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「他人の目を気にしてしまう。それでも良いのでしょうか」から、なぜ繋がる昔話『カチカチ山』


昨日、いつも楽しく投稿を見ているパントビスコさんがインスタグラムのストーリーで質問に答えていました。

◉↓パントビスコさんのインスタグラム
知っている方も多いと思いますが、それぞれのキャラクターが楽しく面白く、そして鋭く日常を切り取って色々なことを教えてくれます。

特に私は、
二階堂ハツさんの言葉に人生とは?と考え、
キビ島キビシさんの指摘に毎度ハッとし、
やさ村やさしさんの声かけに心が軽くなります。

ぜひ、見てみて欲しいです^^



さて、ストーリーでの質問では

『自分の価値観が大事っていうのは分かるけど、他人の目が気になる』

ということでした。

分かる!!


どうしても認められたい、とか、私の努力をみて、とか。
承認欲求なのでしょうか。
考えてしまいます。
自分が無我夢中になって突っ走っている時ほど、周りの目は気にならないのにね。ってことを知っていながらも悩むということは、今自分がやっていることはさほど好きでもないし、集中すらできていないんじゃ・・・

と、どんどん負のループ。

いかんいかん。


この質問者の方の気持ち、共感祭り。

そしてパントビスコさんの回答は

『他人の目を気にするのも自分の価値観ですよ。悪いことではないです』


なるほど!!!!!!!!
そう考えている自分も含めて、それが自分の価値観。


そうだよな。

そう、そしてこの解答には続きが、、

『ラッキーアイテムは、カチカチ山の絵本』

(*・∀・)ゞ??????

どういうこと?と思いながら、昔の記憶の限りではいまいち話を思い出せなかったので、即Wikipediaにお世話になりました。


狸のしでかしていること、惨すぎる。
畑めちゃくちゃにした上に、優しいお婆さんを騙して殺してその肉を汁に入れておじいさんに飲ませ、最後にザマミロ〜〜と人骨を見せておじいさんを小馬鹿にして逃げる。

・・・こんなお話だったのか。
極悪非道すぎんか

そして、最後はウサギが時間をかけて狸にじわじわ痛みと苦しみを与えながら殺すんだけど、目の前の利益に食いついて、なおも私利私欲に塗れている狸はまんまとウサギの罠に引っかかっていくんだけど

どうしてパントビスコさんのラッキーアイテムにこの絵本が入ってくるんだろう。
と、こちらが気になって仕方ない。
もしかして、深い意味があるのでは?

気になりすぎたので、とりあえず色々な人の考察を読み漁ってみた。

・因果応報
(狸は悪いことをして、最終的に死ぬから)
(おじいさんは直接的な被害を受けていないのに、狸を拘束しているから。
 そして、狸汁を作ろうとしたおばあさんも最終的には死んでしまう)⇦そうか、狸ばかり悪にされがちだけど人間側も攻撃しているもんな

・そもそもウサギも悪では?
(仕打ちが酷すぎる)

・知識をつけることの大切さ
(ウサギは唐辛子を傷口に塗ると痛いことを知っていたし、泥は固まっていても水につけると崩れることを知っていた。)

・過去に学ぼうとせず、何度も騙され続ける愚かさ

最後の何度も学ぼうとせずに騙され続ける愚かさについては、面白い記事をさらに見つけました。


太宰治『お伽草子』より「カチカチ山」

太宰は、このカチカチ山を、美しいウサギに恋をした狸の恋物語として描きました。
まず彼はウサギの「残酷な敵討ち」に注目し、この残酷性は年頃の少女に共通するものだと考えました。
次に、狸の「どんなに懲らしめられてもウサギを信頼してついていく」点にも注目しました。
このひたすらな信頼は年頃の少女に恋をしてしまった中年の男に共通するものだと考えました。

『恋は盲目』とは、まさにこのこと。
どの時代でも共通なのでしょうか?
でも、歳の差は関係ないと言いつつ、思いつつ、思い込ませつつも
16歳の少女に恋する中年男の色恋物語は少し鳥肌が立ちます。
あくまで私の意見です。

そして小説のラストでウサギに騙された狸が河口湖に沈む時に太宰が吐かせた言葉
『惚れたが 悪いか』


最後まで、なんというか、、、
ポジティブシンキング!!!

なるほど。このような解釈の仕方もあったのか。
こうして太宰にかかると、子供向けに書かれている因果応報のような物語が大人に向けた物語に忠告のような、訓戒のような物語に変わっていくのですね。面白い。


辞書では、
勧善懲悪の寓意と知恵の勝利、また任侠と復讐の精神を表したもの」
とありました。

(寓意・・・ある意味を直接的には表さず、別の物語に託して表すこと)
(任侠・・・弱いものを助け強いものを挫き、義の為ならば命も惜しまないといった気性に富むこと。おとこ気)

私のためのメモ。知らないことが沢山だと人生楽しいな。学びじゃ学び。

辞書的にいうと、やはりウサギは正義。狸は悪ですね。



さてここまで、自分の価値観からパントビスコさんの回答に感銘を受けた私が「ラッキーアイテム“カチカチ山の絵本“」に翻弄されてきたわけですが、

結局関係性は分からん!!!!!


私の考えを絞り出して無理やりまとめてみると、

  • 周りを気にしている自分を続けていると、いずれそうにしか行動できなくなる(因果応報)

でもこうなると、パントビスコさんの回答「他人の目を気にするのも自分の価値観ですよ。悪いことではありません」と質問者の方を肯定してくれているように私は感じていたので、結果的に“因果応報“では少し突き放しているような気もするなあ。

  • とりあえずこの絵本を読んで、一旦休憩してみてね。ラッキーアイテムだよ!
    という優しさ。

ていうか、そもそもテレビやネットの占いのラッキーアイテムって何が根拠となってそのアイテムになるんだろう。と疑問に思ったので調べました。

・月が運行している星座とその位置関係で分かる。ラッキーアイテムが身近にないときは、「何かそれに近いものがないかな」と工夫するかどうか、それも運に愛される力。運を引き込むパワーに繋がる。

・自分の気持ちがマイナスに向いているときは、それを持つことで気持ちのベクトルが変わるとか、そういう切り替えのサジェスチョンをしているという場合も大いにある。
https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/lifestyle/entry/2019/019554.html
占いのラッキーアイテムってどうやって決めてる? 人気占い師オフェリア・麗先生に直撃してみた!

星の力も借りつつも、それを信じるか、どう使うか、どんな気の持ちようにしていくか、やっぱり自分次第。なところはありますよね。




さて、私は頭を抱えていますが、忘れかけていたカチカチ山の物語を思い出し、たくさんの方々の考察を目にし、太宰治の作品まで知れたので感謝しています。
5時間調べて考えてみたけど関係性は見つからない。
そもそも関係性はなかったのかな?

わあ。でも何かの意図があってのパントビスコさんの回答だとしたら、
それが思いつく彼の思考や経験に脱帽だし、やっぱり価値観に触れさせていただきたいなと思う。(sns有難う!)


この記事を読んで、関係性や、恐らくこうでは?と思う方いましたらぜひコメントで教えていただけると嬉しいです。

まだまだ考えてみます。

今日はここで。
ナマステ

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