目で触る
気に入ったものを拾い集めるように写真を撮る。散歩中の、いわゆるスナップ写真のようなものたちはたいていそういうもので、作品を作ろうと思って写真を撮ることはほとんどない。そもそもカメラ趣味の浅いわたしが作品などというのもどうなのだろうというところではあるが、なんにせよ明確に作品作りをしてみようと意気込んだ時のそれとは明らかに異なる。その最たるところが、モノクロ撮影だろうか
例に挙げた写真は、わたしが山の中で気に入ったものたちの写真を、なんとなく気にいるようにレタッチしたものになる。レタッチするならそれはもう作品作りとしての側面もあるのではないか?と思われるかもしれないが、これらを、見るからにコントラストの強い画に作り替えたのは、わたしがその時に気をひかれ、感じ取った質感や雰囲気を再現しようとしたからだ。それはすなわち、少なくともわたしにとっては拾い集めることと同じなのだ。
そのざらついた錆や木を持ち帰って手で触れられないから、目で触れようと試みたとき、モノクロ写真は都合がよかった。色の情報が無くなることで質感や雰囲気が際立ち、網膜で撫でることができるようになる。例えば古臭い円筒形のポストや、へんてこな看板なんかは色がなければだめだけれど、構図はもちろんのこと、画そのものの情報の取捨選択をするとき、色を犠牲にしてまでも際立たせたい情報がある(あるいは、色を想像させるためにモノクロ撮影することもあるのかもしれないけれど)。写真はある種、思い出なのだから、自分の思い出したいように撮りたいのだ。