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筆をとるということ

僕は文筆家ではないし、筆、というかペンというか、そういうもので文字を書くのは苦手だ。
苦手だからこそ、実際にペンを持たずに、仕事ができる職業を探したときに、パソコンがメインの仕事って、そういうことじゃないか? そう思い、今に至る。

10代の頃は本をよく読んでいたし、現代文などの成績もよかった。一方で、少し遡ると、いわゆる小学生の頃の夏休みの読書感想文なるものは苦手ではあったけれども、のちに、大人になってからは文章を書くことが好きになった。理由はわからない。母方が文系家系だったからだろうか?

特に何か目的があるわけでもなく、ただ垂れ流すような文章であっても、そこには自分なりのこだわりがあって、しょうもないところを試行錯誤して、何度も何度も書いては消し修正しては展開を入れ替え、とかいう作業を、誰に知られることもなく伝えることもなく、謎に試行錯誤を繰り返す。

おそらく、これのnoteの記事を投稿したのちも、アップ直後から何度も見返すたびに、ちょっとずつ修正を加えている自分が目に浮かぶ。微笑ましい。

ビジネスメールであっても、いろいろと試行錯誤して出来上がった作品(自分の中では、そう呼んでいる)は、自分の子供のようなものであり、ニヤニヤと、何度も読み返しては悦に入る。これは、あまりひとには言わないことでもある。

プライベートでは、小説らしきものなども書いたりはするのだけど、才能があるとは思えないし、それは趣味の範囲、自己満足の世界だ。今のところ、世間に認められようと思って筆を取ったことはない。いや、そのうち、いつの日か、という思いがないわけではないが、それ相応の覚悟と努力が必要なこともわかっているし、それがあったとて一握りの人が成功する世界だ。音楽もそうではあったけれども、僕にその才能はない……とも断言できないが、今のところはその片鱗すらも垣間見ることができない。

断言できないというよりも断言したくないという表現が適切なのかもしれないが、それは、いくつになろうと、将来へののびしろや余白みたいなものは残しておきたいという浅はかな願望のためのみだろう。

ビジネスの現場においては、当然ではあるが、日常的ににメールなりテキストチャットなりで文章をカタカタカタ……と打ち込むのだけれども、それらも、本来であれば用件を伝えるだけでよいはずのもので。

出来上がりのテキストとしての美しさに関しては、特に気にすることなく、要点さえ押さえられたものを送信すればよいのではあるが、てにをはの使い方、句読点の入れ方、接続詞とか重複言葉とか、語尾や漢字の統一とか、単語一つの与える印象の違いとか、そのほかにも多々あるのだけれど、謎にこだわったりする癖が抜けない。

いや、それは当然あって然るべきものだとも思っている自分が当然のように存在するので、なんの関係性もないウェブライターさん方のウェブニュースやコラム的なものの記事を見るにつけ、自分のこだわりポイントを大きく逸脱していると、「こんなんでプロとして仕事やってんるんですか!?」と、変にイライラすることもある。

これはきっと、フリーライターなどという職業をやっていた時に、厳しく言われた商用誌でのオキテみたいなものに囚われてしまった上に、そこに偏屈な自分流こだわりが乗っかりすぎてしまった結果なのだろう。

ライトな感覚でウェブで情報を漁っている読者様方(これは決して嘲笑しているのではなく、要らぬこだわりを持ち続けている自戒にも似た発言だと理解していただきたい)や、ただ用件を伝えれば良いだけのビジネス文書においては、そういったことは全くもって有益なものではなく、また利益を生み出すものではないのだから、軽視してしかるべきなのだ。

こういう垂れ流しのテキストを書いているだけでも、僕は少し恍惚の表情を浮かべながらカタカタカタ……とタイピングをしているわけだけれども、こんな時間に、誰に向けるわけでもなく、このような世間には微塵も影響を及ぼすことのないであろうことを書いているにも関わらず、なぜか、何度も書いては消し、書き直しを繰り返していて、人間の欲求というものは、何で満たされているものなのだろうかと自問自答したりもするのです。

一方通行でも成立するブログ的なものは、書いた時点で筆者が満足すれば良いものであるわけで、それを最後まで読むかどうかは読み手が判断するだけの話だ。一方で、双方向のコミュニケーションが前提である匿名での雑談チャットの場においては、今どういった流れで会話がなされていて、どういう空気で、相手はどう感じていて、自分はどういう存在としてそこにいて、どういう反応が場を盛り上げられて、みたいな前提を踏まえつつ、自分が気持ちよくなれる発言を探すという作業が必要なんだなと思う。

だとすると、周りが見えていない、単純に吐き出したいだけの人にとっては、難しいんだろうなと、ふと。

顔が見えない、声が聞こえないだけで、リアルとさして変わりのないものなのだから、匿名だからと言って、相手を排除した世界観に没入して良いわけでもないのだけれど、しかしながら、そういうニーズもあるのだろうなと思うと、そこに何かしらの受け皿を、全く別の場所に用意してあげるということも考えてもよいのかな。それはそれで、本人たちはどう思い、どう感じるのだろうか。

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