永峰佳久 経過報告③
https://note.com/chabacila/n/n6f2e345ffb47
永峰佳久の人格を作って一か月が経った。
なんて書き出しの記事を書こうと思って下書きを用意しておいたらいつの間にか40日経っていた。
ゴールデンウィークと自分のだらしなさが招いた悲劇である。
責任の割合としては8対2くらい。
そのため今回の記事の内容は俺が10日前に書いた奴だ。書き直せよと思うかもしれない。
しかし、先に言っておきたいことがある。
ごめん!!!!!俺今日誕生日だし、許して!!!!
まぁこんなもんでいいやろ。ここから本編。
永峰佳久として日記を書くまで、俺は日記を書いてはいなかった。しかし、毎日のように気付いたことや思いついたこと、なんてことないことまでメモをしていた。そしてそれが自分の中で、実質日記として運用されていた。
人に何か話す時や何かを思い出そうとしたときは、そこに書いてあることから断片的な記憶を引っ張り出してつなぎ合わせていた。
しかし、永峰佳久の日記を書くようになってからそのメモを取らなくなってしまった。理由は、おそらく毎日何かを書くという作業が日記に代替された結果メモを日記代わりに残すことが億劫になったこと、書こうという意識が軽薄になったことだろう。
もともと書いていたメモはなにかを続けることの訓練の意味合いで始めた部分があるので、日記さえ書くのであれば実際なんの問題もないような気がする。
いや、有った。内容だ。
もともとnoteを書き始めたとき、俺は自分の過去のメモを見て、数少ないアイデアの端切れの寄せ集めパッチワークでnoteを書いていた。
それが、そのメモを書かなくなってしまったことでただでさえ少ないアイデアは星の魔晄エネルギーがなくなるなんて、比じゃない速度ですっからかんである。
じゃあ日記を使ってアイデアを残せばいいやん、てことなんだが永峰佳久の日記は永峰佳久の人格、性格として書いているものなので俺らしさが入らないようにして書いている。というか見てもらえばわかるけどマジで「内容が無いよう(爆笑)」な事ばっか書いてる。
その結果、今まで俺のメモの中で息をしていた”俺らしさ”みたいなものがどこにもなくなっている。俺らしさの死である。
別に今回で結果を出して、日記を辞めるわけではないが途中結果として言わせてもらうと
「自分の中に新しい人格を作ってみると緩やかに自分らしさが死んでいく…気がする。」
テンション低すぎん?10日前の俺疲れてたのかな?