頑張り屋さんのあなたへ。本当の勇気は「弱さ」を認めること
2022年1月
当時22歳だった私の精神状態は、いよいよ限界を迎えていたようだ。
夜になると、涙で顔がぐしゃぐしゃになる。
胸がなんだかズキズキと痛くなる。
肩がゴリゴリで、マッサージに通わないとしんどくて、重くて、辛くて…。
そんな中、何かに癒しを求めて、久しぶりに自分の仕事に関する分野以外の本を手に取ってみた。
それが、ブレネー•ブラウンの『本当の勇気は「弱さ」を認めること』であった。
この本によって、私の人生観が大きく変わった。
「傷つかないように生きること」を、思い切ってやめてみませんか?と書かれた背表紙。
人は、大体10歳以降から、弱い自分を守るため、鎧や仮面をつけることを覚えていく。
「自信がない自分を悟られたくない。」
「弱い自分を認めたくないから、準備をたくさんして、完璧な自分を演じないと。」
「自分はどうやったら周りに馴染めるんだろう。」
そんな風に、本当の「ありのまま」の自分を無意識に隠して、本当の自分の気持ちを知ろうともしないまま、他人の目を気にしながら、上手に生きていく術を身につけていく。
しかし、沢山の鎧や仮面をつけたまま、弱い自分を守る生き方は、果たして真の喜びや、愛を感じることができるのかと、ブレネー•ブラウンは問う。
恥や弱さや悲しみや辛さや劣等感を感じないように生き、自分の感覚を麻痺させてしまっていては、勇気を出して競技場に立つことを辞め、人と関わる意欲を失っていってしまう。
理想の自分以外は認めたくない。理想の自分でなければ恥ずかしい。
そんな風に自分のありのままの姿を受け入れず、批判し続けていたら、豊かな人生は送れるであろうか。
まさにこの、自分を痛めつける行為を、これまでの私はしていたことに、ようやくハッと気付かされた。
私の人生は、完璧主義の鎧で塗り固められていた。
完璧な自分を追い求め、身をすり減らしながら努力することによって、他人から評価されるという深みにはまっていた。
何故ならば、それで今まで人から褒められていたからだ。
しかし、どんなにいつも頑張っても、できないところに目がいく自分。
なんで、あの人は私よりもお気楽なのに、あんなにも伸び伸びとできているんだ。
私はこんなにも努力したのに。と、いつもどこかで誰かをひがんでいた。
•完璧主義の本質は、賞賛の追求だ。
•健全な努力は「どうすれば向上できるか」と自分に目を向けるが、完璧主義は「人からどう思われるか」と他人に目を向ける。
•完璧主義は、守りの姿勢だ。完璧にやり、完璧なように見えれば、非難、批判、恥による痛みを最小限に抑え、あるいは回避できるという思い込みに過ぎない。身を守っているつもりでも、実は真の自分の姿を見られないように防いでいるにすぎない。
•完璧主義が自滅的なのは、そもそも完璧というものは存在しないし、絶対に手の届かない目標だからである。
•完璧主義は、他人からどう見られるかを問題にする。だがどんなに時間とエネルギーを注いでも、他人がどう見えるかをコントロールすることなどできない。
グサグサグサ⚡️⚡️⚡️
まさに私の人生観が覆された瞬間であった。
私はこの部分を何度も声に出して読み返して、友人や恋人や家族にも、熱く語ったこの日のことをよく覚えている。
えーーーー!完璧主義ってこんなにもしんどいものだったの⁉︎
うわ、私、自分のためとか言いつつ、いつも人の目を気にしては、勝手に理想の自分とのギャップに恥ずかしがってた…!
それから、私はとことん自分の気持ちに従って生きていくことを決意した。
誰のためでもなく、自分のため。
自分がおもしろいと思うことをやっていく。
自分の気持ちに敏感になって、自分を大切にする。
人と境界線を引く。
人の感情までコントロールしようとすることを辞めた。
どんな時も、「これで充分」と、ありのままの自分を受け入れていくことから始めていった。
具体的な方法や、現在の私の変化については、また後々書かせていただきます。
私と同じように、完璧主義な自分と戦い、もっと別の楽な生き方があるんじゃないかと模索している方が、少しでも穏やかな気持ちになることを願って…。
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