オートバイのある風景12 第三京浜とライムグリーンのGPZ750
無事限定解除を済ませた僕を静岡のバイク屋で待っていたのは、1983年式のカワサキGPZ750だった。
このバイクは僕がリクエストしたのではなく、また店の在庫でもない。Sさんの先輩Oさんが持っていた要はお下がりバイクなのだが、レースメカの経験もあるOさんが仕上げたかなりの上物なのはもちろん、何よりその色、ライムグリーンがカッコよくて一発で気に入ってしまったのだ。
このGPZ750には元々ライムグリーンという車体色の設定はない。それをOさんがカワサキ純正色のグリーンで全塗装し、AMAスーパーバイクの「ウェイン•レイニー仕様」になっていた。
僕はレイニーと同じKERKERの黒いメガホンマフラーに替えようとしたのだが、そこは既にSさんが大阪の月木レーシングに特注マフラーをオーダー済みで、有無を言わさず月木デクスターを装着する事になった。
ならばとシートは青い表皮に張り替えてもらう事にした。これでレイニーレプリカ改め「鈴鹿8耐チームグリーンNinja仕様」のGPZが完成した。
当時のトレンドでは峠ブームはもはや行き詰まった感があり、ビッグバイクブームが盛り上がり始めていた頃だった。
僕も大きくて重いナナハンで大垂水や奥多摩に行く気にもなれず、また彼女が上京して静岡に帰る事もめっきり減ったので、仲間と日本平に行く事も無くなり峠からは足が遠のいていた。
東京での彼女との暮らしは順調で生活はずいぶん落ち着き始めていたが、夏も終わり夜もだいぶ涼しくなり始めた頃から、僕は金曜の夜にこっそり出かける事が多くなった。
翌日も仕事で早々に就寝した彼女を部屋に残し、僕はヘルメットとキーを持ってそっと部屋を出る。彼女はもちろんだが、ご近所迷惑にもなるのでアパートからバス通りまで数百メートルの路地はバイクを押して進む。
そしてようやくエンジンをかけ、僅かな暖気の後、静かに走り出す。
目的地はそう、この頃急速に盛り上がりを見せていた第三京浜保土ヶ谷パーキングだ。
アパートから東八道路に出る。当時はまだ夜間通行規制の範囲だったがナナハンなので堂々と走る。
高井戸から環八に入ると一旦路肩にバイクを停め、サイレンサーのバッフルを抜く。バッフルを外したところでパワーが上がるわけではない。音がいくらか大きくなり、アクセルオフでのアフターファイヤが派手になるくらいだ。
言ってみれば週末のお立ち台に向けてちょっと羽目を外すようなものである。
玉川から第三京浜に入り、アクセルを多めに開ける。イエローコーンのブルゾンは当時提灯型のシルエットだったから風を受けて派手にはためくが、気にせずアクセルを開ける。
保土ヶ谷パーキングに着くとバイクを停め、缶コーヒーで一服。
割と目立つバイクだったのか、知らないライダーに話しかけられる事もよくあった。
「デクスターってGPZ用あるんですか?」
「受注生産なんですよ」
「へー、知らなかったな」
などという他愛もない会話が殆どなのだが、ネットで何でも調べられる今と違って、当時はパーツの情報やインプレッションはもちろん、今から行く方向の天候などもこうして情報収集していたのである。
年輩のライダーはこうしたコミュニケーションに慣れているからだろう、以前ツーリング中に峠でGL1800ゴールドウイングに乗ったライダーから
「向こう(これから行く方向だ)は降ってますかねぇ。カッパ着た方がいいと思いますか?」
と聞かれた。なのに僕と来たら
「どうですかね、そのバイク(どでかい風防がついている)って多少の雨なら平気なんでしょ?」
と返したものだから、そのライダーさんショボンとしてたっけ。
7月の知床峠で出会ったGLさん、あの時はすみませんでした(笑)。