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「飽きやすい、長続きしない。」三日坊主の破片をもう一度手に取ってみる

あなたは何事も根気強く続けられる方ですか?

面白そうと興味を持って
道具もそれなりに揃えて
始めてみるものの
自然に遠のく。

飽きやすい、長続きしない
どうやったら続くのかな
と思い悩んでいませんか

飽きっぽい、長続きしない性分と
どうつきあっていくと日常が充実していくかをお話しします。

部長の年始の挨拶「三日坊主でもいいんです。」

私が入社2年目のお正月休み明け。
全社員をフロアに集めて社長、役員、部長と
年始の挨拶を聞く会に参加したときのことです。

当時の私は偉い人のありがたいお話を聞く姿勢が
ほとんどできていませんでした。

「早く終わらないかなぁ」と
内心思っていました。

社長、役員そんな順で挨拶をしていったと記憶しています。
これからの会社の行方、従業員に期待すること
そんなことを語られていました。

当時の私にとって偉い人は、「遠い人」でした。

そして、自分の所属部署の部長がでてきて、
こんな挨拶をしました。

皆さん年始に目標を立てたり抱負を考えたりするでしょう。
でも何か月かすればそんな気持ちも冷めて続かないものです。
私は皆さんよりもそれなりに歳を重ねてますし、
その数だけ、年始に自分の根気のなさを反省しています。

「三日坊主で飽きっぽい自分」

でもねよく考えてください。

何かやろうと思って、一度やってみた。
何かが原因で続かなかっただけ。

三日坊主と言いますが、1度はやったことにフォーカスすれば
行動を起こしたことは事実。

続かなかった自分を責めるのではなく
行動した自分を認めて
次に新しい行動をしましょう。

新人の頃の私は、「三日坊主」
と言う言葉を自分に当てはめていたし、
飽きっぽい自分に弱さを感じていました。

一緒にテニスを始めた同僚。忙しいからすぐやめてしまいました。
同期の退職。入ってすぐなのにもう辞めていくんだ…と思っていました。

何事も石ノ上にも3年。長く続けて何かなし得るもの。
長く続けた人が先輩だし、尊敬もされる。
そう考えていました。

この部長が言った事は
私の当たり前を崩す考え方。

衝撃を受けたのを今でも覚えています。

継続は力になるけど、途中でやめた破片の数の方が多いし、意味があるはず。

何かを続ける。
これはとても意味があることです。

諦めずに続けたことで大きなもの、かけがえのないものを得る。
仕事やプライベートで感動を経験する時
それまでのプロセスがエッセンスとなり、
こみ上げてくるものが生まれます。

その逆はどうでしょうか。

続かなかったとき、
人はそのことから遠ざかります。
まず心がそのことに向かなくなる。
興味がだんだんと薄れていく。
罪悪感を感じて様々言い訳も湧いてくる。
当然、そこへ出向いて行くことなどありません。

ですがよく考えてください。
私が若手の時に出会った言葉
一日でもやったことを受け止めたなら
続かなくてもいいのです。

いつの間にかフェードアウトしてしまったことに
気が付いたら、そのことは古い記憶として受け止めて

新しい行動をして一日坊主で終わったことを
上書きしてしまえば良いのです。

部長の言葉に出会って20年余り、
「三日坊主でもいいんだよ。一日やったんだからそれでを認めて」
この考えが常に頭のどこかにあったから、山谷ありながらも何度もチャレンジしてきたことが割とある気がしています。

一日坊主で終わったことを認めたくない自分がいるのかもしれません。

令和の時代、定年まで働くことが充実した人生につながるつながるわけでもない。人の幸せは測れないものです。

三日坊主で終わってしまったことを責めたり
周りの人に当てはめるのもおかしな話です。

自分ではどうにもできない理由で一日坊主で終わることもあるでしょう。

いちど距離が生まれたことも
そこにあなたの気持ちが残っているのであれば
改めて辞めたところからスタートもできる時代です。

私が子供と一緒に書道教室に行き始めたのも
まさに三日坊主の続き。

新しい行動で古い記憶を上がいて
今まさに道の途中です。

仕事でも趣味でも人間関係でも
ダイエットでも貯金でも。

あー全然、続かないなぁ。

そう気づいた時がリスタートの時です。

その時代に合った、続けられる方法もあるはずです。
雑誌や動画配信で触れることができます。

いつでも新しく始められます。

やり続けなければ意味がないと言う考え方から
続けることよりも、自分らしく楽しんで味わって体験していく
と言う部分に価値観を置いがほうが

結果、何十年続いたと言う数字に積みあがっていくんじゃないかなと言う気がしています。