11:長い“心の旅路”の終わり
お父さんが亡くなった事で
長兄の溜飲も降りた様でした。
『生きてる間に会ったら、きっと殴ってしまう』
そう言ってました。
1人で働くお母さんも
(残りの借金を母の実家から出してもらったので
その返済も母はしてました。父の借金なのに・・・)
(家と土地を売って半分しか返せてなくて
残り半分を母の実家が出してくれた、と聞いてます。)
2つ下の弟と5つ下の妹も
“俺が守らなきゃ!!”
そう思って生きてきたそうです。
お父さんの代わりに!あんな酷い男のために!
母さんを泣かせて!!母が悲しい辛い思いをして!と、
かなり憎んでいたようです。
中3の男の子が背負うには
重たいものだったと思います。
守りきった妹(私)の結婚式では
兄は泣いたのです。
「幸せになれよ〜」
「幸せになれよ〜」と
泣いたのです。
それだけ私の事を心配し、
私の事を案じてくれていたのに。
私は
“お母さんはお兄ちゃん達だけが
大事なんだ”
“私はいらない子なんだ”と
思っていたので・・・
実際、母に
「あんたなんか産むんじゃなかった」と
口に出して言われていたし
「女の子だから高校卒業したら
就職してね。大学にはやれない」
「お兄ちゃん達は男だから、
大学、出ておかないと」
と言われてきたので、言われた側は
『私より兄が大事なんだ』って思うよねって
話なんですけどね😆💦
それでも私は母が大好きでしたし
とても大切にしてきました。
それはどうよ・・・って事を
チョイチョイ 言う母ですが😅苦笑
心の底から思ってる言葉では無い事や、
愛されてるのは、分かっていました。
女手1つで子供3人
大学、短大に行かせるのは
並大抵の事ではありません。
愛してなければ、出来ません。
育ててくれた事。
感謝しています。
今はもう、ただただ優しかった
父の思い出だけ残っています。
辛かった事も、悲しかった事も
捨てられる!と怯えて暮らした事も
生きるか死ぬかの 生活も
何もかもが終わり、今の私は幸せです。
何かも噛み砕いて飲み込んで消化しきってしまったので
今回、このような活字に起こすことが出来ました。
長いお話、最後までお付き合い下さり
ありがとうございました(*ᴗˬᴗ))ペコリ