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大切な人は何も言わずに突然いなくなった


突然の連絡は、
当たり前だけど突然で、

メッセージを見たらスッとどん底に落ちた。

恩師が亡くなった。

まだ、53歳だった。

どうにもこうにも気持ちの整理がつかなくて、
泣くだけ泣くことにしたのだけれど、
悲しみってのは涙と一緒に流れていくほど、
簡単なものではないらしい。

あーこんな気持ちでも、
毎日は変わらずやってくる。
他の日常が何にも変わらないのが、不思議だけど当然で、なんだかずーっと矛盾の中で生きている。


恩師プロフィール

私の恩師は大学時代の研究室の先生で、
とってもとっても変な人だった。

大学を卒業してテレビ局に入ったのに、
大学院に行って教授になった人だった。

経歴もしっかりと謎いのだけど、
先生は生き様?も謎で、
いつも自由な空気を纏っていて、どこか掴めない人だった。

愛情深いのに、
常に考えさせてくる人で、
相談すると解決するどころか、
余計に悩みが増えて、
たくさん考えてしまうような言葉ばかり吐いている人だった。

そんな先生のアドバイスやコメントに
幾度となく悩まされたのだけど、
幾度となく救われたのも事実だった。

あーもう。
だった、だって。
過去形になるのって、悲しいね。


私たちのゼミの始まり

そんな先生をしっかり認識したのは、大学3年生の頃だった。初めのうち、イタリアから帰ってきた変な人…という情報だけが私に入り込んできて、もう単純に「変な人」という部分に惹かれた。

変。
うん。いい言葉。
個性があって自分を持ってる証だ。

私は、あーなんか今までと違う景色が見れそう。そんなワクワク感から、先生のゼミを選んだ。

ゼミ初日。
先生から、自己紹介をするようにと言われた。
その時には、なぜこのゼミを選んだのかも伝えるように言われた。

普通は、
先生に教えてもらいたいことがある
とか
憧れていて、先生の近くにいたい
とか?
研究内容に興味がある
とかとか?
そんな理由になるんだろうけど、私たちのゼミ生は違った。

・面白そうだから。
・先生なら受け入れてくれると思ったから。
・楽しそうだから。

なんだか色んな理由があったけど、
勉強したそうな人は1人もいなかったと思う。
いや、やっぱいなかったわ。いなかったよね?みんな?笑

そんなメンバーなので、初めから終わりまでがちゃがちゃだった。

合宿では救急車が3台くるくらいに暴れたり、
ゼミ室ではじゃれあいの延長で「ボキッ」と音が鳴り響いて・・・骨折したりしてた。
(注)※食品安全論の専攻です

球技大会では
先生も仮装して、全力でふざけた。

卒業旅行では
先生はじばにゃんに扮して、
わたしたちをゲラゲラと笑わせた。

私たちが何する時も、
先生はそこにいて、いつも一緒に、同じ目線で楽しんでいた。

当時はそれが
当たり前のように感じていたけれど、
いい大人が全力で「遊ぶ」「楽しむ」「ふざける」ってとっても難しくてすごいことだってことを、いい歳になって気づいた。

あの人はすごかったな。



いっぱい教わったな

先生はいつも言っていた。
一緒に過ごす人の「ものさし」に合わせて過ごすことが大事だよと。
どんなときもカッコつけず「自分らしくいる」ことが大事だよとも。
そして、どんな時も、どんな状態であっても、私たちのことが変わらず「大好きだよ」と。

そんな先生と一緒に過ごした私たちは、
どれだけ歳を重ねて、ステータスが変わっても、決して特別扱いせず、
「大事な友達」であり続けられる。
そんなゼミ生になった。

おかげで卒業した今も、定期的に会って笑い合っている。
芸能人になったり、
作曲家になったり、
社長になったり、
みんなバラバラに、、、いろんな面白い仕事をしているのだけども、会う時にはあんまり仕事の話はせず。
ただ楽しくご飯を食べて、思い出話に花を咲かせている。

これまでは、そんな会には毎度先生を呼んで(呼びつけて)
おごらせて、
ご馳走様でーす!!!なんて、声高らかに叫んでた。

もうそこに先生がいないんだ。
もう2度と、会えないんだね。


あーやだな

悲しいよ先生。
もう会うの最後だね、って言いながら
何度も何度も会いたかったよ。

病気のことを教えてくれなかったのも、
辛い気持ちを伝えてくれなかったのも、
全部全部私たちのためだったかな?

大好きな私たちと会っちゃったら、
ああ、死にたくないなって思っちゃうから、
この世に未練が募るから、言わなかったかな。
会わなかったかな。

会いたいよ。
話したいよ。
声が聞きたいよ。

これが先生の望んだ結果だとしても、
私たちは生きてる間に会いたかったよ。
悔しくて悔しくて、また涙が出てくるよ。くそう。


メッセージ

先生へ

とにかく気にかけてくれてありがとう。
時にはその期待が重荷になって、
逃げ出したくなったり、距離を置いてみたり、
そんな、親子のような関係を築いてきたね。

あなたの弱さも強さも、
そして不器用さも。

高すぎる鼻を
ドアにぶつけて折っちゃうところも。

酔っ払って育毛剤をなくして
騒ぎちらかしてたうるさいところも。

全部全部
とっても愛しかったよ。

先生は
会わなくても、連絡を取らなくても、
何かあったらいつでも助けてくれるだろうって思える、そんな安心感のある存在。

いなくなるの早すぎない?

悲しいけど。悲しいけども。
とっても辛かったろう、
闘病生活が終わったのはよかったのかな。

どうか安らかに、優しいところで過ごせてますように。


もう先生が飲めないお酒。
私たちがたーっぷりいただきますね。
(涙の分の水分を取り戻さなきゃなのでね。)


私たちに出会ってくれて、
育ててくれて、ありがとうございました。

私たちゼミ生一同、
先生イズムを継承した「変」な人たちは、
明日死んでも後悔がないように、
毎日自由に、楽しんで過ごします。

また会える日まで。

先生
やっぱり、ありがとう。

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