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最後の晩餐はうなぎがいい

「忙しい」
この言葉は出来るだけ使わないようにしていた。

心がなくなると書いて「忙」なので、「私は忙しい」と言うと「私は心がなくなっている」と言っているようだなぁと思っていたからだ。

だけど今日ふと、忙しいということはやはり心がなくなっているということで間違いないのではないかと思った。

調子があまり良くなかった今年のはじめ。なかなか調子が戻らないので、宮崎に帰省してリモートで仕事しつつ実家でゆっくり過ごした。母がちょうど退職したばかりで、こんなにゆっくり母と過ごすのははじめてだった。母と料理を作ったり、桜を見に行ったり、遠くまでドライブしたり。宮崎で過ごす時間はあまりにもゆったりしていて、全てが満たされていた。そして東京に戻る前日、私が今持っているしあわせを声に出してみたら、「たくさんしあわせ持ってるじゃん!あぁ最近の私はしあわせを感じられなくなっていたんだ」と気がついた。気持ちにゆとりができて、しっかりしあわせを感じられるようになっていた。

そしてここ最近また仕事が忙しくなってきた。そしてやっぱりしあわせを感じにくくなっている。しあわせなことが起こっても、目まぐるしい毎日の中では次に起こる出来事によって感情が希釈されてしまう。

今日は土用の丑の日だったので、家でうなぎを食べた。スーパーで蒲焼を買ったのだがお店の味!?と感じるほど一口一口がしあわせで、もし明日死ぬとしたら最後に何が食べたい?と聞かれたらうなぎと答えようと心に決めた。こういうしあわせなことがあるといつまででも余韻に浸っていたい。だけどご飯を食べ終わってすぐさま仕事のことが頭をよぎった。まさに感情の希釈である。やめてほしい。私はいつまでもうなぎの感動に浸っていたかった。

この感情を希釈しないために、今のこの感情を記録しておこうと、なかなか書ききれずにたまりにたまっている60個の下書きを飛ばして書き切ろうとしている。

日常はしあわせであふれている。ただ気づくか気づかないかだけだと思う。しあわせの閾値はとことん下げていたいし、嫌なことはすとんと忘れたい。そして死ぬ時には、うなぎを食べながらいい人生だったと笑って死にたい。


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