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出来上がっていた夫婦の溝
ありがちな話ですが、私が自分のことに必死になっている間に夫婦の間に溝ができていました。
自分に必死になるあまり、夫のことを蔑ろにしていた。
そのつもりはなくても。
私は一生懸命やっていました。
だから、私が不満に思う事があっても、夫が不満に思うことなんてないと思っていました。
今思えば傲慢ですね。
夫から
「別居したい」
と切り出されたのは、汚部屋に苦しみ出した6年後ぐらいでしょうか。
青天の霹靂とはまさにこの事!!
え、あなたが言うの?!
が最初に浮かんだ言葉でした。言いませんでしたが(^_^;)
実は『離婚してもいい』と思っていたのです。
色々すれ違うこともあり、夫のルーズなところが気になってもいました。(自分のルーズさは棚に上げて!)
ワンオペ育児にはそんなに不満はありませんでしたが、家事全体には負担を感じていました。
私ばかりが大変だと思っていたので、私が一人家を出たら、子ども3人どう育てるんだろう。やってみたらいい。
みたいに思っていました。
でも、実際目の前に『別居』『離婚』がはっきりと現れた時、私は混乱しました。
本当に離婚したいの?
子どもを置いて?
というか、子どもの前から父か母のどちらかが居なくなる?
想像ができません。
私は夫がまだ好きなのか
これも分かりませんでした。
出て行った夫
行動力のある夫は、さっさと出て行きました。
最初の頃の夫はちょっとおかしかったです。
飲み潰れて道路で寝ていたり、多分女性の所にも行っていたと思います。
私のことも信用できなかったようで、LINEでかなり悪口を思い込みで言われました。
本当にこの頃がどん底。
自暴自棄になった夫は、借金をして新居に住み、遊び歩き、服を買い、好き勝手していました。
夫も若くして結婚したので、色々我慢もしていたのでしょう。
良いとは言いませんが、やってしまったことはそう思うしかありません。
子どもも不安定になりました。
学校を休みがちだったり、不安そうにしていたり。
「私が産まれたからパパはああなっちゃったの?」
なんて、全然関係ない小さな末娘までが自分を責める。
子どものことだけは悲しかった…。
うちだけは、私の子だけは幸せな子どもにしようと決めていたのに。
それでも生きていく
一度だけ、別居を言い出された時に私は家を出ました。
結局行くあてもなく、死にたいわけでもなく(ただ消えたかった)、実家で家族に話を聞いてもらいました。
本当は、もっと大暴れしたかった!!!
なんで私だけ全てを飲み込まないといけないのか。
聞き分けのいい女はなんて損なんだ!!!
私は本来そんな人間では無いはずだ!!!
理想を言えば、大暴れして、相手をねじ伏せて
ごめんね、僕が悪かったよ
と言って欲しかった。
私は、私の苦しみを分かって欲しかったのかもしれません。
それが分かれば、別居したいなんてセリフは出てくるはずない。
そんなふうに思っていたんです…。
これは、私の勝手なストーリーです。
でもそんな気持ちは心の奥に押し込んで、私は転職しました。
工場のパートではやっていけないので、これまたありがちな生保レディ。
その間、片付けの資格も取りました。ライフオーガナイザー®︎です。
まだ汚部屋でしたが、私は私のような人を助けたかった。
この思いは後に、それから見聞きする話から
すべての子ども達が幸せであるように、という思いと繋がり、
お母さんが幸せだったら子どもも幸せになれる
という考えに行き着きました。
次回『ついに汚部屋脱出へ!!』
お楽しみに♪