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「行」,中国古代の同業者組合とは
「銀行」という名称の由来が,中国古代の「金銀行」であるという説が最も有力であることをご存じの方も多いと思います。
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ではこの「金銀行」の「行」とは,何なのでしょうか?
すなわちこれは,表題でも書きましたように,中国に古代から存在した同業者組合のことなのです。中世ヨーロッパで言えば,「ギルド」などが有名ですよね。
ただ「ギルド」が封建社会の中で,領主から同業者たちの利益を守るために結成されたのに対し,中国の「行」は,行政側が市場を管理し,物価を安定させるために作った組織です。
その働きは,法令に従って,税金を徴収し,国家による買い上げを容易にし,価格,特に米の価格を安定させ,違法交易を取り締まることでした。
また「行」としての自主的な社会活動としては,金銭の貸借,仏事,祭祀などがありました。
中国での同業者組合の成り立ちは早く,古くは周代にまで遡ります。時代によって,あるいは地域によってその名称は様々で,行,団,作,市,会,堂,廟,殿,公所,会館などが挙げられます。
ちなみに「行」という名称の由来で有力な説は,「行列」だと言われています。当時同業の店舗は,同じ場所に建ち並んでいたことが多く,つまり「行列」をなしていたためだとされます。
その形体は,主に3種類に分かれます。
① 工商業
② 市井
③ 江湖
工商業は言うまでもありませんが,②の市井とは,いわばサービス産業のことで,飲食・旅館・賃貸・修理・交通・浴場・理髪・清掃や各種娯楽産業を指します。
そして③の江湖ですが,これは中国ドラマをご覧の方にはなじみのある言葉ですが,ちょっと説明しにくいですね。
江湖とは,義侠心を基本精神とした,いわばアウトロー,または非主流派とでも言えばいいのでしょうか?各地を流浪し芸や薬を売り歩く人もいれば,武芸を売り物にする人もいて,中には武闘派の物乞いの団体も含まれます。盗賊を指すこともありますので,玉石混淆と言ったところでしょうか?
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江湖についての「行」の分類方法は2種類あり,「巾・皮・李・瓜」の4種類に分ける方法と,「江湖八大門」に分ける方法とがあります。
※ちなみに江湖の団体については,「行」だけでなく「門」「派」という名称も使われます。
「巾・皮・李・瓜」
巾……運勢占いや,文字占い,手相・面相などを見る人。彼らはある程度の 知識人で,方巾や葛巾をかぶって,知識人であることをアピールしているので,巾行と呼ばれます。
皮……薬を売り歩く人々。手に皮の鼓を持って売り歩くので,皮行と呼ばれます。
李……大道芸や講釈,手品,雑技などを披露します。
瓜……武力を頼んで身辺警護や門番などを務めます。
「江湖八大門」
驚……占いを生業にする人々の団体です。
皮……流しの医師。
飄……博打打ち,見世物芸(大道芸・手品・足芸・講釈・謡),妓楼の芸妓
册……書画(春画も含む)骨董の販売(盗掘品も含む)。
風……風水を見る。
火……養生術(煉丹術・錬金術・房中術を含む)の研究者。
爵……縦横術に長け官職を売買する。策略家。
要……物乞い。僧尼に変装した詐欺師(しびれ薬などを利用)。
また宗教あるいは秘密結社の色合いを濃くしていった組織もありました。
① 鏢行(鏢局)……武功を便りに人や人の財産を守る組織で,当時は品物を安全に運ぶことも困難だったので,彼らは運送業にも携わり,それが現代の物流の基礎を築いたと言われています。
② 乞匈(匈幫)……武闘派の物乞いの組織。
③ 巫卜星相……占いに従事する者たちの組織。
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この「行」という組織が全国的に確立され,しかも記録として残っているのは,唐代が最初です。全国各地にありましたが,特に規模が大きく賑やかなのは,例えば唐代でいえば,長安と洛陽ですよね。
当時長安と洛陽では,ほとんどの店舗が二カ所に集められていました。長安は当初,城内が110の坊と東市・西市に区切られ,各坊は坊壁で囲まれていました。
そのうちの東市と西市が,いわば現代でいうショッピングタウンで,各市におよそ220余行,各行に300余の店舗が建ち並んでいたといいます。
会昌3年(843年)6月27日,当時留学僧として長安に滞在していた円仁は,その日記『入唐求法巡礼行記』に次のように書きとどめています。
「夜三更(子の刻,夜12時頃),東市は火を失して,東市の曹門已西(以西)十二行四千余家を焼く。官私の銭物・金銀・絹・薬等は惣て焼尽す」
東西両市には,220種類の業態の店が集まっていたわけですが,そのうち記録のあるものとしては,以下のようなものがありました。
馬行,魚行,薬行,絹行,大衣行,鞦轡行,絲行,彩帛行,肉行,果子行,靴行,新貨行,雑貨行,染行,米麺行,菜子行,帛練行,鐺釜行,白米行,米行,大米行,粳米行,油行,五熟行(料理された食品)行,屠行,大絹行,絲帛行,市絹行,小絹行,小彩行,絲綿行,布行,幞頭行,磨行,秤行,生鉄行,炭行,口馬(張家口以北生まれの馬)行など。
出典:『行会史』など
上海文芸出版社