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3:青天の霹靂/夢の終わり

私は父が大好きだった。

父はタクシードライバーを
夜勤でしていた為
学校から帰った頃は
まだ寝ていた。

ランドセルを下ろしたら
父の寝てる布団に潜り込むのが
大好きだった。

寝ぼけながら
ギュッと、抱きしめてくれる父
愛されてると思った
愛してると思った
とても暖かく幸せな思い出・・・。

私には優しい父だったが
母は殴られたりしていたらしい。

私はその事さえ知らなかった・・・。

マーチングバンドの本番は2泊3日。
隣の県まで出かけていた。
兄2人と私の3人だけで行ってきた。

私達が帰ると・・・・・・父は・・・・・・
簡単な荷物を持って
家から居なくなっていた。

父が居ない事が、意味が分からず
呆然とする私を 後目に
引越し準備は進んだ。

2週間後には京都から
関東圏に引越しした(母の実家がある)

夏休み期間中だった事。
引越しの準備で忙しかった事。
父への借金取りのヤクザさんが
家の周りをウロウロしていた事。
などから学校の友達に挨拶は行けなかったのだ。

引越し当日は 兄2人と私の
子供3人だけで新幹線に乗って
6〜7時間ほどかけた移動であった。

(母は引越しのトラックに便乗していた
当時はそのような決まりだったらしい)

私は・・・
荷物をまとめたり していたくせに
分からないフリをしていた。
心の準備など到底 出来なかった。
ただの旅行だと、
道中 楽しくて はしゃいでいた。

兄に頼りきって安心していた。

中3の長兄は、2つ下の弟と 5つ下の妹を
知らない土地にたった1人で
連れていく事に必死だったであろうに・・・。

(新幹線だって初めてだった筈)

引越しまで数日の、ある日、
母が父の忘れ物を紙袋に入れて
私に渡した。

『お父さんの忘れ物だから
お父さんの職場に持ってってあげて』

父の職場は小4  9歳の私にも
歩ける距離にあり
何度か行った事があった。

言われたまま父の職場に
紙袋をもって行った。
(重さは無かった)

私には 何故 父が家に居ないのか
何故 父が帰ってこないのか
分からなかった。

母に聞くことすら出来なかった
兄に聞いても答えてくれなかった

父と母が別々に暮らす事がある
と言うことも

この世に【離婚】という
言葉があることすら
その時の私は、まだ知らなかった。

父の職場に着くと
父はちょうど京都から大阪へ
お客さんを乗せて走っていて
すぐには戻って来れないと
言われたが、私は2時間程
事務所で待たせて貰った。

従業員の人がテレビで
子供番組を付けていてくれたのを
覚えている。

父が会社に戻ってきて
私の顔を見て嬉しそうだった。

紙袋の中身を見て
“あぁ・・・なんだコレか”
と、いう顔をしていたので
今 思うと、母が最後の逢瀬を
作ってくれたのだと思う。

その後 家の前まで
父のタクシーで送って貰った。

家の前でタクシーから降りて
父と少し話をした


「お父さん、今日は
帰ってくるんだよね?」

それは私の希望であり
期待であり・・・
そうであって欲しかった・・・。


父は・・・

とても・・・

とても・・・

寂しそうな

悲しそうな

何とも言えない顔をし、

私の頭を 愛おしそうに
ゆっくり ゆっくり 優しく撫で・・・

寂しそうにタクシーの運転席に
乗り込んだ。

タクシーが発進し
直線で200メートル程
進んでから 左に曲がる。

私はこの光景をずっと見ていた。

ずーーっと

ずーーーっと

すーーーーっと・・・

父のタクシーが曲がりきっても

まだ ずーーーーーっと 見ていた。


その日の空は とても青かった・・・




この日が 文字通り 本当に
私にとっての
幸せな子供時代の
【最後の日】となったのだ。


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