
そりゃ~いつだって隣の芝は青いのよ
今日の晴れパンさんの記事を読み、突然湧いてきた気持ちを書こうと思う。
私は、凸凹で不登校の息子を育てながら、凸凹の子ども達相手の仕事もしている。仕事先の子ども達は本当に可愛らしい。さっきまではご機嫌だったのに、いきなりの大癇癪だったり、予想できないことも多い。学校ではきっとこの子達は困っている。周りと同じように行動できないこの子達をやりづらいと思っている先生もいるのかもしれない。
そんな凸凹の子ども達を私はとても愛おしく思っている。
ただ我が子となるとまた別の話になってくるんだよねぇ~。
学校に行くことが難しい息子。ここ最近は、外に出ることの方が珍しい。家ではひたすらYouTube。特にショート動画がお気に入りだ。ポケモンも妖怪ウォッチも何回も見倒している。
それでも、暇だとは思っていない。
家がいつも落ち着くと言う。
遊びに行きたいとも、友達の家に行きたいとも思わない。
外に出て目的地に着くまでの精神的不安のほうが勝つようだ。
頑張ることが難しい息子。
動画ばかりを見続ける息子。
バイト先の子ども達と同じように息子の事を愛おしいと思ってはいるが、我が子となるとイライラすることが多くなってくるのも事実である。
それでもね。今まで私を支えてくれていた価値観をゴミ箱に捨て、新しい価値観を採用していく努力はしている。
学校に行かなくても、外出ができなくても、それでも息子が楽しく笑っているのならそれでいいと思い込もうと必死なところもある(笑)
でも、心の底ではね。
根っこではね。
当たり前だけど、思いっきり不安なんだ。
正直、学校に行く周りの子ども達やお母さん方を羨ましく思う気持ちだってある。
ただ、その感情に無理やり私は蓋をしない。
隣の芝が青いよ~
眩しいよ~
そっちの道で安心したいよ~
めっちゃしんどいねんけど、誰か助けてぇ~や
もっともっと、ドロドロした感情がホルモンバランスが大荒れの時は出てきたりもする。でもね、そんなドロドロ感情はあって当たり前なんだと、自分で自分を抱きしめている。
嫉妬とかさ~羨ましいとかさ~そんな感情ない方がかっこいいよね。
でも、ない方がおかしくない?とも思うのだ。
ドロドロ感情を隠して、強がって生きることの方が難しいし、ぶっちゃけ私には無理やねん。
不安やし、しんどいねんけどって感情を爆発しながらじゃないと、生きていくことができない。
ただ、そんな私にも理想はあるよ。
今は学校へ行くことができないし、外へ出ることさえ難しいけど、大丈夫!と子どもの未来の可能性を信じられるお母さんでいたい。
いつでも子どもの好きを応援できるお母さんでいたい。
いつでも、ご機嫌なお母さんでいたい。
隣の芝なんて全然関係ねぇ~と周りを全く気にしないお母さんでいたい。
もっと息子の為に動いてあげるお母さんでいたい。
こんな完璧なお母さんいいよねぇ~とは思うけど、まじめに実行していたら病気になっちゃうからね(笑)
でも、目指していきたいと思うから、私はなるべく仲間を作っているのかもしれない。
たった1人で不登校息子を支えるのは、しんどいよ~。同じように共感してくれる仲間は必要だよ。
だからこうやってnoteを書いているんだもん。
弱気になる時があって当たり前。
いつも前向きでポジティブになんてなれない日もある。
隣の芝が青すぎる日があってもいい。
だって、不登校の子どもはいきなり前へ進める日もあれば、いきなり引きこもる日もあるんだもん。上手いこといってたら、期待しちゃう分だけ、落胆もいら立ちも多い子育てだと思うからね。
ようやく、どんな自分でもOKなんだと受け止められるようになってきた。
ほんっと、予測不可能で、悩みが多い子育てだ。
一生懸命まじめに完璧にやりすぎたら、きついからね。学校行くことをゴールなんかにしてたら、身が持たんよ(笑)
どんどん価値観変えてかないと、当たり前を見直していかないと、やっていけないからね。
このやり方で本当にいいのか?とオリジナル子育てすぎて迷いは多いし、苦しいんだけどね。
どこまでも、私を成長させてくれる子育てだ。
そして悩んで苦しいことが多いからこそ笑いは必要で、どんどん笑いに磨きがかかっている毎日だとも思うのだ。
未来は正直わからない。何が正しいのかもわからない。世間様とは大幅にズレた子育てかもしれない。オリジナルすぎて不安にもなる。でも、今までの価値観でマジメに考えすぎるから不安なんだと思う。もっと新しい価値観で物事を考えて、凸凹&不登校子育てをおもしろがることが私の今後の目標だ。