太田光と統一教会
爆笑問題・太田光氏が毎週のように「統一教会問題」で話題になっている。
安倍元首相の暗殺以降、霊感商法が再度クローズアップされ、社会問題化している統一教会問題。その中で太田光は一貫して、現在の加熱する統一教会報道に危機感を示している。山上容疑者の犯罪行為がトリガーとなり、彼が憎んでいた統一教会に対する批判的な報道や言説が殺到し、制裁が加えられているからだ。直接的ではないにしろ、政界で強大な力を誇っていた安倍元首相を殺害することで山上容疑者は自身の野望を達成した訳だ。太田としては、このような状況が結果的に山上の目論見通りとなっているのではないかとの懸念から発言しているのだろう。
筆者自身も太田の意見には一理あると思っている。おそらく山上容疑者はここまでの社会的なムーブメントを狙って安倍元首相暗殺を行ったわけではないと個人的には考えている。ただ結果として得られた状況を分析すると、仮にある事象に注目を集めたいと考える者がいたとして、本件同様の要人に対する暴力行為を用いれば、さほど大きなリソースを払わずともかなりの社会的な注目が得られるということを証明した。そしてその注目は今や暴力行為から統一教会へと移り変わっている。
とは言うものの山上容疑者の行為を無力化するべく統一教会への批判や追及を弱めることはあってはならない。そこで我々ができることは極めて民主的かつ法的な手続きによって粛々と統一教会を追い込むことしかない。ここでの手続きとは、国民が民主主義の根幹である選挙で選んだ議員による立法、及び行政的な行為を意味する。これこそが山上容疑者が行った暴力行為に対し抗う手段だ。
統一教会問題は既に政治、信教の自由等々を含む問題へ展開を移したがそんな中で太田の発言は当初から一貫していることは間違いない。彼なりの信念のもとでの発言だろうし、事件が事件だっただけに慎重論を唱え、世間や報道の加熱ぶりに落ち着けと忠告するのは理解ができる。
ただどうやら彼の意見に耳を傾けられない輩がいるようで、特に今回の問題を一層重く捉えているリベラル勢力は太田への批判を強めている。中には太田を保守側・統一教会側の人間だと断定しているものもある。直近では太田が保守色の強い月刊Hanadaに連載していることに言及し、保守勢力雑誌での連載があるから、今回の問題に強く出られないのではとの観測もある。
ここまで来ると、リベラル勢力もネット右翼と同じように思えてならない。保守勢力の中でも民族差別的発言が目立つネット右翼は、自身らの意に沿わない行動や発言を見せる者に対して、反日だと決め付け、断罪する傾向にある。多様性を標榜するリベラルがこれと同じ行為に興じているのだからどうしようもない。
そもそも太田のこれまでの発言を見ていれば、保守勢力であるとの考えは見当違いも甚だしく、昨年の衆議院選挙の選挙特番においても「立憲民主に投票した」旨の発言もある。
一時期頻発した無敵の人関連の事件が発生した際は、犯人の生い立ち等々に言及し、自身の学生時代の経験と照らし合わせ、「自分がそうなっていた可能性」を語るなど、思慮深い発言もあった。ここまでの発言だけを見ていても彼が保守じゃないことは明らかだ。
また今回の「統一教会問題」での一連の発言についても十分理解ができる範疇だと感じる。正直、あの程度の発言で、統一教会への擁護だとするには根拠が弱すぎる。
自身らの考えに沿わない意見については、これまでの太田の思想的な文脈を無視して、いまの発言にだけクローズアップし、瞬間的な批判を繰り返す。10年代前半より、一般にも浸透したSNSの弊害とも言うべきこの流れ。「今」を重要視し、過去と未来を無視するリベラルには正直、あきれてしまう。多様な考え、多様な文脈を受け入れ、議論していくはずのリベラル。今や、その根本的な理念は失われ、反右翼・反保守に成り下がっている。そんな様子が太田への批判から伺えた。