで多くの難関を乗り越え天下人になった生き方には、混沌とした時代を生き抜く現代人にも示唆に富むメッセージを与えてくれる。その中から、P2M(プログラム&プロジェクトマネジメント)にも関連しそうなものを掲げると、下記のようなものがある。

豊臣秀吉の花押

・ 「負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと、
  人には勝つと言い聞かすべし」
・ 「財産を貯めこむのは、良い人材を牢に押し込むようなものだ」
・ 「世の中が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う」
・ 「人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない」
・ 「いつも前に出ることがよい、そして戦いの時でも先駆けるのだ」
・ 「側に置いておそろしい奴は、遠くに飛ばす」
・ 「信長公は勇将なり、良将にあらず」
・ 「降参した者を殺してはならない」
・ 「主人は無理を言うなる者と知れ」
・ 「家康は愚か者だ。 が、油断のならない愚か者だ」
・ 「主従や友達の間が不和になるのは、我儘が原因だ」
・ 「人と物争うべからず、人に心を許すべからず」
・ 「障子を開けてみよ、外は広いぞ」
・ 「何事もつくづくと思いだすべきではない」
・ 「戦は六、七分の勝ちを十分とする」
・ 「戦わずして勝ちを得るのは、良将の成すところである」
・ 「勇ましく人から恐れられるような人物は、優れた武将とは言えない。
  優れた武将とは、思いやりがあり人から慕われる人物だ」
・ 「我が身の目付けを頼み、異見を承わり、我が身の善悪を聞き、
  万事に心を付ける。これこそが将たる者、第一の要務である」
・ 「猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの
  我慢があったればこそ」

・ 「およそ主人たるもの、1年使ひ見て、役に立たぬときは暇を遣はし、
  家来としては、三年勤めて悪ししと知らば、暇をとること、法なり」
→良い主人であるかどうかを見極めるには、1年もあれば十分だが、
 良い部下であるかどうかを見極めるには3年かかる

・ 「それは上々、一段の吉日にござる。信長公のために討ち死にするは
  覚悟のうえ、二度と生きては帰ろうとは思わぬ」
→明智光秀を打つ山崎合戦に際し、その日は二度と帰らぬ悪日だと僧が
 注進するも、秀吉は聞かず、笑いながらこう述べた。

・ 「返す返す秀頼のこと 頼み申し候 五人の衆 頼み申し候頼み申し候」
→年老いた秀吉が自分の死期を悟り、幼い息子・秀頼のことを五大老(徳川
 家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜田秀家)に何度も頼んだとさ
 れる。

・ 「露と落ち、露と消えにし、わが身かな、難波のことも、夢のまた夢」
→辞世の句。絢爛豪華な大阪城を築き天下を統一した自分も、朝露のように生まれ、そして朝露のように儚く死んでいくという無常を詠んだ一句。

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