明日があるなら
毎日当たり前のようにやってくる明日。
1年で365回。必ずやってくる明日。
明日が来ることには、何のありがたさも感じないし、やってこなかった明日を自らが認知する術は存在しない。
しかしながら、これまで通りの明日が来るのかどうかというと、必ずやってくるとはいいきれなくなる。
良い明日もあれば、悪い明日もある。
常に順風満帆な人生を歩み続けてでもいない限りは、良い明日しかやってこないなんて恵まれた状態にはならないはずだけれど、考え方一つで、それに近しい感覚を手にいれることは可能なのかもしれない。
たとえそれが、周囲から見た時に、喜ばしい明日にうつっていなかったとしても、本人が、常に前を見据え、新しい形の明日に何かしらの意義を見出してさえいれば、他者がそれにとやかくいう権利はなければ必要もない。
とにかく、生きている限りは明日がやってくる。
少しずつ形を変えつつ、あるいは急に大きく姿が変わってしまう場合もあるのだけれど、明日はとにかくやってくる。
明日にどのような意味を与えるのか。
毎日明日はやってくるのだから、失敗したっていいし、無意に過ごす明日があってもいい。
だけれど、同じ明日がやってくるとは限らないということだけは、意識して生きていきたいものだ。
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