昨今の撮影など
先の記事において、カメラ趣味は気を遣う、面倒だけど小さなフィルムカメラならば持ち歩くようになった、と書いた、気がする。しかし実をいうと、デジタル一眼レフも持っていたりする。元来、車を持っていなかったわたしはそんなかさばるものを持ち歩くことができなかったのであるが、車を持つようになってからはしばしばそれを助手席に、撮影に出かけていたりする。それはどうにも大仰で、散策という主題がカメラに奪われるような気がしてやはり、いささか苦手ではあるのだけれど。
大したカメラでもない。十年ほどの型落ち機で、一万と五千円で買ってきたものに、古くて安いがよく写る、不便なレンズを挿して撮ったものたちだ。散歩といえば、見ての通り静かに息づくような古くて狭い町を歩き回ることが多く、基本的には何もない。古看板やトタン屋根、倒壊した家屋があるくらいで、猫に出会えれば運がいい。
あえてここらを歩き回るのは、わたしが人嫌いでごみごみしたところにいたくないから、という理由が主かもしれないけれど、また別な理由として、人のいた痕跡や、人のいなくなりそうな雰囲気が好きだからというのもある。先に書いた『静かに息づく』なにかの終わってゆくところが、きっと喧しくなくて落ち着くのだろう、穏やかな眠りの中を歩くような心地になる。下関の町は階段ばかりで、息は上がるのだけど。
そして時に、撮影を主題において車を走らせることもある。のだけれど、そういった企みは大体いつも白けて終わる。散歩と違ってなにも探していないし、浸っていない。知っているものを想像したとおりに撮影しようとしているとき、気に入ったものを持ち帰るというより、メモを整理するような気分にさせられる。退屈で、途端に人の目が気になりだして、だんだん嫌気がさしてくる。ゆえにというかなんというか、一眼レフの、さあ撮影するぞという空気を胸元にぶら下げておくのは、あまり肌に合わない。重たいし。
だからといって以前から所有していたコンパクトデジタルカメラは気に入らず、ほとんど使っていない。わがままを言うようだけれど、画が気に入らない。どうにも電気的で、つまらない気がする。変な話、カメラとわたしのテンポも合わない感じがする。歩調を合わせてくれない感じがするのだ。まあ安いカメラだから仕方のないことなのだろうけど。そういうことで、フィルムカメラは相変わらず気に入っている……というところに、とんでもないコンパクトデジタルカメラを手に入れてしまったのだけれど、それはまた別の話ということで。