コロナとの14日間戦争 ~濃厚接触者編~
7月2日(土)
今日も暑い。息子と夫は朝からサッカーの練習に出かけた。猛烈に暑いので(ひっくり返るなよ~)と思いながら大量の飲み物を持たせる。昼過ぎに無事帰還。夜、夫が「のどが痛い…」と言いながら就寝。
7月3日(日)
今日は息子のサッカーは休みの日。のんびりできるなぁ~とホクホクしながら朝ご飯を食べていると夫が「のどが痛い…」と言いながら起床。毎朝定例の体温測定をすると37.2度。平熱が36度台後半なので、37度などはよくある。しかし37度を超えてくるのはおかしい。夫本人も何か思うところがあったのだろう。すぐに「検査してくれるとこ探して行ってくる」と出かけてしまった。私はごちゃごちゃしているキッチンを片付けようと、不要な食器を処分するなど、いそいそと断捨離に励んでいた。
かなり夢中になってやっていたのであろう。夫からの連絡に全く気付かず、夫は息子の携帯に電話してきた。スピーカーにして話す息子。電話の向こうからは「ごめん。陽性だった」と悲痛な声が。
これまでにも何度か夫が体調を崩し発熱をすることがあった。そのたびに検査に行き陰性だったので、まあ今回もそうなるだろうと高を括っていた。ヒヤヒヤしながら心配している時は陰性なのに、(またいつもの風邪でしょ)と油断している時は陽性。
不思議と絶望感はなかった。もっと強い衝撃が来るかと思っていたけど、実際はふわぁっとした夢を見ているような感じだった。現実感が全くなかった。(えーっと、まずなにしなあかんのやったっけ?隔離?買い出し?消毒?いや、まずはこの断捨離祭りをしているキッチンを片付けねば!)
のろのろと片付けていると夫が帰宅。申し訳なさを漂わせつつも明らかにそれを倦怠感が上回っている。出かけた一時間半前とは別人のような感じがする。
ごめんと謝る夫に「仕方ないよ」と言いつつ、もそもそと隔離部屋の準備をする。
我が家は2LDKのマンション住まいだ。普段は六畳の部屋に家族(夫・私・小4息子・年長娘)で寝ている。六畳の横には四畳半の部屋。本来ならこの四畳半を隔離部屋にすべきなのだが、この四畳半にはエアコンが付いていない。連日の猛暑の中こんなところに病人を放り込んではコロナではなく熱中症でやられてしまう。そのため六畳を隔離部屋にし、我々の布団はリビングに移動した。事の深刻さを理解していない子供たちは、リビングで布団を敷いて寝るという非日常に胸を躍らせている。その嬉しそうな笑顔が胸を締め付ける。
そう、実は娘には12日、13日と幼稚園のお泊り保育という、最大のイベントが待っていたのだ。色々と計算してみる。濃厚接触者は陽性者と隔離を始めた日を0日として7日間自宅待機。その間体調に問題が起こらなければ無事釈放。7月3日が0日なので、4,5,6,7,8,9,10。11日の月曜日には登園して12日のお泊り保育はギリギリ間に合う‼‼‼
「間に合うかもしれない」ということだけを希望の灯ににして頑張ろう。しかも、4日目5日目に検査して陰性であれば繰り上げ釈放もあり得るとのこと。うんうん。まだまだ我が家に希望は残されている。大丈夫だ、頑張ろう。
勿論気がかりなのは娘のお泊り保育だけではない。小4の長男の授業のこともサッカーの練習のことも気になる。授業はまあ一学期も終わり間近なのでそんなに進むこともなさそうだ。ここは家で溜めに溜めたドリルを消化する絶好のチャンス。体力が落ちないように人に出会わない早朝や夜に非常階段を往復するという地味な運動でもしよう。あとは筋トレか…。むむむ。。運動音痴の私が一体何を指導できるのか。。
これからの生活のことを考えつつ、最後の買い物に出る。咄嗟に考えた2日分ぐらいの献立の食材と、消毒用アルコールスプレー、我が家には体温計が1本しかないのでもう一本体温計を購入。柔軟剤も少なかったので買っておく。
正直頭の中は取っ散らかってるし、急に必要なものを買おうと思ってもあたふたするばかりで何が「今すぐ」必要なのかわからない。
実は「ネットで何でも買える」というのが今回ネックで、欲しいものをポチッと買って家まで届けてもらえる今、「周りの人を危険にさらしてまで今すぐ買わなければならない物」がなんなのかすぐに思いつかないのだ。「今すぐ」「代わりがきかない」物って、さぁ、ナニッッ⁉とクイズを出された感じ。チクチクチクチクと秒針が迫る音がするようだ。
結局体温計は本当にファインプレーで、まさに帰宅直後から1日何度も検温することになったし、消毒用アルコールスプレーもいたる所をシュッシュシュッシュと大活躍で、ネットで頼んで翌日まで待っている暇はなかった。私、よくやった。
同じマンションに家族ぐるみで仲良くしている家があり、その友達にお願いすれば、ネットショッピングよりも早く必要なものを届けてくれるのは分かっていた。コロナが猛威を振るい始めた2年前から、お互いの家族がコロナになった時は助け合おうね!と協定を結んでいたので遠慮は無用だ。とは言うものの、いざ買い物を頼むかと考えた時に、様々な銘柄を指定することを考えると二の足を踏んでしまうのだ。私が単身者でヒーヒー言いながら寝込んでいる時であれば、「スポーツドリンク(ポカリスエット)と食べ物(パン)をお願い」と頼んだ時に、アクエリアスとおにぎりを渡されても有り難いの一言で、それで命を繋ぐのだけれど、今現在は元気な濃厚接触者で、命の危険は迫っておらず、まあ平たく言えば贅沢が言える余裕があるのだ。「ちょっと外に出られないから買い物してきてほしいんだけど、ポカリスエットの2Lのやつと、キャベツ半玉、豚バラ薄切り肉300gぐらいと、紅ショウガと小麦粉。小麦粉は国産小麦のやつで、あと、ステーキ肉1枚とのシャンプーの詰め替えをお願い。あ、シャンプーはパンテーンね。」みたいに頼むのかと思うと、なんだか気が進まない。家庭の内情(今夜はお好み焼きでもするんかな?え?でもステーキ肉って?お好み焼きに?どゆこと?)を知られるようで恥ずかしいし、好みとか、ひいては思想の一端が知られるようで居心地が悪い。考えすぎなのは重々承知なのだが、そんな気がして落ち着かないのだ。あと、色々と指図してる感じが居心地が悪い。それもこれも、こちらにそこまで考える余裕があるというのがいけない。そういう状況が、友達を頼るということのハードルをかなり高くしているように思う。
かくして、我が家の隔離生活、コロナ戦争は静かに幕を開けた。
7月4日(月)
朝の検温、異常なし。
学校、幼稚園に濃厚接触者となってしまったことを連絡。
天気が悪いので凌げない暑さではない。換気を徹底して過ごす。
子供たちはYouTubeを見たり、ドリルやら何やらやるべきことを少しずつ。
私は家政婦といった感じでご飯を作っては隔離部屋の前に運び、隔離部屋から必要なものの連絡が来れば速やかにそれを部屋まで運んだ。隔離部屋から出てきたものにはアルコールスプレーを吹きかけ、洗濯物はビニール袋に詰め込まれたものが部屋の前に置かれ、それだけで洗濯する。この明らかな「バイキン扱い」がじわじわと私の精神を蝕んでいく。仕方ないのだ。感染しないために、ウイルスに触れないようにしないといけないのだ。頭では理解しているのだが、家族をバイキン扱いしている感じが本当に、すごく、めちゃくちゃ嫌だった。しかし、「悪を憎んで人を憎まず」ではないが、ウイルスを嫌っても夫のことは嫌わず労わらなければならないのに、なんだか心に余裕が無くなってくる。こちらの段取りお構いなしに出される洗濯物が詰め込まれたビニール袋と、それと同時に要求される着替えと替えのタオル。あいにく天気が悪く、どんどん洗濯物が乾くという状況でなかったのも悪かった。焦るうえに、我々の生活している空間で室内干しをしてもいいのか?ウイルスってどこまでついてきてるの?と、洗濯問題が一番私を悩ませた。夫は高熱が出ていてもお腹が空いてガッツリ飯を欲するので、普通の食事を準備する。夫関連のものを触る時はいつもアルコールをシュッ。嫌だなとも思うし、めんどくさいなとも思う。これ以上ややこしいことを増やしたくないと思うあまり、夫のいる部屋の方に行こうとする(部屋に入ろうとするわけではない。隣の四畳半におもちゃを取りに行ったりする)子供たちにキツく注意するようになったりして、私は誰を、何を守ろうとしてるのかわからなくなってきた。夫の命も、子供達と自分の健康も生活も守らなければならない。でも子供たちを守るためには夫の身の回りにあったものはバイキンとして取り扱い、夫に少しでも近付こうとする子供には叱責する。お父さん大好きな子供たちはお父さんを恋しがりため息ばかりつく。その姿を見ていると私が悪いような気もする。。。でもみんなのためだし…と大変疲れる。
この日、夕方頃から舌の側面が痛くなり、舌炎の予感がしていた。夜の歯磨きの時に口をゆすぐと血が出ていたので、(そんなにひどいのかな?どれどれ…)と患部を鏡で見て仰天した。そこにはポイフル大の血豆があった。舌を嚙んだ覚えなど無い。勿論ポイフルを食べた覚えもない。なんで?なんなんこれ?疲れかな?とネットで調べると「舌癌」の文字が。ぜぜぜぜぜつがん!!??もはやどの方向で何を心配すればいいのかわからない。色々調べているうちに、ストレスで無意識のうちに舌を噛んで血豆ができることがあると判明し、やはりストレスだなと自分を落ち着ける。ストレスも困るけど舌癌よりはマシだ。
7月5日(火)
朝の検温、異常なし。
夫の様子は、たまにするテレビ電話などでしかわからないのだが、前日から山場を迎えているようだ。大人の場合、普通の風邪であっても周りの家族がしてあげられることは少ないのだが、コロナは隔離している分、十分に様子を観察することもできない。送ったLINEメッセージの既読が付かないまま2時間経ったりするととても心配だ。でもあまりナーバスになるのはダメだ。ストレスはいけない。疲れをためるのもいけない。心身ともに健康でなければあっち側に引きずり込まれるぞと、とにかく無の心境で挑む。しかし先週はあんなにカンカン照りで猛暑続きであったのに、今週は天気が悪い。洗濯物が気になる。あと、肩が痛い。常時緊張状態でいるので睡眠も浅い。体が強張っているのだろう。ロイヒつぼ膏を貼るも、滝汗で剝がれてしまう。
7月6日(水)
朝の検温、異常なし。
久しぶりに晴れている。洗濯物を干して掃除をしてと大忙しだ。
今日は頭が痛い。いつもの片頭痛か。でもまだそんなにひどくはない。あまりひどくないうちに常備薬を飲んでおく。一通りやるべきことをやって、二度目の洗濯を始めた時、ふいに(もう何もできない…)という脱力感と倦怠感に襲われた。頑張って動きすぎたかな?汗いっぱいかいて消耗したか?色々原因を探してみるが、この、体が泥のように重たい感じ、これはただの疲れではない。
やばい。やばいやばいやばいやばいやばい。
そういえば喉、朝からおかしい。イガイガというほどの尖りは感じられないが、えぐいメロンを食べた後のような不快感がある。
熱は?
すぐさま熱を測るも36.5度と平熱。
少し休めば体がもう少しラクになるか?としばし待つも、気力がまるで起こらない。体調がおかしい旨を夫に伝えると、早く検査に行くように言われた。近くの病院を探して連絡をすると午後診の時間に来てくれとのこと。
だるさは少しすると軽くなった。あれ?やっぱり暑さにやられただけ?とも思ったが、薬を飲んだはずなのに頭痛が全く消えていない。とりあえず昼食の準備をする。残りご飯でチャーハンと残り野菜を入れたインスタントラーメンだ。作る気力はある。でも食欲が全くない。お腹が全然空いていない。頭が痛い。朝に薬を飲んでから4時間は経ったか。もう一錠飲む。ただの疲れじゃないかな?夏風邪じゃないかな?必死にコロナを否定してみる。でも状況的に99%コロナだよなあ…という諦めもある。午前中の突然の倦怠感は少しマシになっている。頭は痛い。喉もキモチワルイ。
コロナか疲れか知らんが病院で検査してもらえばすべてクリアになる。それでいいじゃん。夫のコロナ陽性がわかってから、感染しないように、感染したらどうしようとビクビクしながら過ごしていた。いや、それはコロナが流行りだした2年前からずっと共にあった。でもそんな不安とも今日でお別れだ。なんだかそういう気持ちだった。
コロナか疲れか知らんが、検査から帰ってきたら疲れて夜ご飯の支度もままならないだろうと思い、炊飯の準備をし、ポテトサラダを作り、鮭のムニエルの下ごしらえをした。文字通り最後の力を振り絞った。
時間になったので病院へ向かう。頭痛と喉のイガイガ。倦怠感はない。
検査結果は陽性。コロナ陽性。陽性者になってしまった。
やっぱりな、という感じと、咳も出ず、こんなに普通にすごせるのにコロナかぁ…という不思議な気持ち。熱もまだ出ていなかった。
すぐ夫に陽性だった旨を電話で伝え、まっすぐ家に帰る。
帰り道、子供達の顔が浮かぶ。濃厚接触者である子供たちは、私の陽性を機に今日まで積み上げた自宅待機期間がリセットされ、またカウント開始となるという。これが自分の陽性反応よりも絶望的だった。
そう、娘はお泊り保育へ行けなくなった。
私のせいで。
家に帰り、子供達にお母さんも陽性だったよと伝える。そして娘がお泊り保育に行けなくなってしまったこと、今日からまた7日間の自宅待機であること、、、謝っているうちに涙が出てきた。私の感染は明らかに夫からの家庭内感染だ。私の感染対策ができていなかったのだ。子供らにはうるさくうるさく、あれするなこれするなとエラそうに言っていたくせに自分が真っ先にうつっている。情けないし申し訳ない。そして頭が痛い。
泣いている私を見て娘は一緒に泣き始めた。息子は「お母さんが泣かんでいいやん。そんなん仕方ないやん!ぼくらは大丈夫やって!大丈夫やから泣かんといて!こんなんちょっとの間のことやん!」と、人間何回目?というような器の大きさを見せてきた。夫と電話で今後のことについて話す。「はぁ…そうか…困ったなあ…。どうしようか……」しばらくの沈黙の後、「俺、ホテル療養行くわ!」と言い出した時は、ほんっっっっっっとにコイツはいつも自分のことしか考えてねーんだなと呆れた。
夫の考えとしては、
自分は隔離生活をしなければならない → 食事の準備や洗濯なども自分でできない(部屋から出られない)→ その身の回りのことをしてくれる人もコロナに罹ってしんどい思いをするだろう → その人の負担を減らすにはどうすればいいか → 家事の量を減らすべく自分が家から脱出すればいい → 俺がホテル療養に行こう!
だったんだと思う。自分のことしか考えていないというより、一応私の負担を減らすには…と考えた結果だったのだろうけど、そこに「俺が何とかして手伝えないか」という視点はないと思われる。あんた一人が出て行ったって、コロナに罹っている私が子供らのご飯の準備や何やらをするんじゃ隔離生活なんてもう無理なんだよ…。しかも病の峠を越えたと思われる人間がいなくなって、これからどんな峠がやって来るかもわからん人間を子供と残すって下手すりゃ皆殺しだぜ。私が意識不明とかになってしまったらどうすんの?子供が冷静に対処できるとでも?大人でも慌てふためくよ。
何がベストなのかわからず、手探り状態やったけど3日間夫を支えたつもりだった。だけど、夫はなんにも思っていなかったんだなと思った。今度はこっちが助けてやる番だという風には思えなかったんだと思う。見返りを求めてたわけじゃないけど、私のあのストレスフルな3日間は誰の助けにも何の役にも立たなかったのかと思うと、その徒労感がすごかった。
結局、夫は主治医に相談した結果、ホテル療養ではなく自宅療養の継続を選んだ。こうなってはもう隔離部屋はほとんど意味をなさないらしく、感染に気を付けながら家事をみんなでやって下さいと主治医から言われたようだ。夫が久しぶりに皆の前に姿を現した。子供たちの歓喜の声。得も言われぬ不安からやっと解放されたという安心感で私もわんわん泣いた。
味噌汁を作り、魚を焼いて簡単な夕食を準備する。みんな美味しそうに食べている。今日のポテトサラダは我ながら美味しくできたと思う。でも一向に食欲がわかない。食べたかったのにな。ああ、頭が痛い。ムカムカして気持ちが悪い。疲れた。椅子に座ると立ち上がれなくなる。「今日から俺が家事代わるから。洗い物も置いといて」と夫。しかし夕飯後しばらくしても片付ける気配はない。仕方ない、洗ってしまおう。私が食器を洗っていても、「ごめん」も「置いておいて」もない夫。まるで普段の生活の一コマ。あー頭が痛い。
さっと風呂を済ませ、寝室へ。夫が布団を整えておいてくれた。
あーこれで今日から私は誰に何の気兼ねをすることもなく、ここで好きなだけ眠れるんだ!
頭がどんどん痛くなっているのに、その喜びが体中を満たした。時間を気にせず、誰にも起こされず、好きなだけ眠っても嫌な顔されない。そんなんいつぶり??もう本当に嬉しかった。もう(感染するかも…)の心配もいらない。(寝て起きたら喉が痛いんじゃ…)の不安もいらない。だってもう陽性だから!罹っちゃったから!!!私は今から、寝る!!!!!
こうして私の濃厚接触者生活は終わりを迎え、第二章とも言うべき陽性者生活がスタートした。
おかしな話だが、自分の体に一体どのようなことが起こるのか、巷で言われている様々なあれやこれやは本当なのか?それを自分が体験できるのか!と少しワクワクしていた。不思議と怖さはなかった。勿論、そう思えたのは今現在蔓延しているオミクロン株が、重症化も致死率も低いと聞いていたからでもある。
何にせよ、私の闘病生活が始まった。