モノに宿る想い
父方の祖母は駅前で食堂を営んでいた。手打ちそばが人気だった。
親戚のお店を引き継いだんだったかな、確か。私が小学生の頃に駅前開発で立ち退きみたいになって、もう歳も考えて、店をたたんだんだったかな。
国民宿舎(?)みたいなのもやってて、懸命に子供たち(父親含む)を育て上げた。
じーちゃんは……。
生きてましたw
だけど、記憶に残るじーちゃんは、いつも店の厨房か居間でビールを飲んでいた。私も子供だったから、別にそれが不思議でもなんともなかった。呑んで暴れることもないし、孫たちに優しく、よく車であちこち連れてってもらった。町はずれのちっちゃな商店でガチャガチャをやって、蓄光のスライムを買ってもらったのがやけに嬉しく覚えているw
未就学児の頃だなw
そんなじーちゃんも数年前に他界した。
ばーちゃんは……。
生きてますw
忙しい傍ら、民謡もやってて、お弟子さんも数人いた。
お店が休みの日は三味線の音が聴こえてきた。
三味線の音、あの頃は分からなかったけど、今になると、イイ音だなぁって思う。味があるし、迫力もある。他には出せない音だよね。自分たちの曲に取り入れたかったなぁー。
お正月に、ばーちゃんが老人ホームから父親の家に外出した時、集まったばーちゃんの子供たちのひとりが、昔配ったんだろう、粗品のタオルが見つかったって持ってきた。
いろいろ間違ってるタオルだったんだけどw
それを皆で感慨深く眺めた。
先日、近所に住む私の両親が、晩御飯にと、おかずと五目御飯を持ってきてくれた。幾つかの皿をおぼんに乗せて。
ああ、ばーちゃんのお店のおぼんだ。
私が就職して間もない頃、この町にある支店で働いていたことのある人が、私の名前だけで、孫じゃないか?ってよく聞いてきた。
お昼休みによく行ってたんだよって。
モノには想いが宿るっていうけど、このおぼんを見て、懐かしい風景が蘇った。
私以上に、父親はもっとなんだろうけどw
だって、
「じーちゃんを見てきたから、俺は仕事に精を出し、家族をしっかりと養うって心に誓っていたんだぞー」
って、いつだったか、言ってたw わははw
私が想いを宿すのは?
創り上げた音楽だよね。
カタチとして残れば、きっと、想いが、感情が、カタチある限り、残るよね。
生きているから、生まれる、想い。
生きた証。
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