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8:初めての○○【マンドリン】
先にあるように、小学生から既に
ハードコンタクトをしていた為
中学に上がる時、部活動に関し、
運動部、特に『ボールを扱う部活』は
禁止令が出されていた。
(ソフトコンタクトは運動や
ボール競技も大丈夫である⤴️)
中学では あるあるだが、帰宅部は許されず
何かしらの部活に入るのは、強制であった。
そうすると、
インドアな部活になるのであるが・・・
家庭科部は
もう散々 家事をしてる自分には
なんで学校でも
せにゃアカンねん!となり却下。
生物学部は・・・嫌・・・
吹奏楽は
マーチングバンドしていたので
普通なら興味を持ちそうだが
何か今ひとつ、やる気にならず・・・
そんな時マンドリン部があった。
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“何それ!?マンドリン!?”
初めて聞く楽器名である。
その時点で、拍子木だの
ちゃんぽん(シンバルのちっちゃい版)だの
摺鉦(すりがね)だの
胡弓(二胡の日本版)だの
和楽器はやらされてきたので
(後で三味線、お筝、篠笛、鼓もやらさせられます)
和楽器うんざりな私は
洋物に飛びついた訳です。
最初の3ヶ月は基礎練習で
ただただ弦をたたく
“弾く”ではなく“叩く”
ダウンアップと呼ばれる
上下 上下
行って返って 行って返って
ひたすら繰り返すのです。
でも同級生達と
座りながらペチャクチャ
お喋りしながらやってたので
毎日2時間 週5日してたのに
全く苦になりませんでした。
その内、弦を指で押さえて
ドレミファソラシド
そもそも楽譜も読めるので余裕です。
初期の初期の楽譜を貰い
弾いてみたり🎵
先輩がいない時は
先輩の真似してピロピロと
勝手にトレモロで
弾いちゃったりしてꉂ🤭ッ⤴️
(トレモロはまだ禁止)
7月の終わりには
ちゃんとした楽譜を渡され
トレモロも許可され
秋の文化祭に合わせて
演奏としての練習を始めました。
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私は今もそうですが
同じ楽器、同じ弦、同じピックで弾いてるのに
人より かなりデカい音が出ます。
なので1年の秋には
小さいマンドリンから
大きくて弦が太くて低音域の
マンドラに移動させられます😭💦
12の小娘には
花形な𝟭𝘀𝘁(主に主旋律担当)が憧れで
羨ましかったです。
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中3の先輩は2人。
中2に在籍者はいなかった為
先輩2人が卒業すると
自然と私達の学年が1番上になりました。
私達の学年は6人くらい居て
多かったです⤴️
そして、その時点で私が部長となり
中2、中3と2年間、部長を務めました。
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顧問の先生は大学でマンドリンをなさって
教員になった方で
私の中学には
結果としてトータル6年の赴任で
その6年間だけあったマンドリン部に
3年在籍していました。
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顧問の先生とは今も
県のマンドリン音楽連盟音楽祭などで
ご一緒に合奏したり
私の所属するマンドリンクラブの
指揮者 経由で
敬老会の慰安演奏で、ご一緒したり
私の所属する
マンドリンクラブの発表には
顔を出して下さいます🤗🎶
ここにも素晴らしい
一生モノのご縁がありました。