日常の中のささやかな幸せ
楽しい旅行へ出かけているはずなのに、何故かいつも寂しくなる。
その理由が、年末に自分の中で分かった。トークノートにも書いたんだけど、自分の「日常」から外れてしまう不安からだ。
私が望んだものは、いつだってささやかなものだった。
ささやかであればあるほど、手の届きそうなものにさえ届かないことが、悲しかった。
どれほど我慢をしても。
「日常」を失うことは、想像を絶する苦しみだ。
私を置き去りに流れる時間。泥沼に足を埋め、手をつき、見上げた世界に流れる日常が、遠く儚く、その光が私の背後に影を作り、死の言葉を紡ぐ。
それはとても言葉には出来ない。
他愛のない日常の言葉が、私の切望する場所で、変わらず、流れる。
恨むことも出来ず、宝物を護るために、ただただ、荒んでいく。
髪の毛を引きちぎり、血を流し、泣き叫んでも、そこは闇の中。
帰りたかった。「日常」に。
還りたかった。
あの「日常」に、私は幸せを感じていたから。
今ある日常。
それは、多くの人にとって、ささやかな幸せがたくさん溢れている場所。
そう思う。
だから私は、「日常」の「他愛もないこと」にこだわるんだ。
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