
死後の世界ってどうなってる? 終わりがあるからこそ、今を生きるために「死」を学ぶ
「死」とは何か
私たちはいつか必ず、この世を去る。
それは逃れられない事実でありながら、もっとも避けたいテーマでもある。
では、死とは本当に恐れるべきものなのか?
その正体を、私たちはどこまで理解しているのだろうか?
死後の世界はあるのか。
魂は存在するのか。
死を考えることは、なぜ私たちにとって重要なのか――
避けては通れない問いを通じて、
私たちは、自分自身とどう向き合うべきなのかを知ることになるでしょう。
これは「終わり」を考えるための本であり、
「今」をよりよく生きるための一冊でもあります。

今回はちょっと重たく感じるかもだけど「死」とは何かを解説するよ!
誰もが避けられない「死」。
(あ、ベニクラゲは不死身!とかそういうのは今回違うからねw)
それについて考えるのって、正直ちょっと怖いよね。私たち生物は、本能的に「死」を避けようとするものだし。でも、その「死」について、じっくり哲学的に向き合ったらどうなるんだろう?
そこで登場するのが、イェール大学の哲学教授シェリー・ケーガン先生。
シェリー先生の講義は、なんと23年も学生たちに愛されてきたんだって!
その内容をもとに書かれた本が今回紹介する『「死」とは何か』。
この本では、死の本質を深く掘り下げながら、ただ怖がるだけじゃなくて「じゃあ、どう生きるべき?」っていう視点まで考えさせてくれるのがすごいところ!死って避けられないものだけど、こうやって向き合うことで、生き方について新しい気づきを得られるかもよ!
「死を恐れるのは当然」だけど、本当にそう?
シェリー先生の提唱する議論の一つに、「そもそも死って怖いもの?」という問いがあるんだけ、死への恐怖は、みんなが抱える自然な感情だよね。
でも、そんな意見を先生は、
「死を恐れるべきだという主張を、理性的に説明することはできるだろうか?」
この一言、痺れるよね。古代ギリシャの哲学者エピクロスの名言「死は我々に関係がない」を引き合いに、死んでしまえば、もはや自分という意識は存在しない。だから、怖がる必要なんてないってわけ。
死んだら考えることも出来ないじゃん?
だから、死後には何も感じないんだから死ぬのは怖くないよ!というロジックね。
これってさ、前回のサピエンス全史の人間の認知も関係してるくない!?
死んだらどうなるって想像できちゃったからより恐怖が増してる的なw
想像力が豊かすぎるのも困ったものよね〜。
てことで、エピクロスのいうことも分かるっちゃ分かるんだけどさぁ、チャコ的にはそれでもまだ怖いな〜って思うよ。。
魂なんて存在しない ーちょっと冷たいけど合理的な話
身体は死んでも魂は生きている!!
みたいな場合、マンガの世界でもお馴染みだけど「死後の世界」とか「魂」の存在についてはみんなどう思う?
ちなみに先生はここでも冷静ですw
「魂は物理的な証拠なしには存在を証明できない。」
魂があるって信じたくなる気持ちはわかるけど、先生は「そんなものは幻想に過ぎない」と一蹴w
だって、私たちの性格や記憶はすべて脳の活動に依存しているから。脳が停止すれば、その人の「存在」も消える、というのが先生の主張ね!
なんか、ちょっと寂しい気もするけど、よく考えてみれば、ハードディスクが壊れたらデータが全部消えるのと同じように、「自分」というデータも脳や肉体が停止すれば消える。
それって冷静に考えるとめちゃくちゃ自然なことかも。
本の中では「人間の形而上学についての疑問」というテーマで「身体+
魂=人間」という「二元論」と、「肉体=人間」という「物理主義」の対立構造が語られているんだけど、シェリー先生は完全に物理主義の人だね。
魂の存在を認知できるのもサピエンスならではなのかもね…
死後の世界がなかったら…それって本当に怖い?
議論の中で特に面白いのが、「もし死後の世界がなかったらどうなる?」というテーマ!
ここで先生は、「死後の世界がないとしたら、それが本当に怖いのか?」と問いかけます。
これを考えるときに重要なのが、「主体」の問題。つまり、死んだ後に「怖い」と感じる自分自身がいないなら、それを怖がる意味はないんじゃないか、という視点。
「死後の無は、私たちが生まれる前の無と同じではないか?」
確かに、誰も「自分が生まれる前の無」を怖いとは思わないよね。それと同じで、死後の無も特に恐れる必要はないんじゃない?この視点は、死に対する不安を少し軽くしてくれる気がする!
生まれてきた瞬間ってみんな気づいてないよね?
気づいたら私がいた!って。
それと同じで死ぬ瞬間だって意識ないから怖がらなくていいよってことね。
私も毎日、布団に入ったら気づいたら朝でしたって思うし!寝る瞬間って分かんないから誰かにビデオ撮ってほしいw
死ぬのは怖いのになぜ自殺するの?
センシティブな話題だけど、死ぬことを考えたら避けては通れない「自死」についても語ってるよ!
先生は自殺をタブー視せず、「なぜ人は自殺するのか」「自殺は正当化されるのか」という問いに対して、先生は自殺を単なる「行為」としてではなく、人間の生き方や死の意味に関わる問題として捉えてるんだよね。
まず、自殺が合理的な選択になり得る場合として、耐え難い身体的・精神的苦痛や、人生の価値を見いだせなくなった場合を挙げてるんだよね。
例えばさ、末期の病気で今後も回復の見込みがなく苦痛が続く場合、自殺は苦痛から解放される手段として理解できると指摘している。
でもそれで判断を誤るともしかしたらその後に回復して元気になるかもしれないというチャンスを捨ててしまうかもしれないから慎重に考えるべきとも言ってるね!
道徳的な見方では、命そのものが価値を持つから、自殺は基本的に許されないという立場と、自分の人生をどう扱うかは自由であり、他人に害を及ぼさない範囲では、自殺も認められるべきという立場の両方を取り上げてるよ。
難しいけど状況は常に変わるわけだし、一概に判断せず、ケースバイケースで慎重に考えないとダメだよって言ってた!
また、彼は自殺が家族や友人、社会に与える影響についても触れています。自殺は個人的な決断である一方で、近しい人々に悲しみや罪悪感を残す可能性があるため、その影響も考慮しなければならないと指摘します。
死を考えることは、人生を考えること
全体を通して、死を意識することで、人生の見方も変わってくると先生は言ってるんだけど、
「有限であるからこそ、人生には価値がある。」
もし私たちが永遠に生きられるなら、きっと日々の重みは薄まっちゃうよね。
たとえば、夏休みの宿題も締切がないと手をつけないでしょ?でも締切があるから、やるべきことに集中できる。死という締切があるからこそ、「今」という瞬間に価値を見いだせるんだよね。
終わりがあるからこそ、今を一生懸命に生きなきゃって話!
(たまにグータラしちゃって無駄に過ごしちゃうのは内緒ね☆)
死を知ることは、生を知ること
先生が最終的に伝えたいのは、死についてちゃんと深く考えることで、逆に「どう生きてやろうか」が見えてくるということかな。
死を意識することで、むしろ今をよりよく生きるためのきっかけを与えてくれるものだと考え方を変えてみるみたいな!
例えば、「死後何も残らない」と考えると、一見虚無的に思えるけど、だからこそ「今この瞬間を大事にしよう」という気持ちが生まれると思うんだよね。
日常の当たり前も、急に特別に思えてくるのが不思議だよね。
ちょっと話逸れるけど
人間は永遠に生きられないというのは絶対的な事実なんだよね。
限りがあるからこそ、私たちは生きている意味を感じることができる!
例えば脳みそだけになって「電脳世界で一生過ごせて幸せ〜」って思ったとしても、それが本当に「生きている意味」があるのか、疑問に思うんだよね。

手塚治虫の『火の鳥(未来編)』のマサトみたいに、不老不死が続くことの悲しさを考えると、永遠に生きることが必ずしも幸せではないと感じてしまうよ。
不老不死の存在が意味を持つのは、周りの生物たちが寿命を全うして生きることを見届けるからこそ自分の不死を感じられるのかもしれない。
誰もいなくなっても一人で生きるのは辛いな〜って思うよ。。
あと、仏教的な話だけど、今生きてるのは原子がたまたま「肉体として形作られて、思考ができるボーナスタイム」で、自分が生まれる前や後も原子の状態で空間に存在しているとも考えられるかな!
だから肉体が滅びた後でも、原子として宇宙に残ってれば形は変わっても、それもまた一つの「生きている」状態なのかも!
めちゃくちゃ抽象化するとみんなも私も宇宙レベルだと同じ体の一部かもねw
なんか考え方一つで捉え方って変わるからウケるよねw
死ぬことを話しまくってたらなんか耐性ついてきたかもw
結論――死を受け入れることで自由になる
『「死」とは何か』は、死を避けたり恐れるのではなく、正面から受け入れることで「生きる自由」を手に入れることを教えてくれます。死はただの終わりではなく、私たちに「今」をどう生きるべきかを問いかける存在。
死を学ぶことは、生を学ぶこと。先生の冷静で温かい哲学が、そのメッセージをしっかりと届けてくれる一冊です。
私は完全翻訳版を買ったんだけど700ページ以上でなかなか大変だったわ、、
興味あるけどな〜って思っていたらこの記事を読んで予習してみてね☆
んじゃ、まったねー♪