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たらいの水のお話し。
幼少期に…3歳くらいに預けられてたお寺で聞いたお話しが
今も脳裏にガッチリと沁み込んでて抜けません。
「なんでもかんでも欲しがる人はね、、、」
ざっくり言うと世の中には容量があって
必死に掻き集めようとバシャバシャしてる人は
欲望のあまり周りに水も散らしながら
満たされることなく延々と掻き集めるのを辞めない。
"どうぞどうぞ"って限られた水を向こう側にと
真っ直ぐ届けようとすると
水はまんまるなたらいの淵を通って戻ってくる。
送り出した水が全て戻ってくるのではなくて
"水を100回送って1回分戻ってきたら儲けもの"
そんなことを仰ってたような気がする。
大切なのは"どれだけ何かを手にするか?"ではなくて
向こう側の人を想って水を優しく送ろうとする気持ちや
何かが届いて向こう側の人を笑顔に出来たりすることと
誰かの嬉しいを自分自身も嬉しいと感じれることだと…。
実は世の中には己の方に掻き集める人が多くて
ひとつのたらいの中で様々な波紋が生じてしまうから
隣の人の水がかかったりすることもある。
そんな時に「お互いさま」と思える人と思えない人がいるし
思えない人の中には攻撃して仕返しを果たそうとする人もいる。
何かを得たくて"誘い水"という見返り欲しさに送る水は
向こう側の人を想う水ではないから見極めないといけないって…。
足るを知る……
そのことの大切さを説いたお話しであった気がしているが
あれから何十年経ってもなかなか見極めることが出来ないでいる。
そもそも自分の所属してる"たらいの種類"も把握出来ていない←