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HOME

私はかなり昔から清水翔太の「HOME」が大好き。
多分最初はシンプルにメロディと声がかっこいいと思って好きになった。
鹿児島に行ったあたりから、この歌詞の意味が、今まで感じなかった言葉の深いところで理解でき始めて、
ここ最近その深さがどんどん更新していて、
昨日あいちゃんちで消しゴムはんこを彫りながら、流れてきた時なんか過去一、スーッと歌詞の意味を体感している感じがした。

今回、愛ちゃんのお家には先週の金曜日から今朝までいさせてもらったんだけど、
前回の何倍も愛ちゃん一家の生活の一部に入れてもらった感覚があって、
本当にありのまま。飾らず。無理せず。
そんな私をみんなが、そこに居ることを許してくれて受け止めてくれている感じがあった。
いーちゃんは相変わらず厳しかったけどね笑
でもいーちゃんとのありのままのやり取りがまた大きな学びになる。歪でもありがたいやり取りで、どんな形でもぶつかってきてくれるからできることだなと想った。

昨日愛ちゃんのマッサージをしながら、絵に描いたような、サザエさんみたいな家族像を勝手に描いてそれを叶えるために躍起になるみたいになりがちだけど、綺麗な家族なんて一つも存在しないよねって話になって。
家族も、自分自身も綺麗なものを描きすぎていた気がする。
かっこわるくて、歪で、ださいんだよな。人間1人も、人間が集まってできる家族も。だけどその歪さが愛おしくなったりする。みたいな感じかもなって思えるようになってきた。

愛ちゃん一家と過ごすことができて本当の意味で清水翔太のHOMEを理解できてきた今、
HOMEの輪郭みたいなのがわかってきた今、

私には今も昔も、心のHOMEになってくれるような人や場所ががたくさんあることに気づいている。

私自身の歪さをいろんな帰りたい場所、人が受け止めてくれている感じ。
だからいまの今まで、腐らず潰れずやってこられて、こんだけ深い心を育んでもらえて、今こうして全力で毎日を笑ったり泣いたりしながら過ごすことのできる自分でいられているんだなって思う。
そんな自分が好きだと思える。生まれ変わっても、しんどいことも含めてもう一回自分の人生がいいと思えるようになってきた。
そして感謝が溢れだして、そんなふうに支えてくれている人たちの力に少しでもなれる自分になりたいと心から思う。

私はHOMEの
払う代償の大小には関わらず
愛情にはもっと敏感でいたいな
痛いやって思わせたくないから
リタイヤなんかさせたくないから
そうやって見つけた生きていく術
偏見に塗れた常識崩れ
突付けば壊れそうなほど脆くて
でもなぜか笑顔が絶えなくて
そんなふうに思えたのきっと初めてで
でも惨めけど綺麗で
なにもない空が輝いて
瞬いてその時僕らまた泣いて

って部分の歌詞がとても好き。
すごく美しく私が想っている本心を言語化してくれている感じがある。この気持ちを失わず今もいられる自分にしてくれる私の周りの人たちに本当に心から感謝。
歪だし不器用だし失敗ばかりだけど、自分の中に育まれたこのピュアな想いを大切にこれからも足掻いていこうと思えた今日この頃。

またいつでもおいでという、純ちゃんと愛ちゃんの言葉に送り出されて、本当に幸せ。ありがとう。

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